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ストーブは暖かい

 僕は今何を考えているのだろうか。やらなきゃいけないこともなく、自分と向き合うことを許される時間は意外と少ない。大学生の時まではその時間からひたすら逃げ続けて社会人になれば考える暇もなくなって今まであまり考えてこなかった。身内の人間はみんな親切で特に何の不満も感じさせないほど完璧であこがれる暇さえ与えなかった。そんな環境に満足どころか多少の不安を抱えながら今日まで生きてきた。
 人間は出会いと別れに一喜一憂する生き物だ。誰だって別れたくはないし幸せならばそれが少しでも長く続くことを願う。それでもいつかはその時間がやってくる。その瞬間は突然かもしれないし予感させることもある。花とすいかとねこをこよなく愛した祖母は生まれた場所も本当の両親もわからない状態で引き取られたという。そんな壮絶な生い立ちとは気づかせないほど強く天然でぼやいていた。とにかく強い。病が見つかった際には治療はいらないといい、最期も呼吸器の類を一切つけずに眠りについた。そんな祖母も僕が理由もなく訪ねた時はとても喜んでくれた。それでも突然来たことに驚いた祖母は僕がお金を借りに来たと思ったらしい。祖父が出かけて祖母と猫と僕しかいないその空間はどこか現実ではない空気が流れていた。もう少しで帰ろうかなという僕の頭をなでてきた祖母はボソッと「偉いねえ。ばあちゃんは幸せだよ。会えるのも最後だろうしねえ。」といった。この言葉は本人も毎回言っていた言葉だったので冗談はやめてよと言い返そうとしていたが、間髪入れずに「これは誰にも言っちゃだめだからね。」なんて言われたら何も言い返せなかった。猫の鳴き声があの日はやたらと大きく聞こえた。いつも猫アレルギーで目がかゆくなるのだがこの日は全く症状が出なかった。祖母が眠りについたのはそれから2か月後だった。

 猫は空気を読める動物だといわれている。死ぬところを人には見せないといわれているし、実際祖母の家で飼っていた病弱な猫も突然姿を消したこともあった。そんな中空気を読むことから一番遠いぐらいの性格の猫は畑のはずれの段ボール箱にいたという。僕が小さいときから祖母の家で一緒に遊んでいた。とっても人に慣れていて寝転んでいるところに飛び込んでくる図々しい猫だった。猫らしくストーブの前に鎮座しているときに呼ぶとむすっとした顔で振り返ってくれた。その姿は猫というより親戚のおじさんのようだった。膝の上に載ってくるのは良いのだが、何か驚いたときにその場で爪を立てるのでよく負傷した。そんな猫はとても長生きだった。平均的な猫の寿命を大きく超えた。もうおじいちゃんになってやせ細っていてもその猫はいつもと変わらず膝の上に乗り、何かに驚いて僕の膝の上で爪をたてて怒られる。たまにしか行かないけどどこか様式美のような幸せはどこかで突き当りに達する。この光景が続けばいいと思っていたけどそんなうまくはいかない。人間でいえば90歳以上であり大往生だった。最期はストーブの前で眠るように旅立った。僕にとって大親友のうちの一匹だ。最期だけ空気を読んだその猫は人前から姿を消すのではなく人前でみんなに見守られた。
 祖母とその猫はストーブで場所の取り合いをしていた。祖母がストーブの前にいれば猫が割り込んでくる。祖母が猫をどければあきらめず割り込んでくる。そのうち祖母の足の間に潜り込んで一緒に温まる。その光景を後ろから見ていた日が今鮮明によみがえる。いつだって思い出すのはストーブにいる後ろ姿だけどその後ろ姿に追いつくころに僕はどんな人間になっているのか興味深い。
 別れの知らせを聞いたときは頭が空っぽになってまだ嘘なんじゃないかと思ってしまうが、そのふんわりとした状況を現実にする行事がこの後やってくる。とても行きたくないけどどこかで踏ん切りが必要だ。いつか全員同じ所へ行くのだから好意的にとらえよう。きっと猫とじゃれあっている祖母のためにも

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