担任の一言で偏差値をダブルスコアに。
私の会社は創業当時から様々な「大学」のWEBサイトやコンテンツ、システムを作っています。そのため、大学にかかわる様々なステークホルダーを取材させてもらっているため、おのずと自分の関心は、教育・キャリア分野へと向かっていきました。
そこで、普段は大学生に受験体験記を取材している私自身の受験体験記を紹介したいと思います。
僕は中学時代、些細なことで自分の学校に行けなくなり、隣の中学に転校して、不登校という状況を脱しました。そのため高校進学においては少々遠回りをしています。
進学したのは地元の公立高校で、当時は「一群」「二群」と分類されていたうちの「二群」の高校でした。2年に一人くらい、早稲田か慶應に受かるといったレベル感です。そんな中で、初めて受けた校内実力考査は、英語の成績が特に悪く、偏差値45という状況。総合でも下から2割くらいの成績でした。
担任のF先生からは、日誌の表紙に書いた「丸山剛」という名前を、「丸出ダメ剛」と書き換えられ、「うまい!」と感心しながらも、劣等生というラベルを張られた高校生活のスタートでした。ただ、クラスでは比較的目立つ方で、「級長」を務めていました。そして「副級長」は隣県の「三ケ日町」から越境して進学してきている優等生の女子。T先生は、負けず嫌いな自分の性格を知ってか、
「お前、三ケ日にはどう転んでも勝てんだろ」
と煽ってきました。根拠ない負けず嫌いは自分は、
「絶対勝つから」
と一言、何の根拠もなしに即答していました。この時はこのF先生に自分を認めさせてやるという以外のモチベーションは一切なかったのですが、足を引っ張っていた英語を何とかしようと、夏休みを使って、徹底的に1年間のカリキュラムを独学で猛勉強しました。市販の参考書1冊をとにかく暗記し、単語帳で語彙力とイディオムを増やすという作戦でした。
二学期の実力考査。定期考査と異なり、出題範囲がありません。そのため教科書には書いていないことがバンバン出てきます。「網膜=retina」というマニアックな単語ですら、長文読解で出てきたら無視せずに暗記していました。おかげで、スマホの「Retinaディスプレイ」という言葉を聞いた時、胸でガッツポーズをしたものでした。
結果張り出しの日。なんと英語の点数が、副級長を上回ったことはもちろん、全校2位になりました。偏差値はなんと「88」。約ダブルスコアです。T先生は日誌に「脱帽」とコメントしてくれました(表紙の「丸出ダメ剛」は気に入っていたので修正しませんでした)。
英語で1位のS君は偏差値が90以上でした。当然次のモチベーションは打倒S君です。他のクラスで話したこともないのですが、T先生とS君がいなければ今の自分はありません。こうして次の実力考査では、英語1位、偏差値90越えを達成し、文系総合でも学年1位に輝くことになったのです。
今言えることは「とにかく勉強した」ということ。覚えるべきことは徹底的に覚えました。良いコーチとライバルとの出会い。これに尽きます。こうして劣等生から一気に優等生へと自分を変えたのです。
第二話「第一志望・東京芸術大学と書いた初めての進路調査」につづく。
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