プロフィール (1/100)

はじめまして。ご覧頂きありがとうございます。自分で自分のプロフィールを書いてても「何やってんだ?」と大きなため息と苦笑いしか出ません。そんな私が何を語ることができるのか、、、時間つぶしにでもお読み頂ければ幸いです。

1980年生まれ、九州の海辺育ち。一浪してようやく入った大学では微生物学を専攻。大学院卒業後の経歴は以下の通り。

25歳@研究開発資金ファンディング機関:2年(下っ端)

27歳@メガバンクの投資銀行部門:2年(下っ端)

29歳@海外留学でMBA取得といえば聞こえは良いが専業主婦:2年半

31歳@個人コンサル事務所:1年弱(下っ端)

32歳@スタートアップの環境系コンサル:3年(マネージャー)

35歳@総合商社で営業:4年~(中堅)

40年生きた中の半分は田舎でのんびり育ち、学校の勉強は運よく出来たお陰で関西の有名大学に一浪して奇跡の入学。それでも都会の競争からは無縁の世界で25歳までこれまた伸び伸び過ごし、就職活動って何するものぞ?と周りに合わせたんだか合わせてないんだか本人もよく分からないまま、巡り合い的な幸運で公的機関に就職。時代は就職氷河期後期、本当に幸運でした。

20代半ばになって東京に来て社会人生活を開始したものの、そこで初めて「働くとは」「社会に出るとは」「収入格差」「人生これからが長い」「やりたいことを仕事に」「え、なにどうしよう」と、自分の職に焦りだす。高収入&ブランドを求め、試しに受けたメガバンクに転職成功。超ラッキー。

同時に時代は「負け犬」ブーム。30までに結婚できない女はヤバイらしいと片耳で聞いてたつもりが洗脳され?、高学歴高収入の彼と出会って3か月で結婚同意に漕ぎつける。ただし彼の海外駐在は決定事項。

「仕事と俺とどっちが大事?」の選択で、中庸をとって「海外留学」で片を付け、TOEIC 400点の底辺からどうにかMBA取得までこぎつける。だけど世の中リーマンショックの後遺症あり、キラキラのメガバンクをわずか2年で辞めた社会人4年生を雇ってくれる先はなく、個人事務所的なコンサルティングファームで出直し。

しかし世の中そんなに甘くない。終電帰りが当然の仕事をしていた私でも、毎日泣くほどの厳しさ、それが個人事務所。これは精神が持たないと悩んでいた矢先にスタートアップからの突然のオファー。渡りに船と、全くもって経験のない業種&業界にも関わらず転職を決意。しかし、全てにおいて自分のことだけに手一杯だった私に、さすがに彼も辟易したのか三行半。なんだかんだと調子こいていた生活を失い、仕事のみならず、私生活でも一から出直しと相成りました。

スタートアップでは初めての管理職、本当に初めて「自分で稼いだ金=自分と部下の給与」を経験。仕事の現場はハイリスクな途上国。目まぐるしく日々を過ごす中で、考えられる数々の失敗をし、チームのありがたさを痛感し、そして社長と方向性の違いでもの別れ。貴重な経験をくれた愛すべき会社だったのに、結局は手放してしまいました。

それでも拾う神あり、景気が上向きだったのが功を制したのか、一部上場の大企業に入社を果たし現在に至ります。仕事も私生活も一から出直しはまだまだ途上。大騒ぎをしながら生きてきたのに全く何も成せておりません。

ぞれでも時代は変わったと感じています。社会の在り方、普遍的と思われていた価値観でさえも多様性があることが認められるようになりました。だからこそ、これから社会に出る若者の苦労が偲ばれます。正解はないクロスパスワードを解くことを求められる、そんな無茶苦茶な環境に連れて来られている気がしてなりません。上記のように「何やってんだ」と思われて当然の四十路が、だからこそ経験してきた何かを皆さんにお伝えできればと思います。一応、一生懸命真面目には生きてきて、こんな結果になりました。

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