自分の心をナデナデする習慣
なんとなく自分を振り返ってみたくなったので、少し私のことについて語りたいと思います。
私は周囲の人から「素直だね」とか「自分に正直」とか「感情表現が豊か」だとよく言われる。
自分では「そうなのかな?」と感じていたから、それについて深く考えることはしなかった。けれど、この能力って、実はすごいんじゃないか!?と最近になって感じてくるようになった。
なぜかというと、あらゆる人間関係の不和、夫婦不仲、家族問題、他者への批判的な見方(誹謗中傷)、病気の発生(一部)は「自分を表現できない」ことから始まっている、と思うようになったから。
「自分を表現する」って。
「そもそも自分ってなに?」
そんな人もいるのかもしれないけれど。
私は、今では自然と「自分の心をナデナデする習慣」を行っている。触診するみたいに、自分の心を触って、感じる。
少しチクチクするなぁ、とか
ギザギザして怖いなぁ、とか
今日はなめらかだなぁ、とか
それがわかると、自分に与える「栄養」がなにか見えてくる。休息の時間や、本を読むこと、美味しいものを食べたり、昼寝したりすること。ストレッチしたり、絵を描いたり。リラックスできるならなんでもいい。
「居心地の悪いもの」から逃げることだって、自分をケアするという意味で大事なこと。
対人関係がうまくいかないとき、
人に対して不信感や敵意があるとき、
自己嫌悪が止まらないとき、
そんなときは、もれなく「自分を表現すること」を忘れている。
「自分を表現」というのは、自己主張をしろとか、なにか創作活動を始めろとか、そんな大そうなことを言っているんじゃなくて。
自分を知り、自分をいたわり、自分の感覚を守り、自分の選択を尊重する、ということ、なのかもしれない。義務や役割ばかり優先していると、笑顔はみるみると消えてしまう。それは自分の感情や感覚を後回しにしているから、そのようなことが起こるのだと思う。
心をナデナデする癖をつけると、本当の気持ちが見えてくる。見過ごしてきた悲しみや怒りが見えてくる。逆に言えば、自分がこれまでなにを「期待」してきたかがわかる。
自分を「臭いもの」扱いすることは人間関係を拗らせたり、コミュニケーションも回りくどくさせる要因になる。「察してほしい」が過剰になって、独りよがりで、つねに被害者意識が付きまとう。
ちなみに私は、パートナーの前で、すぐ泣く。笑うのと同じくらいに泣く。
パートナーに「こんなに泣く人は初めて見た」と言われるくらい。「そんななっちゃん(私)がとても魅力的だよ」と。
心も同じで、違和感やモヤモヤがあったら隠さないで話す。話すことは放すこと、ってどっかで聞いた事あるね。
嬉しいことがあれば喜びを大いに表現する。
これは自分の素晴らしい努力の賜物なのだと今では思う。
ひとりひとりが自分自身を大切にできたら、きっともっと生きやすくなる。やさしい世界になると思う。
私は、ひとの心を軽くする人になりたい。愛を体現したい。
私のモットー「可愛らしくたくましく」でこれからも進んでいくぞ✨