見出し画像

おにぎりと米と私


おにぎりが好きだ。いや、愛している。
私が「愛している」なんて言葉を使うのは稀なのだ。本当に愛しているのだ。

おにぎりが好きなのは「米=ごはん」が好きだからだとずっと長いこと信じ込んでいた。
45年間私は米が大好きだった。5年前の夏、45歳のある日突然に「実は米が好きなのではない」という事実に気付いて呆然とした。
米がなによりも好きだと思っていたし、私がなんだかんだずっと肥満から解放されないのもそのせいだと思い込んでいたからだ。
だからいつでも炭水化物控えめの生活を心がけていたし、それが高じて糖質制限をした時もあった。

何日も何日も米を食べない日々が続き、気付いたのである。
「私が好きなのは『ごはん』じゃない。
『ごはんのおとも』だ!」。


ふくやの明太子も、加島屋の鮭の瓶詰めも、三島のゆかりも、ほとんど塩気のない釜揚げしらすも、魯山人に倣って424回かき混ぜる納豆も、100gあたり400円以下にならないと食卓に登場しない、鮭の腹子を買ってママちゃんが作ってくれるいくらの醤油漬けも、ほかほかに湯気を立てている大好きな大根のおみおつけも、みんな「ごはん」あっての「おかず」だと思っていた。

しかしよくよく考えてみれば私は「白米」だけではひとくちですら食べたいと思うことはないのである。
たとえそれがいちばんおいしい時期のぴかぴかの新米であってさえも。
それに気付いてから私にとって米は「ごはんのおともの添えもの」というなんともふしぎでややこしい存在になった。
考え方の転換によって、それまでは避けがちだった米を主役として食べるのではなく「ごはんのおとも」を食べる手段として、それからの私は毎日少しだけ食べるようになった。

世の中には米なしには食べる事がまかりならない料理というものがある。
オムライスはたまご料理でありながらケチャップ味のチキンライスが主役。親子丼や牛丼に米が不可欠であるように。カレーを食べる時ももちろん米を選ぶ。米はカレーの添えものという認識である。

そしておにぎり。
おにぎりは私にとっては米が主役ではない。
一般的には「ごはんが主役の食べもの」ではあるのだけれど、私にとっては「ごはんのおとも」をいちばんおいしく食べるための、「ごはんのおとも」を引き立てるための、ひとつの料理法なのだ。
そして最強の料理である。
「simple is the best」。
海苔と塩の力を借りて、これ以上のおいしい食べ方はないと思っている。
昔の人はよくもこんなに合理的でおいしい食べものを開発したものだ。
おにぎり好きで米を大好きな人がこの私の主張を知ったら不愉快に思われるかもしれない。
…そこは勘弁。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?