アシンメトリーな日記:22日目
中3
退院して僕は中学3年生になった。
学校へ行くということは、事故に遭う前となにも変わらなかった。
しかし、いざ出発してみると体が言うことを聞かなかった。
出発するとき、幼馴染みで双子のまさやとなおやと一緒に登校。
彼らは僕の両親に頼まれても嫌な顔せず、むしろ嬉しそうに迎えに来て、一緒に学校まで歩いた。
中学になってから、小学校のように誰かと一緒に登校することはなくなり、どこか新鮮さを感じた。
新学期と久しぶりの学校で気分は上々だった♪
僕は左側の顔面神経がマヒして左目が動かない。
それで全てが2重に見えて焦点が合わなくて気持ち悪くなってしまう為、左だけ眼帯をして生活するようになっていた。
片方の目では人や物との距離がつかめない。
それと左耳が聞こえないので、三半規管は正常ではない。
まっすぐ歩けない。笑
眼帯と三半規管の乱れで
学校まで歩いて15分の距離でも、電柱に何回もぶつかり、ドブに落ちそうになる。
そのたびに、まさやとなおやが助けてくれる。
登校するのも大変だった。。
だから学校に着いたころにはもうヘトヘトっ。。笑
それもそのはず
この間、歩行器で練習してようやく歩けるようになったばかり。
朝から最悪だった。。(+_+)
でも、新年度の始まりで友達に会うのも楽しみだったし、
新しいクラス、新しい友人も楽しみだった♪
新学期のスタート!
僕を見つけると、みんなが寄ってきて近況や事故の状況などアレコレをたくさん聞かれた。
しばらくは、
「眼帯」と「復活」ということでチヤホヤされていた。
しかし中3とは高校受験の大切な時期で、
チヤホヤの波は直ぐに引いていき、
取り残されてしまったようなどこか寂しさがあった。
当時は仲間はずれにされたような感覚というか、勉強、受験に向けて真剣に取り組んでいる友人との歴然の
「差」
を、僕は事故に遭って「眼帯」と「左耳が聞こえない」という人間の能力の「差」と誤って受け止めてしまっていた。
僕は登下校の10分の道のりを歩くのだけで精一杯。
生きることだけで精一杯で、その他に気を回す余裕はなかった。
そして次第にストレスが溜まっていった。
今回はここまで、
それではまた、あす!