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第六十三景

化粧水を手に取って、それを塗ろうと顔に近づけた。指の先から石鹸の匂いに混じって懐かしい匂いが、鼻の中を通っていき、頭の中にある情景が浮かんできた。

忘れていたことを思い出し、冷蔵庫から、にんにくの欠片を手に取り、薄皮を剥いている。つるんと白い表面が見えたところで、それをまな板の上に置き、薄くスライスして、更に長細く切って、みじん切りにした。

熱したフライパンの隣では、沸騰したお湯が鍋の中でぶくぶくと音を上げている。フライパンの中にオリーブオイルを入れて、軽く温まったところに、あらかじめ用意しておいた、バターを落とし入れた。

しゅわしゅわとバターが溶け、芳醇な香りが立ち上っていく。そこにさっき刻んだ、細かい欠片になってしまったにんにくを入れる。木べらで炒めると徐々に色づき始め、茶色く色が変わった頃には、香ばしい匂いも混じり始めていた。

隣の鍋に目を移し、塩の入った容器から、スプーンで塩を取り出し、適当な量を中に入れた。吹きこぼれないように、少し火力を弱める。そこへ、くっつかないように、パスタを広げながら入れ、タイマーを袋に書いてある時間より、1分短い時間でセットした。

いい匂いのするフライパンに、輪切りにしたピーマンと、縦に長細く切ったベーコンを入れ、重なったベーコンをほぐすように、時々木べらでつつきながら、軽く炒めた。ピーマンがしんなりしたところで、顆粒のコンソメを振りかける。

更に混ぜ合わせるように炒め、冷蔵庫からケチャップを取り出して、べたっとするくらいの量をフライパンの中に押し出した。全体にケチャップがいきわたるように、木べらで軽く混ぜ合わせたところで、タイマーが時間を知らせた。

おたまでゆで汁をすくい、隣のフライパンの中に入れる。それを2回繰り返した。鍋をシンクへ持っていき、ざるの中にドバっとパスタとお湯を流し込むと、ぼんっとシンクの底から音がした。

お湯を切ったパスタをフライパンに入れ、さっとソースとパスタが馴染むようにフライパンを揺すりながら、中身をかき混ぜた。全体に赤い色が付いたら出来上がる。

出来たものを2人分の皿に取り分けて、お盆の上に乗せる。冷蔵庫から、粉チーズとタバスコソースを取り出して、一緒に乗っけて、お盆を持ち上げた。

ナポリタンから立ち上がる湯気を顔に受けながら、居間へ歩いて行こうとするところで、髪の毛からポタリと冷たいしずくが、手の甲に落ちてきた。

空想の世界から引き戻された僕は、もう一度、指先を鼻に近づけたが、もう情景が浮かぶことはなく、指先に残ったにんにくの匂いを深く吸い込んだだけだった。

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