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第四十三景 長い間思い出さなかった話②

同じ関東に進学することになり、僕は八王子、彼女は日野の大学だったが、同じ八王子に住むことになった。僕は大学近くの寮で、彼女は駅の発展していない方の入口側に住むことになった。自転車で20分くらいの距離だった。

彼女はアパートに両親とともに、引っ越しに来たが、両親が居なくなった途端に寂しくなり、号泣して電話をかけてきた。駆け付けたい気持ちはやまやまだったが、金土以外は外泊禁止だったので、なだめるしか方法がなかった。

初めての金曜日、講義を終え泊まる準備をして、携帯の地図を頼りにアパートへ自転車を走らせた。彼女は肉じゃがを作って待っていてくれた。手料理を食べるのは初めてで、とても味がしみ込んでいて美味しかった。

1年経つと寮から出なければならず、大学と彼女のアパートの中間地点に部屋を借りた。それからはお互いの家を行き来するようになった。

ふたりで走りに行き、家に帰って来ると疲れて敷布団とフローリングの間に潜り込んで眠ることもあった。南大沢のアウトレットモールや下北沢にもよく行った。お金がなかったので、見て回ることが多かったが、時間を共有するだけでも楽しかった。

高尾山にもよく登った。サンダルで行き、足が痛くなって泣き言を言っては彼女を困らせた。中腹でごま団子を頬張り、頂上で缶ビールを買い、おでんを食べるのが定番になった。

聖蹟桜ヶ丘の丘の猫たちに会いにも行った。いろんなものを食べたが、彼女のアパートの近くの八王子ラーメンを食べさせてくれるお店が好きだった。

ケンカもした。大抵は甲斐性のない僕が悪いのだが、変に意地っ張りな所が出て、言い包めることが多かった。講義が遅い時には、朝起きて一緒にベランダでお茶を飲むこともあった。

彼女は短大生だったので、卒業と同時に働くことになった。調布に職場があった。僕が3年生の時は、八王子から調布へ通っていたので、プライベートの時間が少なく、その上僕の家に来ることも多かったので、次第に彼女のアパートの部屋は汚くなっていった。

彼女が働き始めて1年経った頃、調布に移り住むことになった。ほとんど単位を取り終えていたので、僕も家を引き払い同棲することになった。

新しい家は家電付きだったので元から使っていたものは処分した。残りの荷物はハイエースを借りて、自分たちで運んだ。自転車だけはそういうわけにはいかず、八王子から調布への道のりを20キロくらい乗って運んだ。小旅行みたいで楽しかった。

新しい家に住み始めた日は東京にしては大雪が降った日だった。豪雪地帯出身の僕達は、東京の雪に対する貧弱さを笑い合った。ガスが来ていなかったのでお湯が出なかった。近くの銭湯まで歩いて向かった。新鮮な街並みを手を繋ぎながらふたりで眺めた。

職場への通勤は短くなったが、その分は労働時間が多くなり、帰りが遅くなっていった。かなり忙しいらしい。夕飯を作って待つが、いくら経っても帰って来ない夜は心配になり、職場の前まで行き、安堵した顔の彼女と一緒に帰ったりもした。

その頃になると僕も就活が始まった。東京で働くことに疲れているように見えた彼女の考えも尊重して、一緒に地元に帰ることになった。東京の会社も何社か受けたが、それほど真剣にはなれず、ほとんど落ちた。でも1つだけ受けた地元の会社だけはあっさり内定をもらえた。

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