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第六景 山に登る話

以前マッチングアプリでお会いした人にどうしてひとりでも山に登るんですか?と問われた事がある。その時はそこに山にあるからと、適当に答えた気がする。

シーズンは週に1回、コンスタントに登っていた。よく考えてみても、あまり明確な理由が見つからなかった。

そもそも僕が山に登り始めるきっかけは、元ツレが登りたいと言い出したからだ。何故だか理由は分からない。

当初僕は驚いた。なぜなら彼女は身体を動かす事が苦手であまり運動も得意でなかったし、体力もない。不思議だった。

言い出したのが冬の事であるから、雪の消える春までは体育館で走り込んだりしていた。横に並んで走るのはとても楽しかったのを覚えている。

やっと春になり、初めてふたりで山に登った。歩く時間は1時間ほどで1000mの低山と呼ばれる部類の山だった。

急な傾斜があったり、熊注意の看板があったりして、機嫌が悪くなる彼女。それでも登り始めたからには登りたい僕。

あーだこーだ言いながらも、足を進める僕たちだった。疲れながらやっと後をついて来るかと思いきや、率先して先導してくれる事もあった。

とにかく僕は彼女が心配なので、どんな顔をして登っているか、彼女の体調を気遣いながら、振り返ったり、声を掛けたりしながら登っていた。

山頂までの最後の道も、急傾斜だったから、ぶつぶつ言いながら登っていた。目の前の視界が開け、やっと頂上に辿り着いた。

その時の彼女はとても嬉しそうだった。一緒に景色を眺めたり、写真を撮ったり、お菓子を食べたり、なによりも登り切った事がとても誇らしかったようだった。

彼女は自分自身を褒めてもらいたかったのかもしれない。僕はそんな彼女の頭を撫でてあげた。とびきりの笑顔が見えた。それからはふたりで色々な山に登った。

そんな事を思い出していたら、おそらくだけど、答えが見つかった気がする。

僕は彼女と登った事を思い出したくて、ひとりで登っていたんだ。ふと後ろを振り返るけど、彼女はいない。でも目をつぶれば想像出来る気がする。

あらゆる場面で想像する。前を進む彼女、後ろについて来る彼女、隣でラーメンを食べる彼女、辛い顔をする彼女、泣き言を言う彼女。

でもいちばん好きなのは、調子の良い時の彼女の顔なのだ。目を閉じて想像してみる。そんな彼女の顔をまだ明確に思い浮かべる事が出来る。気がする。




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