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第一景 もふおの話

初めてする話がこの話になるとは思いもしなかったが、昔を思い出していたら、ふと思いついてしまったもふおの話をしようと思う。

もふおとの出会いは、僕が東京に住んでいた大学生の頃である。あれは大学4年生になったばかりの春に違いない。そうだ、ちょうど越したばかりのアパートの周りを歩いていた時のことだ。

住んでいたのは一般的なロフト付きの1LDK、そして彼女もついていた。まあそれは置いておくことにする。春の陽気に誘われて、つい外に出てしまったのが始まりだった。

外に出てみたものの、まだ来たばかりでどの方角に何があるのか見当もつかなかった。とりあえず近くを流れる川に沿って歩いてみようと思い立ち、歩き出した。

歩き出してはみたが、何の変哲もない住宅街である。何の気もなしに歩いていると不審者と間違われるのではないかと、早くも心配になってしまった。歩き始めて5分くらいの事だろう。

僕は詳しい地理関係は分からなくても、方向感覚に優れているので、大体どこをどう曲がれば家に帰れるか分かっていた。その時も長い碁盤目状の住宅街であったため、右に2回曲がれば家に着くことは分かっていた。

右に曲がれるチャンスは何度もあったはずだ。だがその先になにがあるのかという事も、気になってもいたのでどんどん足を進めてしまう。あるのはチャリンコを漕ぐおばさんやおじさん、そして春らしいぬるい風だけだった。

結局なんの収穫もなく、変わり映えのしない風景にも飽きてきてしまった。次の曲がり角が見えてきたので、そこを曲がろうと足を急がせる。一歩、二歩と近づく曲がり角。そこを曲がり、顔を上げる僕。視線がぶつかる。そこにいたのだ。

もふおである。5メートル先に佇むもふおである。こちらを見つめどっしりと構えている。真っ黒な風貌、そして金色に光る眼光、逆立つたてがみ。僕は路地の主に出会ってしまったのだった。

それから一進一退の攻防が続いた。1時間なのか、数十秒なのか、短いのか、長いのか、よく分からないがそれほど長い時間ではなかったと思う。僕は様子を伺いながら、すり足でじりじりと距離を少しずつ詰めていく。

均衡状態を崩したのは、もふおのほうだった。後方へ下がるのかと思いきやすたすたとこちらへ近づいてくる。僕は目を疑った。路地の主が僕の足元にすり寄ってきたのだ。

そこからはもう遠慮は要らなかった。満面の笑みで撫でまわす。首の下をかいてやると、ゴロゴロと言い出した。そう、もふおは猫だ。ふわふわしたたてがみをもつ漆黒のメインクーンだ。

僕は毎日のように彼に会いに行った。時にはカリカリを、時には鰹節を持参した。僕は無類の猫好きであったのだ。彼も僕に応え、いつも同じ場所にいてくれた。

もう数年も前の事で、彼の事を思い出すことはほとんど無くなってしまったが、僕にとっての大切な日常であった。彼が元気に過ごしていてくれれば嬉しい。僕もいろいろあったけど元気に過ごしているよ。

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