【休職と復職と退職】忘れるまでに思い出してみた

もう少しで、2回目の休職、すなわち私が働くことを止めてから
11か月が経とうとしている。
⇒下書きをしたままで、結局は1年ちょっとになってしまった。(笑)

どういう経緯でこの状況になったのか、忘れてしまい、
再び社会に出た時に同じ原因でまた働くことを止めてしまうかもしれないと思ったので書き出してみることにする

1回目の休職になるまで

私は文系の大学を卒業後、新卒でIT系の会社に入社し、
常駐SEとして勤務することになる。
自分の適性と、土日休みの仕事を考えてこの業種に決めた。
更には、この会社ともう一つしか内定を貰えないへっぽこであったから。。
就職活動も60社程受けて、希死念慮爆裂の中説明会にも行っていた。
だからこそ、内定がもらえた会社では前向きに頑張っていこうと思っていた。
入社したては、作業の意味が分かっているようでわかっていなかった。
OJTでおじちゃんに丁寧に説明してもらっているのに、ほんとわからなかったな、、(文系SEに伝われ)
それでも一応社会人として、朝起きてチャリこいで大きなビルに入って出社している自分、頑張っているなと思った。
その頃から、週一くらいの上司の面談でもよく泣いていた。優しくフォローされたり、自分の言いたいこと言うと泣いてしまった。
ほんとは泣きたくないのに、、涙が出てくることが嫌だった、困らせたくて泣いてるんちゃうねん、ごめんほんとに、、って感じ。
いま思えば、案件が合っていなかったのかなと思う。
メンバーの人も優しいけど、なんかしんどかったな、今思えば怖かった。

そこから新しい案件に異動してからは、やっと点と点が繋がって
作業の意味が理解できて、楽しかった。
メンバーとも少しずつ打ち解けて、お弁当を作らずにお昼ご飯に行くことも楽しめていた。
資格に合格したりして、残業がきつい時期もあったけど、
やはりこの仕事は、向いてないわけではないかな、と淡々と思っていた。

私の業種はちょっと特殊で、案件が終わると次の案件に異動する。
すなわち、ずっと同じメンバーで同じ作業をすることは無い。
それがメリットだったりデメリットだったりまぁいろいろあるんですけど、、
4年目にたどり着いた案件が、合ってなかったようだ。
納期も狭かったり、私自身勉強不足で作業が間に合わなかったり、
新人も教育するはじめてのことがあったり、
、、、と言い訳ばかりですみません。
最大のストレスは上司と同じ案件で仕事したこと
今まで、上司と面談はするものの、同じ案件での仕事は無かった。
ときどき、仕事の相談を周りの人に相談すると
私の周りの人みな口をそろえて言っていた。
「あの人(上司)と合う人はなかなかいないよ(笑)」と。
なるほど。(笑)
そだよね~やっぱりそうか~そうよね~ン~ぼちぼちがんばろ。
そう思っていたのもつかの間、
やはり否定されることが多かったり、作業を突っぱね返されることが多くて、
チームミーティングをしているときに涙が止まらなくなってしまった。
一旦、退出して気分転換してきていいよと言われ(上司優しいな)、
とりあえずトイレにこもって涙が止まるのを待った。
1時間ほど止まらなくてずっと泣いてしまった。
そこからは泣き疲れてあまり作業がままならなかった。
翌日からはなんとか普通に戻れた。尊敬する先輩とペアだったのもあって、ヒィヒィ言いながら生きてけた。先輩と仕事できたことは本当に良かった。
ただ、また涙が出る事件が半年後に再び起こった。
自分の作業や判断が甘いのが一番の原因なのだが、
またまた上司からやり直し、と突っぱね返されることがあった。
この時期は残業が1か月35時間くらいかな、私にとってはけっこうしんどかった。
けど、作業が終わらないから、頑張るしかない、と思って仕事していた。
緊急事態宣言も繰り出された頃だったと思う、職場のセキュリティ上、デスクワークだがテレワークはできなかった。
ちょっとメンタルおかしいな、そろそろ心療内科とか行ったほうがいいのかな、、とぼんやり考えながら仕事していた。
そしたら、やはりきてしまった、なんか、決壊みたいなのが。
画面見ながら涙が止まらなくて、でも手を止めたら終わらないから
ハンカチで目を抑えながら心を落ち着かせてひとつずつ、作業していた。
しかしながら全然この涙がとまんねぇんだ、びっくりするくらいに(笑)。
あーーーーーこれはちょっとトイレで一旦落ち着こう、と思って
トイレに逃げた。今更ながら業務時間なのにすみませんほんと。
トイレの個室で呼吸を落ち着かせて涙が止まるのを待っていた。
そのはずなのに。仕事の終わらなさ、突っぱね返された記憶が蘇って
気が付けば過呼吸になっていた。
偶然にも女子トイレが隣合わせだからか、聞こえてしまったのか、
事務のお姉さんがトイレに来て、名指しで大丈夫?と個室に向かって言ってくれた。
びっくりしつつ、すんません、、と思いつつ、大丈夫です、、と。。
たった一言の声かけだが、我に返り、少し落ち着いた。
「袋、洗面台のところにおいておくんで、良かったら使ってください」
そう言ってトイレから出ていかれた。心遣いに感謝だった。。
そこからやっとなんとか落ち着いて自席に戻れたが、多分3時間くらいおかしくなっていた。
また作業できなかった、残業だ、、そう思いつつ、泣き疲れて集中力がないまま、仕事するのであった。
その辺からな、最寄り駅から仕事場にむかって歩いていると、時々涙がでてきた。
これはちょっとやばいかも、と思った私は、勇気を出して心療内科に電話して、無事予約をとることができた。いやぁ~偉いよね、すばらし。
問診日、まだまだ作業があるけど、そこは一歩踏み出して「病院に行くので」と言ってなんとか定時退社し、病院へ向かった。
診察で、先生に今出ている症状、気持ちを伝えた時の先生の第一声を今でも覚えてる。
先生「転職とか考えてる^^?」
私「おおぁっ?いや~考えてないですけどこの会社にしがみついてる訳でもないですう、、」
とやりとりしたな、、。。びっくりした。
そこから、休職してみるとか、ちょっとその仕事から離れてはどうかと、割とサクッと言われてしもうた。
あ~休職。なるほど。それもあるな、、でもみんなに迷惑かけるな、、
私しか知らん作業とかあるし伝えるんか、、うげ~迷惑やな、、
と思いつつも、なんかもうけっこう限界やな、と思う自分もいて、
もう医者が言うならその手もありか、と、とりあえず診断書を書いてもらった。
家に帰って中身を見ると、「適応障害」の文字が。
なるほど。「うつ病」とかで検索して自分そうなのかな、って思ってたりしたけどそうか自分は適応障害なのかと。
そのあとは母に電話して、病院の出来事を伝えた。
母も「もう疲れたなら、あなたの好きなように。ゆっくり休んでいいんじゃない?」と言われ、
そうだよね、と思い、その日は寝た。とても深い深い眠りができた。
翌日に上司に電話で、診断書を貰ったので、休職したい、の旨を伝えた。
急が急すぎて上司はとても焦り散らかしてたと思う、事前に話せなくてすまんな、話し出しづらかったしこうなってもたわ。。
電話とメールで作業の引継ぎを連携し、その日は一旦有給となった。
もうめちゃくちゃ荷がほどけたのか、その日からとんでもなく寝た。とんでもなく。

1回目の休職

休職当初はめちゃくちゃそわそわしていた。
休職する旨の電話。その1本で全てが済むわけでもないので
2~3回上司・部長を交えての電話がほんんっととととうにしんどかった。
自分が弱くて情けなくて、怒られるのがほんとに嫌だから責められそうで。。
ただ時間は解決したというか。電話の難関を通り超えたら、
すごく疲れていたことに気が付いた。
一旦実家に帰って、お母さんの作ったカレーを食べて、ぼーっとした。
そわそわした気分も少しずつ落ち着いた。(処方されたお薬の効果もあった)

ちょっと思った以上に長々と書いてしまったので、
2回目の休職は次回に書きます。ながああ~
次回はサクッとした内容になってるかも。^^;

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