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マルキオンの聖書

小アジア(現トルコ)のポントス属州出身のマルキオンというキリスト教徒が、2世紀のローマで活躍した。職業は「船主」だったと伝えられている。裕福だったろうし、船に乗って地中海の各地を旅したかもしれない。彼はその思想の故にローマの教会から破門される。それで独自の教会を創立した。彼の教派はマルキオン派とよばれ、はじめはローマで盛んになり、のちにエジプト、メソポタミア、アルメニアなど各地に分散して、長く数世紀にわたって存続した。

マルキオンは旧約聖書に出てくるユダヤ教の創造神と、イエスが述べ伝えた神とは別のものであると考えた。旧約の神は人間を律法でがんじがらめにする神・ねたむ神・復讐する神であり、その神が創ったこの世は苦しみに満ちている。一方でイエスが宣べ伝えた神はまことの慈しみふかい至高神である。至高神は、自らとは何の関係もない低劣な創造神が造った人類を、純粋な愛のゆえに、その低劣な創造神の支配下から救い出して自らのもとに受け入れようとした。そのために至高神は自らの子イエス・キリストを遣わして人類に福音を伝えた。キリスト教が宣教する神は、「人間と何の関係もない」「異邦の」神である。なぜ、神は何の関係もない人間を救おうとするのか。義務では全くないのに他者を助ける、それこそが究極の愛、究極の善ではないか。これがマルキオンの理解するキリスト教であった。

イエスは言っている(新約聖書 ルカによる福音書 6:35)。

しかし、あなたがたの敵を愛しなさい。人に善を行ないなさい。また、何も当てにしないで貸してやりなさい。そうすれば、あなたがたの報いは大きく、あなたがたは、いと高き者の子らとなるであろう。いと高き者は、恩を知らないものにも悪い人にも、情け深いかただからである。(フランシスコ会訳)
しかし、あなた達は敵を愛せよ、親切をせよ、何も当てにせずに貸しなさい。そうすれば褒美をどっさりいただき、かつ、いと高きお方の子となるであろう。いと高きお方は恩知らずや悪人にも、憐れみ深くあられるのだから。(塚本虎二訳)

わたしも若い頃、福音書のこういった言葉に触れて、感動して心が暖かくなったことが、今日キリスト教を信仰している単純な理由だ。「いと高きお方の子」という表現などを読むと、マルキオンの考えはどうしてもイエスの教えから遠くない感じがする。日頃、旧約聖書を含めて通読している中で、心の奥に感じるモヤモヤしたものがすっきりするのだ。

このようなわけで、規範的な文書集、つまり「正典」を決定するというアイディアを持っていたマルキオンは、キリスト教徒には旧約聖書やユダヤ教的なものは必要ないと考え、独自のマルキオン正典を作った。これがキリスト教の歴史の中で、最も早い正典編纂作業であった。マルキオンは「ルカによる福音書」と10通のパウロの手紙の合計11の文書だけを集めて、自派教会で使わせた。この11の文書は全て原始キリスト教のテキストだが、マルキオンはユダヤ教的な要素を排除するため、テキストを全て改作した。ユダヤ教的な要素を二次的に付加されたものととらえていて、除去することで正しいテキストを再現しようとしたのである。また、福音書も生誕物語の部分がそっくり削除されている。イエス・キリストが、たとえそれが処女降誕であれ、創造神の作品である人間の女から生まれたのでは教説と矛盾する。したがって、イエスを至高神の元から直接に地上へと降りてきたことにしたのである。マルキオンはイエスの身体性を否定した。イエスは処刑の時も苦しまなかった、神が人間のように苦しむことはありえない、イエスは身体を持っているように見えただけだ(仮現論)と考えた。

悪である物質的な世界とそれとは別の霊的な世界(二元論)を考えているマルキオンの思想には、 グノーシス主義の影響も見られるが、グノーシス主義に特徴的な新たな福音書や預言書などの創作は見られず、むしろ正典の限定にこだわった。また、グノーシス主義者は自らの本質を「認識(グノーシス)」することを重視するが、マルキオンは「信仰」にこだわった。グノーシス主義と共通点もあれば相違点もあり、一言でグノーシス主義者とは言いきれない。「聖書の正典」いわゆる文書集というコンセプトを初めて打ち出し、独自の正典を作り、キリスト教の歴史の中で、文書集を決定してそれを信仰の基準にするという方法を初めて導入したマルキオンは、しかし、正統的な教会から異端として排除された。マルキオンの聖書編纂に対抗して、2世紀以降、正統的な教会が聖書編纂に取り組んだ結果、今日わたしたちは27の文書を集めた「新約聖書」を手にしている。

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