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消耗は自己責任

分散登校で学校が再開して、通常登校になり、あっと今に1か月が経った。娘は、気が向いた時に学校付近を散歩してみたり、先生に会いに行ったり、好きなことをして過ごしている。そんな娘を見ると、私の中に残っている心配が、むくむくと顔を出してきてしまうが、そんな心配はどこへやら、娘はあっけらかんとしている。

夕方の登校

学校でお友達が何をしているかは、気になるらしい。ある日、担任の先生から電話をもらい「『学校の近くに来られそうだったら、連絡してね』って言われた」と教えてくれた。とはいえ、どうするかな、と見ていたら、全児童が下校し終わった時間に「ママ、みんなが帰った時間なら、行けそう。学校に行ってみるから一緒に来て」と言ったので、学校に一報を入れて、行ってみた。

担任の先生が出迎えてくれ、校長先生も教頭先生も、教室まで顔を見に来てくれた。娘は照れながらも、嬉しそうだった。校門をくぐるのも、教室へ行くことにも、1年生の時のようなためらいは見られなかった。

担任の先生に、

「今日はね、国語と算数のテストと、踊りの音楽を聴いて感想を書いたんだよ。音楽、聴いてみる?」

と言われて

「うん、やる」

「テストはどうする?今ここでやる?お家でやってもいいよ」

「うーん、テストはお家でやる」

と、ニヤニヤと私のほうを振り返りながら、娘は返事をしていた。

先生から説明を受けている最中なのに、時々娘はその場で気になった対象に目が行き、話を聞いているのか?と思える場面があった。私は、ちょっとちょっと、聞いてるの?と、つい口をはさみたくなってしまったが、ここは、先生と娘のコミュニケーションの時間。なるべく介入しないようにしようと、黙っているのは、意外と大変だった。

宿題なども教えてもらい、

「よく来たね。来てくれて、先生嬉しいわ。また来てね。待ってるよ」

と言われ、先生と別れたら、放課後に校庭で遊んでいた、保育園から仲良くしているお友達に会った。喜んでお友達の近くに走り寄った娘。お友達は、きょとんとして娘に聞いた。

「学校、来てたの?」

娘は笑って

「うん、いま、ちょっとだけ来て先生に会ったの」

「へー」

そのお友達は、それで納得して、二人が共通して大好きな、プロ野球の話を始めた。娘にとっては、貴重なお友達との時間。もっと作ってあげたいな、と思いながら、私は一緒に帰った。

お見通し・・・

このままで大丈夫、と思いながらも、時々私は不安になり、娘が、学校に本当に行きたいと思っているのか、親の手前、本当は行きたくないのに「行きたい」と言っているのか、知りたくなってしまう。

学校に行きたい気持ちがあるのは、嘘ではないと思うが、散々マルトリートメントをしてきた私たち親に対して、これ以上叱られないために、娘は本当は行きたい気持ちがないのに「行きたい」と言っているのではないかと、疑ってしまう。そんな疑いを持つ自分に嫌気もさすが、とうとう、私は娘に聞いてしまった。

「ねぇ、学校には、本当は行きたいの?行きたくないの?ママはどっちでもいいと思うけど、本当はどうしたいのか、お話してくれたら嬉しいな」

娘はしばらく考えて

「本当は、行きたいの。でも、ドキドキしちゃって、行けなくなっちゃう。乗り越えなきゃって思うけど、できないから、どうしていいかわからない」

「ドキドキは、どんなドキドキ?」

「行きたいけど、行ったら目立っちゃって、みんなが『来たー!』って集まってきたらどうしようって思う。給食もドキドキする。お友達に『今日も休んでる、サボってる』って思われてるんじゃないかと思うと、ドキドキする」

「目立つの、嫌なんだね。サボってるって思われるのも、嫌だよね。じゃ、学校を休んだ時に、先生から電話がかかってくることは、ドキドキするの?」

「しない」

「電話は、かかってきたほうがいい?かかってこないほうがいい?」

「出るとき、恥ずかしいけど、かかってきたほうがいい」

「学校に来るの、待ってるよ、って、お友達や先生に言われるのはどう?」

「嬉しい」

一生懸命、泣きそうになりながら、声を詰まらせながら教えてくれた。

質問のつもりが、尋問になってしまった・・・と反省し、私の膝に座ってきた娘をぎゅっと抱きしめながら

「苦しいのに教えてくれてありがとう、辛い質問だったよね。ママも不安になっちゃって、聞いちゃったの。ごめんね」

と言うと

「不安で心配なのは、いつもママだけだよ。私は辛くない。ママ、いつも反省してるよね」

「え」

「ママは、疲れたら休んでいいんだよ。横になってても。そのままでいいからね」

と笑われた。

決壊

私は涙が出そうになった。「そのままでいい」は、私が娘にかけたい言葉だ。伝えたこともあるが、まさか、娘から言われるとは思ってもみなかった。

娘が自宅で安心して過ごせるようにしよう

親からの愛情は娘が望む形で表そう

心ここにあらずではなく、娘と一緒に遊ぶ時間を持とう

退屈しないように興味を持てそうなものを探して与えよう

お友達との接点を作ろう

学習面で遅れないようにしよう

学校でしかできないことも、家庭で工夫してやれるようにしよう

体力や運動量をどう補うか考えよう

偏りの少ない食事にしよう

学校という存在を娘が忘れないようにしよう

イライラしないようにしよう

ヒステリックに怒らないようにしよう

指示命令しないようにしよう

夫の機嫌を損ねないようにしよう

夫の帰宅時に起きているように頑張ろう

など、挙げればキリがないくらい、「こうしよう」と毎日考えてきた。それらを理想通りにできないことに、過度なストレスを「勝手に」感じ、自分をとにかく追い込んで追い込んで、自分で自分にダメ出しして、叱咤して、奮い立たせようとしている毎日。

学校の先生の前で笑い、娘のお友達のママさん達の前でも笑い、親戚の前でも笑い、娘の前で笑い、夫の前で笑い、私は大丈夫と思い込もう、心配をかけまいと必死で過ごしていたが、娘に見透かされた瞬間、崖っぷちに爪先立ちして落ちないようにしていた力が、一気に抜けてしまった。

そして、夫のいる前で、崩れた。

その時、学校からの電話が鳴った。

何を口走ったか、覚えていない。

ただ苦しくて、担任の先生に「もう電話できません」と泣いて話したことだけ、覚えている。

夫が慌てて私から電話を取り、先生と長い間、話をしていた。

睡眠時間は十分過ぎるほど確保していたが、朝目覚める時はいつも、胸や胃のあたりが重かった。朝日を見ても気は晴れず、明るい気持ちに切り替えられなかったのは、よく考えればおかしい。

完全なエネルギー切れだった。

誰にエネルギーを奪われたわけでもなく、自分自身で勝手にエネルギー不足を招いていたことが、平静さを取り戻した今はよくわかる。

エネルギーを蓄えるのも、消耗しつくすのも、自分次第だということだ。

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