見出し画像

夫に左右されない「在り方」を目指して

不安定な母を「そのままでいいんだよ」と受け入れてくれる娘だが、いつまでも甘えているわけにはいかない。いや、甘える時もあっていいが、それだけではいけない。

先送りをやめる決意

私は娘に謝った。彼女はいつものように優しく笑い、「いいよ」と言ってくれた。

娘には、素直に非を認め、本音を話せても、なぜか夫には、私のほうが年上だという変なプライドや、働いていない私がモノ申してはいけない、どうせわかってもらえない等の思い込みがあって、なかなか話せない。

その壁をクリアしないと、先に進めない。それはわかっているのに、どうしても勇気が出ず、先送りにしてきての、今。直観で「この機を逃してはいけない」と言われている気がして、何とかして、夫と話さなければと考えた。

平日は早朝に出勤し、深夜帰宅の夫と、顔を合わせるのは朝の30分ほどしかない。身支度をしながら話すのは、違うと感じていた。週末は時間があるが、娘が夫にべったりで、大人同士で会話をする時間はほとんど無い。娘が寝た後に話せばいいのだが、「一緒に寝ようよ」と誘う娘に乗り、家族全員で同じ時刻に寝てしまい、大人だけの時間を作れていなかった。

私が決壊してしまった日、夫は仕事を休んでくれた。私の様子が変だったので、夫は娘を説得し、実家に数時間預けて、二人で話そうとしてくれた。それは願ってもないチャンスだったが、私は何時間経っても落ち着きを取り戻すことができず、懸命に話そうとしてくれる夫に、八つ当たりしたり、揚げ足を取るような話の仕方しか、できなかった。

夫は私を落ち着かせるため、娘を迎えに行きながら、数時間、私にひとりの時間を作ってくれた。

私は一人で横になり、深呼吸し、冷静さを取り戻そうと目を閉じた。眠気も訪れず、目が冴えてしまい、かといって思考も働かず、とても変な、うつうつとした数時間だった。白いはずの天井が、灰色になっている気がした。

静寂が心地悪くて、思わず私は、児童相談所の緊急連絡先に、電話をしていた。電話口の女性は、一通り私の話を聞いた後、

「この電話では、詳細は承れないので、別の窓口をご紹介しますね。こちらにお電話をかけなおしてみてください」

と丁寧に、別の窓口の電話番号を案内してくれた。

私は、そこには電話はしなかった。たらい回しにされるのが、目に見えるようだった。

結局その日は、夫と向き合うことができなかった。

再挑戦

できるだけ早く、あの日から時間が経過しないうちに、冷静に、穏やかに、自分のしたことを謝って、素直な気持ちを伝えたい。

そう思っていたら、再びチャンスが訪れた。

夫と娘は、プロ野球中継に夢中になっていた。私は別室でアイロンをかけていたが、そこにふらっと、夫が入ってきた。

今しかない。

私は夫に、恐る恐る声をかけた。

「この間のことなんだけど・・・仕事も急に休んでもらって、ちゃんと話そうとしてくれたのに、話せなくて、ごめんなさい。」

勝手に被害者になって、夫を信じず、頼らず、何もかも一人で解決しようとしたこと。

育児に協力してくれようとしたのに、娘に危害を加えられると勝手に感じて跳ねつけてしまったこと。

夫は夫なりに、家族を思ってくれているのに、何もしてくれないと不満だらけだったこと。

私の行動を「我慢もせずに自分勝手だ」と言われて、これ以上まだ我慢させるのかと、腹が立ったこと。

「じゃ、どうしたいの?」と問われて、答えられなくて、責められた、何もわかっていないと怒りを覚えたこと。

仕事が忙しく睡眠不足で毎日「疲れた」と言っている夫に、家庭や育児の悩みを打ち明けて、負担をかけたくなくて、黙っていたこと。

でも、黙っていることが、辛かったこと。

解決方法がわからなくても、ただ、話を聞いてもらいたかったこと。

夫は静かに、うつむきながら、聞いてくれた。ピリピリした空気も、強い語気も、そこにはなかった。

もっと素直に、自分の気持ちを伝えればよかった。ひねくれた伝え方しか、できなかった。

繰り返さないために・・・

私は自分に自信がないから、夫の賛同を得て、これでいいんだ、と思いたかった。だから、賛同を得られないと、自分のすべてを否定されたと勝手に解釈を膨らませ、それ以上否定されるのが怖くなって、話すのをやめていた。

そもそも夫とは、育った環境が違うから、価値観も完全には一致しない。それは当然で、「へー、そうなんだ」とすんなり受け入れられる価値観もあれば、「え?それ?」と受け入れられない価値観もある。

価値観には「正しい」も「間違っている」もない。

頭で、そうわかっていても、私は特に、育児、教育に関して大切にしている価値観を、夫と完全に一致させたかった。私の価値観に、合わせてほしかった。私の価値観こそが正しく、それに沿っていれば、絶対うまくいく、と根拠なく信じていたからだ。

だが、何をもって育児、教育が「うまくいった」と捉えるのだろうか。親が考える基準など、有って無いようなもので、子どもが求める幸せとは、一致しないかもしれない。

そして、お互いを否定しあう夫婦関係・・・。

夫婦で完全に価値観が一致していれば、生活面において衝突は少ないし、何をするにも賛同は得られるだろう。平穏な生活はできる。だが、あえて違う価値観の人との結婚を選んだということは、「違い」を知り、そこから自分の成長につながる「何か」があるからだ。

夫には、夫が大切にしたい価値観や考え方がある。夫の不機嫌や、私との考え方の不一致に左右されて、いちいち落ちこんで、被害者を演じないために、私は、どうすればいいのだろう。

決してやりたくもないこのゲーム。娘の不登校をきっかけに、ここ1年、続けてしまったが、これ以上続けたくないし、夫婦関係もこのままでいいとは思わない。私の行動の何を、どのように変えていくかを、具体的に考えて、実践していくしか、ない。

ある日娘が言った。

「今は、家族がつながっていなくて、パズルのピースみたいに、ばらばらになっているの。でも、協力すれば、ピースをぱちぱちつないで、パズルは完成するでしょ?私は、きっと、3人でパズルは完成できるって、信じてる」

パズルの完成を目指して、ハマりそうなピースを見つけ、一つ一つはめていくプロセスを、楽しめるようになりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?