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3124人/9029、一瞬の存在、哲学文化人類学新宿俳優~647日目

 都内新規感染3124人/9029、3000人超は昨年9月2日以来、2日連続で前日より1000人前後増加。都基準重症者4人(±0)(国基準190人)。死亡発表なし
 病床使用率12.4%(861人/6,919床)、都基準重症者用病床使用率 0.8%(4人/510床)、国基準重症者用病床使用率12.9%(190人/1,468床)(※国基準はICU=集中治療室利用等含む)
 都知事、病床使用50%で「緊急事態宣言」の要請検討(病床使用率が20%で、まん延防止等重点措置)
 都、コロナ警戒度で、感染状況レベルを4段階のうち上から2番目に引き上げ。医療提供体制のレベルも下から2番目に引き上げ
 ※追加 全国感染1万8000人超
 大阪府新規感染2452人、沖縄新規感染過去最多1817人 
 ワクチン5~11歳に拡大、20日にも承認へ

 東北新幹線、ポイント故障で午後0時半まで運休
 ※追加 国民民主党と都民ファーストの会、合流へ

自ら尻を叩け! もう2022年の24分の1が過ぎようと

 正月太りの前からひどいコロナ太りの加速した身体の醜さに嘆息しつつ、日々を生きる。「そのうち」痩せるのか?いや。。
 今は「時間」がある。あると食べる、することがないので寝る、そして太るという悪循環。甘えていると言われればそれまでだが、人間、ほどほどにやることがあるのがいいようだ。つまり、人生に正解はない
 といって、開き直ってばかりでもいけない(底が近い場合は開き直りも必要だが)。自ら尻を叩け! もう2022年の24分の1が過ぎようとしている。

コロナ何度目かの段階、自分はどう動くか

 コロナが何度目かの段階に入ろうとしている。
 ただ闇雲に籠ることで「いいんだよね!」と自他に問いかけ、「いいんだ」というサインを為政者や公的機関やメディアから受け取って自らを安心させようとしていたひきこもり時期。気が付くとその間にも動く人は動いていた焦った時期。「大半の人と同じように」ゆるゆると動き始めた時期。そして今、オミクロンという感染力は強いが症状の軽いと言われる株の感染爆発を前に、自分はどう動くか、問われる時期。
 ……とにかく2年間は生き延びたのだ。残りの人生丸儲け、て生きていくか。いずれにしても、闇雲にひきこもることに自発的に戻ることはなかろう。しかし、そうした日々の中で感染した時、どう思うのか。。
 も考えつつ、しばらく旅行に行ってないな、とつぶやく。
 そして、音は更にうるさい。

食べて排泄して寝て起きるだけ、では、生きていない

 なんのために生きているのか、何度も何十回も自問した日々。おそらく他人もそうであろう。食べて排泄して寝て起きるだけで、為政者は「生存者」の数を維持して安堵するのだろうが、人間としては、生きていない。
 では、人間として生きるとは何か。何かの一瞬の中の、大宇宙の一瞬の中の、宇宙の一瞬の中の、銀河系の一瞬の中の、太陽系の一瞬の中の、地球の一瞬の中の、日本の中の、比較的人口密集地の片隅の、一瞬を生きる。まだ生きている。
 自分のこれまで生きてきたこと。これから生きること。
 わかっていることは、死ぬまで生きること、それのみ。

この一瞬、存在する

 研究者としての哲学者になるわけではない。が、こうやって考えていくこと自体が、哲学的思考なのだとは思う。様々な人の思考をたどる。
 このまま、何の成果もなしえないまま世から消えることがあろうとも、この文章は一瞬、存在する。この一瞬、存在した自分と共に。

『世界哲学史』『文化人類学の思考法』


 全8巻なのでまだ読書途中だが『世界哲学史』(ちくま新書)は、西洋的思考による哲学の枠を一度とりはらい、見直す作業で興味深い。と思っていたら、「やはい」キリスト教の世界に入ってきた。神の在り方、とらえ方について命を賭けて論争していた人たちがいた。
 『文化人類学の思考法』(世界思想社)も同時併読でまだ途中だが、基本は「西洋的近代主義思考(志向)」によるレッテルの見直し、らしい。
 西洋中心主義の見直し、という視点は、日本人には持ちやすい視点であり、この後、日本の勉強に入るべきかもしれぬが。ま、世界哲学史を8巻読み終わって考えよう。

『新宿学』

 戸沼幸一編著『新宿学』(紀伊国屋書店,2013)は、長らく家に積読になっていたものだが、読みだすとさくさく進んだ。地形、遊郭、鉄道と商業の発展、最後は新宿駅の上に人工空間を作ろうという提案まで。二丁目、歌舞伎町。
 都市計画、まちづくりを手掛ける大学関係者の中でも、これは、早稲田グループ。早稲田と言えば高田馬場、なんだが、そういや「新宿区高田馬場」だった! 著者の戸沼さんは早大生は新宿で遊ぶ記憶、から私的部分から掘り起こし、「なぜこの人がこれを書いたか」の部分はしっかり押さえている。一方、研究部分では客観的に突き放して記述しており、バランスのとれた一般向け書籍と言えよう(学術書ではない)。
 心に残るのは、「宿」(と言っても、高井戸宿より遅れ、地元の請願でできたらしい)の宿命としての飯盛り女、そして遊郭、赤線、青線という歴史である。人間の「性」、せい、さが。が、淡々と、街、町の視点から記されている。

紀伊国屋で、鴻上尚史『俳優入門』を手にとる

 さてその新宿、紀伊国屋書店4階の北奥には、最近座席改修された紀伊国屋ホールがある。その手前、左側に「演劇」のコーナーがある。
 劇場のまさに目の前にして、それほど大きな空間とは思えない、蔵書もそれほど多くはないかも。が、歌舞伎や能、落語、講談といった「伝統芸能」は通路を挟んで右側手前に置かれており(そちらの方が空間としても大きそうだが)、劇場に入らんとする目の前に現代演劇のコーナーがあるのは、この書店の一つの姿勢の表れでもあろう。
 たしか、4列(か5列)で、一番右がミュージカルで宝塚関係もこちら。真ん中が演劇論的なコーナーで、左側が戯曲集などという取り揃え。
 で、高山明『テアトロン』(河出書房新社、2021)などを手にとるついで(すみません)に、『鴻上尚史の俳優入門』(講談社文庫、2018)560円∔税を買ったのである。

 ここまで、自分はさんざん、演劇のプロとアマの違いについての混迷を書き連ねてきたが、そこには鴻上流一つの答え、があった。それはそれで参考になった。ここまで、自分であれこれ考えてきた、その過程に意味があり、また、その過程で鴻上氏の本に出合うのも、ひとつの出会いである。
 (もちろん、他にも演劇論はそこそこ読んでいるが、鴻上氏のは高校生にもわかりやすいような内容だった)
 長いので、続きはまた。そのうち???

 皆さまのご健康を。

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