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何度もミスをする人を「切る」前に読んでほしいこと

読んで欲しい人

ソフトウェア開発で業務委託や派遣社員など定期契約を結んだ人と一緒に仕事をしている人、該当した人、管理やリーダーなどをしている人、これからする人

書いている人は

業務系・Web系のソフトウェア開発で業務委託、派遣メンバーで構成されるチームでプロジェクトをやっていた人

これを書くきっかけ

Twitterのタイムラインに「何度指摘してもミスをする業務委託をどうしたらいいか?」というようなツイートに誰も反応してなかったから

返事ができない、難しい理由

「・・どうしたらいいか?」という部分で言えば「(契約を)切りたいなら切ればいい」バッサリと一刀両断だ。「何度指摘しても・・」という部分で言えば、「よほど覚えの悪い人なら仕方ない」と、理解してもらえるようにも思う。非情だなどと思われることは少ないだろう。

ただ、働いている人なら誰でも一つや二つは仕事上の失敗をした経験があるものだ。また、業務委託や契約社員の(契約を)いつ切られるかわからない不安定さを知っている人なら他人事とはいえ軽々に言葉を発することは躊躇われる。

このツイートを見て私は「そもそも前提や心得違いがある」と感じたし、もう少し深掘りして書き残すのも悪くないことだろうと思いたった次第であれこれと書いていこうと思う。

ミス、失敗が起きるとは何か

ミス、失敗があるということはかえせば必ず成功することが可能であったということに他ならないが、では、なぜミスを、失敗をするのか、したのか。

・指示が明確でなかった
・手順や方法がわかりづらかった
・思い込みでやった
・確認不足だった
・etc

ミスを、失敗をする理由なんてものは星の数ほどもある、は言い過ぎかもしれないが本当に色々とあるものだ。通勤途中に黒い猫を見たから、まであるかもしれない。まあこれは現実に理由としては言わないかもしれないが、私にも家人と出勤前に揉めたことで集中を欠いてしまったということはある。障害レポートなどの人的理由に本当に原因があったのかが怪しいことが多いのはそのせいかもしれない。

また、冗談でもなんでもなく、どうやっても失敗するだろうという仕事というものが存在することも付け加えておく。(大赤字を出した案件で謝罪したら、あれは誰がやっても失敗する案件だったと言われたし、私も内心そう思っていた)

失敗は人に帰属させない

「罪を憎んで人を憎まず」ではないが、失敗をその人に帰属させてはいけない。まずこれを前提に考えることだ。失敗したのがたまたまその人だっただけのことで自分や他の誰かがやっても同じ結果になる可能性はあったと考える。管理する側にいるとついつい自分がやれば失敗などしないと思いがちだが、人にやらせるなら「失敗させない」責任があるということを忘れてはいけない。

指示や手順の単純な遂行ではなく、能力や判断の誤りがミスの原因になったようならこれは仕事を依頼した側の責任だ。適任ではなかったということであり、これも個人に帰属させてはいけない。別の適任者に依頼するか、現在の担当者にスキルアップを促すなり、教育するなりすればいい。

謝罪は受け止めるだけでいい。脊髄反射で責めるな

私の知る限りほとんどの場合失敗した人はできる範囲には謝罪するものだ。私自身が謝罪を受けることもあるが、受ける側としては単に受け止めるだけで殊更に失敗したことそのものにしろ、失敗した人にしろ何か言うことは避けている。謝ろうとしている、謝っている人は相手の言葉に敏感になりやすいものだ。些細な一言で大きなダメージを与えてしまうことがあることを私自身も経験して知っている。まずは起きてしまった問題の対処に専念することを第一に、経緯の分析やらの諸々は後の事にしたほうがいい。

人は誰しもが平穏に幸せに生活したいと望んでいる

誰も失敗したくて失敗はしないのだから、大きな広い心で、と言っても管理するこちらも人の子だ。トラブルは面倒だし、リカバリーするのも、エスカレーションするのも、謝罪するのも、体力も時間も精神も削られるものだ。それでもひたすら冷静に。やがて訪れる平穏を手に入れるためにもだ。だから人は責めない。管理している自分も含めて責めないことだ。後、怒ってはいけない。怒りは事態をややこしく、より悪化させる。

透けて見える優越

業務委託や派遣社員の契約を切るということは生活の糧を奪うということだ。彼ら彼女らも承知の上だから仕方がないと言う人もいるだろうがこの事実は変わらない。人から仕事を取り上げるということはとても重みのあることだ。生殺与奪に等しい。このツイートにはそれを自由にする権利を持つ優越が透けて見える。穿ち過ぎとも思うが、私の周囲にもたくさんいそうなのであえて書いておく。軽々に考えていいことではない。

泣いて馬謖を切る、か

「泣いて馬謖を切る」とは、規律を守るために私情を捨てて処分することを指す故事だが、そこまでの思い入れは無くてもプロジェクトの途中でメンバー(の契約)を切るということは私にとってはとても気の重い事だ。悩みどころは、切ったメンバーよりもむしろ残ったメンバーに対する影響だ。

その人の後任もプレッシャーを感じるだろうし、人の心を冷やすことはとにかく避けたい。

前述したようにまさしく殺しにかかるわけだから、正当な理由があり判断が妥当である事が求められる。その上で理と利にかなうのであれば、泣いて馬謖を切るのは。

重みをわかった上で相談なんぞせずに黙って切れ

人の代わりはいくらでもいるからサクッと切って次に行こう、とポップに言ってしまえるならそこまでの話です。

ここまで書いたことをわかっているなら、「黙って切れ」が私の回答になるでしょうが、そうでないなら「お前が詫びるのが先だ」でしょうか。なぜ「黙って」かというと馬謖を切る辛さは自分にしかわからないものだからです。

失敗できる場所は成長できる場所

最後に少しだけ。私がプロジェクトをやっている時に重視していることの一つにそのプロジェクトが関わっているメンバーにとって漏れなく成長できる場所であってほしいというのがあります。

みんな失敗していい。
だからチャレンジしよう。
やったことがないならやってみればいい。
失敗したら次は失敗しない方法を考えればいいだけだ。
バランスは私が取るので気にせずやっちゃいな。

同じプロジェクトのメンバーじゃないの、みんなで成長しましょうよ。

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