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「信じる」ということについて。

昨日、こんな記事を見かけました。

「信じる」ということについて、思ったことを書いてみます。

これは、本をよく読んでいる人の発言だ。

まず、読んで思ったのが、よく本を読んでる人の発言だ!と思いました。
なので、驚くに値するようなコメントではありません。

実際に、芦田愛菜さんは読書家みたいですね。

私も本をよく読むから、分かるんです。

本を読んでいれば、こういう思考になっていくものです。

というより、だいたい読んでる本わかりますね。
アドラーとか絶対に読んでるでしょと思いました。

「信じる」のは、「私」がするもの。
「裏切られた」というのは、私が感じるもの。

「信じる」ということについて、思ったことを書いてみます。

私が「勝手に信じた」だけ。
私が「勝手に期待していた」だけ。

相手が「裏切った」のではなく、
私が「裏切られた」と感じているだけ。

相手は、相手の思うままに行動しただけであり、
別に「裏切ろう」とは思っていないはずです。

相手は相手で、自分の信じる行動をしただけ。
「私」と「相手」は、別ですからね。

勝手に信じて、勝手に期待して、勝手に裏切られたと
1人で騒いでいるだけです。

受け取り方は、人それぞれ。

私が、挨拶を「した」。相手は、挨拶を「された」
第三者的に見れば、そうなりますね。

でも、相手が「挨拶をされた」と思うかどうかは
別問題
ということがわかりますか?

「挨拶された」ではなく、
「声をかけられた」と受け取るかもしれないし、
「絡まれた」と思うかもしれません。

「主体は相手」であり、人はそれぞれ「主観」で判断するから、
私と相手が、どういう認識をするかは、絶対に一致しないんです。

だから、自分勝手な視点を押し付けないで、
「自分目線で考えるのではなく、相手目線で考える必要がある」
と思います。

「信用」と「信頼」の違い

さらに、この場合の「信じる」は、
「信頼」ではなく「信用」の方の「信じる」じゃないかと思いました。

「信用」とは、過去の実績や行いから、評価をすることです。
例えば、毎回待合せ時間に遅れてくる。そうすると、
「あー、この人は時間(約束)を守れない人なんだな」
と思うようになりますよね。

「信頼」とは、ただ信じることです。
そこに過去のデータは必要ありません。

「信用」は、過去の実績からの判断であり、
この人は「裏切るわけがない」「約束を守ってくれるだろう」
という「勝手な期待」がそこにあります。

勝手に期待するから「裏切られた」と感じるわけで、
そもそも期待しなければ、
ただ「結果」という「事実」を受け取るだけです。

これは「信頼」という行為です。
相手は一切関係なく、ただ私が信じているだけ。
勝手に自分が信じているだけだから、相手の行為は問題としない
わけです。

高校生とは思えない大人顔負けの発言?

ちなみに、記事中に
「高校生とは思えない大人顔負けの発言」
と書かれていましたが、年齢は関係ないですね。

「高校生はこういうもの」
「高校生がこんな発言をするわけがない」

という思い込み、勝手な期待がそこにありませんか?

それとこの文章から「子供は未熟だ」という価値観も見えます。

そもそも、今の大人が未熟なだけであって、
子供が未熟ということにはなりません。

明治以前は、12〜16歳くらいで成人の仲間入りしてましたし、
江戸時代の寺子屋では、みんな『論語』を素読していたそうですよ。

明治以前の子供たちと、
ゲームばっかり、テレビばっかりみて
育ってきたような我々とは全く違うんです。

現代になるにつれ、どんどん人間が劣化しているんでしょう。
愚民化政策にまんまとやられてますからね。

「人間力の差」は「時間の質の差」。

人間というものは、知識と経験の差で、
人間力に大きく差が出る
のだと思います。

それは「時間の量」ではなくて、「時間の質」の差です。

誰しも平等に与えられている24時間という時間を
どのように過ごしてきたかの差。

大人は、子供より多くの時間を過ごしてきていますが、
果たしてその「質」はどうなのか?

芦田愛菜さんは、良い時間の過ごし方をしてきたんでしょう。
子役時代から色んな大人を観察してきてるでしょうしね。
良いお手本や反面教師となる人がたくさんいたはすです。

国民から愛されたという経験が、こういう人格を作ったのかもしれません。
いや、親がいいんだろうな。とにかく、素晴らしい(^^)

16歳でも、きちんと自分で考えているから、
良い時間の過ごし方をしてきたから、
こういったしっかりした受け答えができたのだと思います。

16歳でもしっかり人間ができていて、人間力が高いですね!

勝手に自分の思い込みで、判断してませんか?

ちなみに、実のところ、テレビを全く見ない私は、
「芦田愛菜」を良く知りません(笑)

子役として売れたということは何となく知っていますが、
ドラマも見てないし、まるまるもりもりとかなんとか言ってたのは、
なんとなく知っているだけで、どういう人なのかは良く知りません。

だから、「芦田愛菜」に関して、
余計な解釈がそこには入り込んでいません。

基本的に、芸能人に興味がないんですね。映画は観ますけどね。
テレビドラマは観てません。
こういう人も、世の中にはいるんですよ。

「芦田愛菜」は、みんなが知っているはずだと思う人がいれば、
それもその人の勝手な思い込みであり、事実ではありません。

「事実」と「主観」は分けて考える必要があります。

今ここにある事実は、
「芦田愛菜」という人物が、このような「発言」をした。
ということだけであり、
この事実に「どんな解釈をつけるか」は「その人次第」なんですね。

この記事は、「五木田の解釈」であり、事実ではありません。
「五木田がこういう解釈をした」という事実が新たに生まれました。
そこに「あなたがどういう解釈をするか」は、また別の問題なわけです。

今日のこの記事が、好きか嫌いか、興味がないかも
あなたの問題であり、私の問題ではありません。

これは、「私が好き勝手に」書いているだけであり、
これを読んでくれた方が、どんな解釈をするかは気にしていません。
どうでもいいんです。書きたいことを書いているだけですから。

ブレない自分の軸をもとう。

最後に、

信頼とは、裏切られてもいいというか、
裏切られても気にしないという状態です。

裏切られるとかどうとか全く考えていない。
仮に裏切られたとしても、自分が勝手に信じただけと思える状態です。

「裏切られた」とかって、相手に依存しちゃってますよね。
その発想って、相手ありきになっちゃってる。

裏切られたら困る。
じゃなくて、
裏切られても困らない状態になっておけばいい。

裏切られたら困る状態なら、
まだ「信じる」という状態に達していないように思いました。

相手がどうしようが、自分がどうするかだけ。
揺るぎない自分がそこにいれば、
どんな結果になろうとも受け止められるはずです。

そうなると、自分を磨き続けるだけ。

そのためには、
いろんな知識と経験をどんどん積んでいくことかなと思います。

最後まで、お読みいただきありがとうございました。

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