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安子誕生秘話

昭和35年の夏。
おそらく妊娠7ヶ月。
私が母のお腹で認知されたのは多分その頃だったらしい。

父は大正3年生まれ。満州に11年滞在、東京で関東大震災経験者、6人兄弟の長男。母は昭和7年生まれ。代々続く校長先生一家の9人兄弟の長女。

横浜のダンスホールで出会った二人。                 遠くに座っていた母を見て父が一目ぼれ。ボーイを介して赤いバラの花束を100本送ったとか。

そしてそのチークタイムでエスコートをしてからすべてが始まったと聞いている。
ただ・・・ 結婚までには2年の月日がかかったらしい。
それはそうだろう。予測もできる。
何故なら固い教育一家にはありえない展開だから。
ちなみに9人兄弟のうち8人は全員お見合いで結婚している。
父と母は18歳違いで、しかも・・・

それでも父は通って通って勝ち取った承諾。
そこには、父の立場にものを言わせたきらいがある。
彼はある大手ゼネコン会社での重要な人事のポストにいたのだ。
のちに、男の兄弟3人の就職に力を貸している。

とにもかくにも晴れて東京の四谷のど真ん中でアパートを借りて二人で暮らし始めたのだが、すぐに練馬に家を買う。時は昭和30年代半ば。オリンピックの東京開催も決まり、近くに環状七号線もできるから土地の値段も跳ね上がるであろうとの父の判断である。と、それだけ聞けば新婚生活は一軒家からのスタートで幸せいっぱい! の話しになるだろうが、そうは問屋がおろさなかったようである。

引っ越しして3日目。突然父の母はやってきた。
どうやら一緒に住むらしい。
そして姑のああだこうだは朝5時から始まる。
『ミチコさんおはよう。お腹がすいたわ。早く食事の支度してちょうだい』
父は父で、毎晩毎晩午前様のお帰りで当然帰ってくるまで妻は起きて待っている。

毎日が3.4時間睡眠。
当時としては嫁として、妻として、ごぐごく当たり前の毎日だったのかもしれない。ただ、、、母の体重はあっという間に38キロまで落ちたと聞いたことがある。そんな体調もあってか、子どもを授かることがなかった母に、
医者は保険証に『永久不妊症』という判を押したそうな。

そうだっからか・・
その翌月、今度は布団とともに男の子が現れた。
私の13歳違いの兄登場である。
父は、以前の奥さんとの間に3人の子どもがいた。
女、男、女と。
詳しくはわからないが嫁と姑が合わず困った父は長男の役割なのか、はたまた母に一目ぼれして心が移ったのか、別れて母と一緒になった経緯があり。
ただ・・子どもができないと知った途端、父の判断なのか、姑の指示なのか、男の子である兄がやってきたのだ。
小学6年生。
どんな気持ちだったんだろう・・・
突然兄弟から引き裂かれて、知らない土地で、しかも今日からこの人がお母さんだよって・・
母にとっても一番下の弟よりも年上の子どもの母になる感覚とは?

ただしそんな生活もまたまた変化が起こる。
昭和34年、姑他界。

黒部ダム。
このデカイ現場に関わってなかなか帰ってこない父であったが、夏休みや年末は家族と過ごすことを優先していたと聞く。
そんな昭和35年の夏のこと。
伊豆の海水浴場での会話。
父「ミチコ、最近太ったんじゃないか?」
母「そうなのよ、なんか最近急にお腹が出てきちゃって。で、よくゴロゴロ動くのよ~」
父「そうなんだ。ビールの飲み過ぎなんじゃないか?」

いえいえ、違います。
それ私ですから。
私がいますから。

そして・・・そこからまた新たな展開が始まるのである。


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