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山とさつじん

私は貧乏でした。不幸なことと言えば不幸なことなんでしょうが、その選択をしたのは私自身でありまして、今度の殺人の犯人は間違いなく私でありますし、殺人を起こらしめた大元の原因もへったくれの私めにございます。しかし私には一つ思うところがあるのです。

私は山が好きだったんです。幼い頃からでした。山というものが人知を超えた魔力を持っていると信じているんです。今はもう、こんなこと語り継ぐ人は居なくなってしまいましたけれども、昔、山村や山の麓の村では神隠しなど誰でも言伝に聞いたことくらいはあったんです。神隠しにあうのは大抵子供でした。私の村でも二三回くらい起こったことがありました。隠されたのは全員子供でした。そのうちの一人は私の姉で。当時の私はまだ赤ん坊で、姉なるものとの記憶など残っているわけなどなく、四五枚の写真で姉を偲ぶしかありません。もうどれも手元には残っていないけれども。

姉は八歳で神隠しにあいました。その時期は刈り入れ時で、村の者はほとんど田に出て行ってしまって、私の家は私と姉と二人の兄、祖母があるだけでした。祖母は赤ん坊の私につきっきりで、姉は二人の兄と落ち葉を集めて火をおこしていました。兄たちも、気づいたら姉が何処かへ行ってしまったと言っておりました。私の家の裏にはすぐ山が聳えており、子供一人でも簡単に入っていけました。兄たちが姉のいないことに気付いて、祖母に話すと、それはたいへんじゃあの山には天狗がおるな、入るなと言っておったじゃろうが。大体こんなことを言ったんだろうと思います。私も祖母から、お前の姉さんは天狗にさらわれたんじゃ、としきりに言われてきましたから。村の大人が帰ってきて、総動員して探しました。昔は街灯など都会にしかなかったもので、釣り行灯をぶら下げて探したそうです。姉は夜更けになっても見つからず、二度と我々の元には帰ってきませんでした。

そんな姉の神隠しの妖しさが私を山に惹きつけたのだと思います。妻、十歳の息子、養子の娘がありました。その三人を連れて、山で二年暮らしました。一年目に妻が死にました。病気でした。そしてご存じの通り二年目に子供二人を殺しました。そのころ国は恐ろしく不景気でして、さらに気候の不運が重なり、山で食える物はありませんでした。私は木を切って炭にして、山を降りては売りに出ましたが、米一杯ぶんのお金にもなりませぬ。また山に登って帰ってきて、痩せこけてひもじい思いをしている子供を見るのは辛く、いつしか顔もまともに見ぬようになりました。

ある日のことでした。例の如く山を降りて炭を売りに出ましたが、誰も買ってはくれず、しょぼんと小屋に帰ってくると、二人が一生懸命に斧を磨いていました。斧は木を落とすようのもので、おい、何をやっていると聞くと、おとう、これでおれたち殺してくれ、と言いました。そして小屋の入り口にあった材木を枕にして二人並んで仰向けに。私はなんだかスカスカして魔が差して、前後の考えもなく二人の首を打落としました。

二人の子供を殺してしまって、老人一人が残って、なんと滑稽なことでございますか。しかし当時の私はなにかに取り憑かれていたんでございます。山の神か、狸か天狗だったか。二人を殺したとき、私は写真でしか見たことのない姉を見ました。小屋の入り口の真向かいに、小さい杉木立があって、そこに立って私に手をこまねいたんです。それで私は子供たちは神隠しにあったんだと合点がいって、自分が殺したことに気付いたのはそれから三日後くらいでした。気付いて急いで子供たちの死体を見るともう腐ってしまって、多くの蠅や蟻が肉まで囓ってしまっていました。

思えば山に二年住んでいたこと自体、おかしなことでした。一カ月ほどで生活が苦しくなりましたのに、家族の者は誰一人山を降りたいとは言わなんだ。まるで自分たちが山でしか生きられないみたいに。

私の家族は神隠しにあっていたのではないでしょうか。

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