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011 『花束みたいな恋をした』/絶妙な恋愛映画じゃない恋愛映画

今年はじめて映画館へ。

コロナの感染者が増加していた12月末〜1月は、映画館へ行くのを我慢した。

なぜなら観ようと思っていた映画が、
『新 感染半島 ファイナル・ステージ』。

洒落にならんわ!

これ観に行って、なんかあったら。

といわけで、鑑賞を見送っていた。
(関係者のみなさん すみません......)

だけどすぐに“映画館へ行きたい欲”が湧き上がる。

そんなとき
『花束みたいな恋をした』(以下、本作)が話題に。

TBSラジオの『アフター6ジャンクション』で、ライムスターの宇多丸さんが映画評論をされていた。

しかもSpotify限定で、本作のネタバレ討論も配信(『別冊アフター6ジャンクション』)。

宇多さんが別枠で映画の話題を配信するってことは、ガチってことだ。

観なければ。

というわけで今年初の映画館へ。

結果、洒落にならない映画に出会った。


※以下、ネタバレが含まれます。


なんなんや。
この絶妙な映画は。

主人公2人が絶妙。

会話の中身が絶妙。

2人の存在感が絶妙。

ファッションが絶妙。

2人が暮らす場所が絶妙。

有村架純の佇まいが絶妙。

菅田将暉のすね毛が絶妙。

オダギリジョーの胡散臭さも絶妙。

なにもかもが絶妙なバランスを保っている。



本作のあらすじは、

サブカル(サブカルと呼ぶかどうかは各々の感覚に委ねます)好きの男女2人が、
終電を逃し、平山夢明みたいな格好をした押井守を見かけたことで意気投合。
恋人同士に。ララランド。

ざっくりそんな内容である。


本作が、なぜここまで心に刺さるのか。

それは第一に邦画だから。
という理由があるだろう。

リアルなんだ。
空気が。
なにもかも絶妙だし。

初デートが『ミイラ展』である。

私もあのミイラ展に行きたかったのだが、母の病気がわかったので行かなかった。
家族が死にそうなのに、ミイラって......と
非難されるのを恐れたからだ。

あのミイラ展、目玉は“猫のミイラ”だったな。

本作も猫が登場する。

ペットは“無償の愛”の象徴であり、
ミイラは“永遠の命”への希望である。

ミイラ展に興味があったのは有村架純側で、
ということは......

とまあこんな深読みは置いておいて。

そういえば、菅田将暉が興味あるのは「ガスタンク」である。
彼はじつはインフラに関心が最初からあって、インフラは社会に必要なものだから......

やっぱりやめておきましょう。


しかし、もっともこの映画が心に刺さる理由は、

これは恋愛映画じゃないから

だと思う。

いや、恋愛を描いた映画なんですよ。
紛れもなく。

でも、あの2人って、どっちも自分なんですよね。

自分の中にいるんです。

カルチャー大好きな自分と、
生きて行くために社会と向き合う自分。

この2つがうまく折り合いがつかない。

なんでここは絶妙なバランスが取れないんだろう。

社会と向き合うために、カルチャーはあるんだって。
『メリー・ポピンズ』はそんなようなことを説いていたけど、
そう簡単にはいかない。

だからこそメリー・ポピンズがいるわけだが。

好きなものの話をしていた2人は本当に素敵だったのに。

同時にそこには長くは続かない雰囲気もある。

だから美しい。

『ブルーバレンタイン』は、その美しさを花火と重ね合わせていたけど。
(そいういや今日はバレンタイン。ハッピーバレンタイン)

だけど、維持していく美しさもあるじゃん。

どっちか選ばないといけないの?


『じゃあ、結婚しよう』って。


恋愛の終わりが=結婚?

結婚=死?

だからゴールインっていうの?

ガタッ

平均台から落ちる。


両方とるって、欲張りですかね?
あの2人の幸せを心から祈るのは、叶わぬ夢ですか?

あのときこうしていればって。
あのとき何であんな言い方しちゃったのかって。

ぐるぐるぐるぐる。


『ショーシャンクの空に』は観てない。

観なきゃと思って、
タワレコで安く売ってたDVDを買ったのに、
そのままほったらかしておいた。

男友達が「観たことない」っていうから
『時計じかけのオレンジ』と一緒に貸してあげた。

それっきり返ってこない。

そのあとその男友達と会ったとき、
彼女とスキー場で撮った2ショットを見せてきた。

ほいって。
フラットなかんじで。

私はこの人たちのようになれない。
写真を見て、そう思った。

『ショーシャンクの空に』は返ってこない。

『時計じかけのオレンジ』は
返してもらわなくてもだいじょうぶ。
めちゃくちゃ観たから。

私のまだ観ぬ『ショーシャンクの空に』が、
彼の心に引っ掛かっているかどうかは分からない。

でも『ショーシャンクの空に』は彼の手元にある。

私の元にはない。

私には、
終電を逃して、押井守を知らないと言った
あの人たちのようには世界が見えない。

そっちの世界の恋愛はできない。

これは嫉妬なんだ。
羨ましいだけなんだ。

クライマックスのファミレス。
別れ話のファミレス。

有村架純と菅田将暉の2人が、
かつての2人のようなカップルをそこに見る。

きっと、かつての2人と同じスニーカーなんて履いていなかっただろう。
本の交換もしなかっただろう。彼らは。

でも、そこに見る。
投影してしまう。

スクリーンにこの初々しいカップルが完全にアップで映し出されたとき、鳥肌が立つ。

もう、2人は主人公じゃない。

私たち観客と同じ、“観客”に成り下がってしまった。

映画の観客。

恋愛の観客。

やっぱり、本作は
“恋愛についての映画”なのか。

彼らが別れた先に、それぞれが主人公の人生があるのだろうか。

あって欲しいと思う。

不確かだけど、その先に。


ひとつだけ確かなことは、
ビートルズをイヤホンで聴くとき、片耳ずつで聴いてはいけないということだ。

左右差すごいから。

え?
ビートルズはアナログじゃないとダメ?

すみません。




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