多神教の現在

 現代の生物学思想や歴史主義思想は、彼ら自体いろいろな見方があるにせよ、宿命について今までにない苛誥な信念をいずれもつくり出している。今日では業の力も、星辰の力ももはや人間の運命を不可避的に支配するものではなくなった。むろん、いろいろの力が支配権を主張してはいる。しかし、よく見てみると、多くの現代人は、ちょうど帝政末期のローマ人が混合した神々を信じたように、 いろいろのカの混合を信じているのである。 このことはそれぞれの力が主張するその要求の性質によって明らかになる。生存競争に参加するかそれとも生活を放棄するかという優勝劣敗の〈進化の法則〉であろうと、あるいは、人間固有の適応の本能から心理的人間を完全につくり上げる〈心理法則〉であろうと、あるいは、人間の意志や意識はたんなる付属物にすぎず、社会的進歩の弱程は個人より優位を占めるという〈社会法則〉であろうと、あるいはまた、歴史的諸形体の生成と消滅は、いずれも変更しがたく一様の法則性にあると唱える〈文化法則〉であろうと、その他なお多数の形体があるにせよ、いずれにしても、人間は現象の法則からのがれられず、気ちがいにならないかぎりそれに抵抗できないということを、つねに主張しているのである。(古代人においては)密儀の潔めが星辰の宿命から人間を解放し、犠牲についてのブラーフマンの正しい教えによって業の強制から自由となった。両者の場合には、救いが存在していた。(現代人においては)しかるに、混合した偶像崇拝は(因果からの)解放への信念を認めないのである。自由を想像することすら、愚かしいと考える。この場合、自分を納得させて奴隷となるか、なんの考えももたずに絶望的な気持で奴隷となるか、この二つしか選択の余地はない。目的論的発展とか、有機的生成とか、すべての法則を、どのようにいいあらわそうとも、すべては無制限な因果律を根底に置いているとみなすべき必然的過程の狂乱があるだけである。

(マルティン・ブーバー『我と汝』より、()内は引用者補記)

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