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バルト旅 ―リトアニア①

2月17日 

 早朝 家を出る。
乗る予定の成田エクスプレスが目の前で非常停止、一時運休@国分寺駅。なんでだっけ?とにかく焦った。相当の余裕を持って家を出たから便に間に合わない!というほどではなかったけど、ぎりぎりになる可能性はあったし、いつ運転再開するか分からない。冷や汗をかいていたら代わりの車両がやってきて、それに乗って何とか空港にたどり着けた。ふぅ、初っ端からやめてくれ。

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 飛行機はFinnair。客室乗務員の制服がとても素敵だった。シックな濃紺で袖には真っ白いライン、タイトめなワンピースの形が洗練されていて美しい。同じく白と紺のスカーフをきゅっと巻き、丸くて立体感のある小さい帽子がぴたっと頭にのっている(帽子を被っているというより頭にのせているという感じ)のも品がある。冬なので皆コートと手袋をしていたのだが、それも濃紺で統一されていてとてもお洒落だった。私は濃紺が大好きなんだけど、ヨーロッパに行くと、やっぱり彼らの栗色や金色の髪と濃紺との相性にはかなわない、と思う。黒髪に濃紺だと真っ黒だけど、そこに明るい色が加わると一気に紺が映えるのだ。

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機内食も美味しかった。アメニティはmarimekko。撮った自分が言うのもなんだけど、機内食の写真ってなんでこんなにわくわくするんだろう。

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約10時間後、ヘルシンキ着。これから小型機に乗り換えてリトアニアの首都ヴィリニュスに向かう。この小型機、大統領が降りてきたりする階段の小さい版(もはやはしご)から乗り込んだのが楽しかった。搭乗ゲートからゾウの鼻のように伸びた近未来的な通路を通ってしか飛行機に乗ったことが無かったから。乗客は全部で数十人程度で、今から同じ目的地に共に向かうのだという、同じ便に乗り合わせた者同士の一体感を勝手に感じていた。椅子はペなぺなだし離陸するときの揺れや振動を直に感じたけど、それはそれで楽しんだ。

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 早めの夜、ヴィリニュスに到着。ホテルの目の前にあったヴィリニュス旧市街のシンボルである大聖堂と鐘楼の美しさに、長旅の疲れが吹き飛ぶ。それにしても人通りが少ない。頼りない街灯の明かりの下、地元の人と思われる人たちがまばらに歩いているだけ。犬を連れた人、足早に家路を急ぐ人。ザ・観光地 ではない海外を旅するのは初めてだから、この雰囲気に少し緊張しつつも新鮮でわくわくしていた。

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ホテルはこぢんまりした静かな良い部屋だった。一通り扉を開けたりスイッチを押したりして部屋を探検したら、早速スーツケースを広げて私物を配置する。たった2泊するだけだけど、来たばかりの部屋を自分の空間にするこの作業が結構楽しい。ひと段落したら電気ポットでお湯を沸かし、海外旅行に必ず持っていくインスタントみそ汁とお茶を飲む。だしの味が体中に染みわたる。明日の朝食を楽しみに寝る。


2月18日 

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まだ真っ暗な朝7:00から朝ごはん。
大好きな黒パンやライ麦系のパンがどんと置いてあって嬉しい。素朴な味の豆のスープや主食のじゃがいも料理が並ぶ。
食べ終わる頃にようやく明るくなってきた。

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 まずはハレス市場の朝市へ。市場は、その土地の食文化や人々の生活ぶりを直に感じられるとても楽しい空間だ。海外旅行で一番楽しみなのは市場とスーパーマーケットであることは間違いない。
 ハレス市場は1906年に建てられたヴィリニュス最古の屋内市場で、肉や魚、野菜、果物の他にパンや牛乳、さらには洋服や台所道具、雑貨まで色々ある。肉売り場ではおばちゃんたちが朝ごはんを食べながら話に夢中になっている。この市場の人たちが話しているのは主にロシア語に聞こえた。強い目力と怖い顔つきもなんとなくロシアっぽい。寒いから表情が厳しくなるんだとどこかできいたことがあるけど、そうなんだろうか。
 洋服やアクセサリーのコーナーには、蛍光色やどぎつい柄などちょっと奇天烈なものが多かった。巣鴨ファッションに近い。洋服に続いて面白かったのがパンツ売り場で、これまた笑っちゃうようなのが種類豊富に並んでいる。旅の少し前に読んでいた米原万里の『パンツの面目 ふんどしの沽券』をすぐに思い出した。ソ連において不思議な存在感を持っていたパンツや下着をテーマに、その世界史的な謎を分析していく禁断のエッセイ。地元の人が食料を求めて日常的に買い物するような市場で、パンツ売り場がこんなに幅をしめているなんて面白い。リトアニアが旧ソ連であることは、このパンツのみならずハレス市場全体そして街のあちこちで感じた。

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 市場を後にして街をぐるりと歩き、夜明けの門( Aušros Vartai )を通る。城壁が存在していた頃の9つの城門のうち、現在も残る唯一の門。上の礼拝堂には、奇跡を起こすとされる聖母マリアの像がある。感動したのは、幼い子どもからおじいさんおばあさんまで、ほとんどの人が門を通った後にちゃんと振り返って聖母マリア像に向かって十字を切りお辞儀していたことだ。バルト三国唯一のカトリック国であるリトアニアの、ソ連やロシア帝国時代の宗教的苦難を経ても密かに続いてきた民族的アイデンティティを感じた。

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 つづいて、小さな出版社兼絵本のお店へ。お店のおじいさんがたどたどしい英語で自己紹介やお勧めの本について話してくれた。リトアニア語は全く分からないので、絵と雰囲気で選ぶ。ヴィリニュスの街や人々から感じる静かな暖かさをまとった絵本を買った。日本に戻ってから訳してみたけれど、途中で止まっている。絵本にしては文が多く内容も哲学的なので、Google翻訳では歯が立たないのだ。いつかちゃんと訳して読みたい。
 絵本といえば蔵書の三分の一を占めるほど大好きで、日本のはもちろん洋書屋さんや旅先で買ったフランス語や英語の絵本もかなりある。この旅ではリトアニア語・フィンランド語・ロシア語の絵本を連れて帰った。とても訳しきれないけど、文字や絵を見るだけで旅を思い出せて楽しい。この国の子どもたちはこういう絵や物語を読んで育つんだなぁ、という想像も。絵本って子どもが一番最初に触れる哲学だと思うから、大人になってからのこういう想像や出会いにも意味があると感じる。

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 絵本について語りすぎてしまった。
 お昼ご飯を食べたのは、なんとヴィリニュス大学の学生食堂。外国の大学の学食なんて聞いただけでわくわくする。食堂に行く前に大学の建物を見て回る。街も静かだけど、キャンパス内はそれを上回る静けさ。石の建物の冷たさや中庭の石畳に響く声が教会を思わせ、自然と口数が減る。こぢんまりした敷地内には聖ヨハネ教会という大学の教会がある。1387年にリトアニアがキリスト教を受け入れてすぐに建設が始まった教会で、18世紀に大学の教会になったそう。コの字型の建物の中庭に足を踏み入れると、バロック様式の厳かなファサードと、旧市街で一番高い鐘楼が目に飛び込んでくる。自分の大学がここだったらどんな気分だろう、と想像する。

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↑聖ヨハネ教会(左)

 食堂は大学に二つあるらしく、キャンパスを歩いていたお兄さんにおすすめの食堂まで案内してもらった。昔のままであることを感じさせる造りの小さな建物で、私たちの他には年配の女性3人組が座っているだけだった。学生がメインで使っているのはもう一方の食堂なのかな。でも案内してもらった方のクラシックな雰囲気がとても気に入った。
 黒板のメニューがあったけれどまったく分からないので、食堂のおじさんにジェスチャーでおすすめをきく。traditionalなんとかと言いながら指をさしていたcepelinaiと、野菜の何かを頼んだ(名前は聞き取れず)。これが大正解で、リトアニア料理のおいしさに気付いた最初の料理だった。ツェペリナイは、じゃがいもをすりつぶしてつくったもっちりと分厚い生地の中に、挽肉と玉ねぎを煮込んだものが包まれている料理で、シチューのようなコクのあるソースがかけてある。

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↑ 食堂のメニュー。真ん中あたりにcepelinai(ツェペリナイ)と書いてある
↓ 奥がツェペリナイ。手前は茄子の中に野菜を煮込んだものが詰めてあり、ホワイトソースがかかっている。米はぱさっとしてるけど悪くない。

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 昼からずっしり系を食べて満たされた後は、ヴィリニュス大聖堂の鐘楼に登る。母は高所恐怖症なので一人で。他に登っている観光客がいないところが良い。上の方に行くと色々な大きさの鐘が置いてあって、自由に鳴らせるようになっていた。正時でもないのに時折街で鐘の音が聞こえたのは、誰かがこれを鳴らしてたんだな。上から街を一望してみて、屋根の色が意外とカラフルなことに驚いた。くすんだパステルカラーが何とも言えない街並みをつくっている。

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 待ちに待った、ヴィリニュス最初の夕食。ここで食べた黒パンのスープがそれはそれは美味しくて、リトアニア熱が最高潮に達する。何とも表現できない、食べたことない出汁の風味と、黒パンと玉ねぎのみという具材の潔さ。定番のサワークリームとディルがとても合う。バルト三国では(後に北欧もだと知る)料理によくサワークリームを合わせるのだけど、これがとてもさっぱりしていて本当に合うのだ。日本でサワークリームというとこってりクリーミーな生クリーム系の味だけど、こちらは全く別のもの。

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 食べ終える頃には外はすっかり暗くなっていた。街を散歩して帰る。ヨーロッパって明かりのセンスが良くて、街灯にしてもイルミネーションにしても暖色系一色で統一されているから、夜の真っ黒い空にライトアップされた建物が際立ってとても美しい。雨上がりで石畳がきらきらしていると、建物の明かりが反射してなお綺麗。
 大聖堂の傍に、あの「人間の鎖」の足跡が残されていた。街の随所で感じる共産圏特有の雰囲気を改めて思い出す。自分たちの民族や国のために立ち上がり、何か行動を起こすってすごいことだな。日本にずっといると、自分の国や世界の人々をそういうスケールで考えること自体忘れてしまう。

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 濃いヴィリニュス1日目が終了。明日を楽しみに眠りにつく。



※長くなりすぎたので、一旦ここで区切ります。続きは次の投稿から。

 


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