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祖母|進む時間の中で


「大きくなったね」

空港まで迎えに来てくれた祖母は、そういった。

会うたびに一回り、ふた回りと小さくなっている祖母は、伯父に支えられていた。

「おばあちゃんが小さくなったんだよ」

心の中で言いながら祖母の手を握る。迎えてくれた10分後には、祖母は隣に座る私の存在が誰なのかイマイチ確信が持てなくなっているようだった。

祖母は大正生まれ。昭和、平成、令和。4つの時代を生きてきた。早くに伴侶が亡くなり、働きながら母たち3兄妹を育てた、我慢強い人だ。

最近は遠くを見るような目で、話しかけても、ほつり、と答えが返ってくるかどうか。少しずつ、違う世界に足を踏み入れている。忘却症、とでもいうのだろうか。少し前のことは忘れてしまう。昼ごはんに何を食べたか、今日誰にあったか、そういったことは静かに消えていき、祖母自身、朝と昼と晩を一人行ったり来たりしながら、今この瞬間瞬間を生きているようだ。

できることが少しずつ減っていき、動作はゆっくりになっていき、会うたびに、小さく、小さくなっていく祖母。

祖母の部屋は一階の、南向きの部屋だ。2年前は2階が祖母の部屋だったのだが、家族の心配もあって、部屋を移した。昼下がりの陽だまりの中、祖母は洗濯物をたたむ。自分の着替えも何度となく開いては畳む。一つ一つを確認して、迷って、それでもなお綺麗に揃える。

ポケットには必ず、ティッシュを数枚、きっちりたたんで入れている。お菓子をつまんで手が汚れた時、目の前にティッシュボックスがあっても必ず、ポケットからティッシュが出てくる。そして、使ったティッシュは反対側のポケットへ静かにしまわれていく。
外出の上着を羽織るときは必ず、ボタンを上からゆっくりとはめていく。
祖母の周りだけ時間軸が違う世界のようだ。

祖母の行動には重ねた年月が滲み出ている。全てが静かに積もり積もった習慣だ。私は祖母と同じ年になった時、こんな風にはなれないだろう。
その姿を目に焼き付けながら思う。

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