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週末のこと


寒い。しごと場が寒すぎる。

2023.11.13(月)

今日、しごとばに行くと机に柿がひとつ。
ある時はクッキーだったり、お餅だったり…
人員の不足を感じつつも気の良いしごと場だと思う。

まだ食べてないよ。

週末をふりかえってみることにする。

金曜日の夜は彫る時間

金曜夜は仕事のあとに版画教室に行き、
なんと某俳優さんと北野の道ですれ違い…この方の出演されている震災をテーマにした映画「その街の子ども」が好きなので(号泣する)、なんだか嬉しくなった。
すっ、としてはるところや、ダンスに熱いところが素敵な方である。神戸のアートが盛り上がることはとても嬉しい。

そして、版画教室にて、先生とマンツーマン。
下絵を板木にうつし、彫る!

そりゃーもう、楽しい。

彫刻刀が木をサクッとやる感覚といったら…無心です。

先生は教え方が上手くて、尊敬です。
個展も見に行きたい。

晩御飯食べそびれたけれど満足の夜でした。  

完成は年末くらいかな

土曜日の午後は絵を描く時間

しごとばに用事で寄り、昼から絵の教室へ。
今日は画材の話や、描くことにまつわる話。

創作してると悩みはつきものだから、こういう回も貴重だと思う。皆、悩んでいる。隣のひとのイラストが興味深くて、キャラクターが仕上がっていくのをじっくり見た。皆、それぞれなので面白い。

そのあと、1003さんへサクッと行き、詩の読みものを買った。大丸の紙フェスは、にぎわっていて、神戸らしい紙ものを買った。

ミシン目にそって切るとブックカバーになる袋が気になった。世の中には新たなものを考える人がいるものだ…

日曜日はぼけっとするに限る

朝から、雨降りそうだし、少しばかりどんよりしていたのだが、版画教室の定規とペンを間違って持って帰ってきていたのが気にかかり出かける。
須磨のBOKETTOというイベントも気にかかり、寄ってみることにする。

駅からすぐ海なので、天気が良ければ気持ちがもっと良いかもなあ…と思いつつ、子どもたちが何やら観察しながら歩いているので、仕事柄小さい人たちを観察しつつ歩く。

行きつけの良き本屋さんがブースで出ていらっしゃるので寄ってみる。本がいつもより少ないので、すごい勢いで売り切れ!と思ったら、雨で本も一時避難中であった。少しずつ天気はマシになったようで本をまた並べられている最中だった。
イベントの時に配布されているリーフレットをもらう。

その後、会場をふらっとしてストロー細工を見たりしてると、さっきの本屋さんのところで、こないだ本のイベントつながりでお会いした方と出会った。本好きは本好きを呼ぶのだ…!
それから、ちょっとお茶ということで、須磨寺のところの珈琲屋さんに行った。光サイフォンが焚火みたいで、じーっと眺めたくなるから、カウンターがおすすめ。珈琲美味しいし、まったりできる。

ふわふわシフォンケーキと珈琲

書くことや、本のことなどお話しして、ゆったり過ごす。本の作り方とか、書くことを仕事にすること…私もまだまだ勉強中というところなので色々考える。短歌を書き歌集を出したら、地元紙に取材を受け、それで今年はエッセイを書くことになったし、これが正解というのはない気がする。ただ、やりたいことをはじめ、続けることは、何かに結びつくことがあるのだと思う。

版画教室の先生のところへ寄るために、先にお店を出て、電車に乗る。

私はどうやって書いてきたのだろう?ふと、その問いが頭をめぐる。まあ、好きで書いてるんです。うん。
読書もジャンル問わず好きですし。
そのうち、いつか、良き本屋さんが書きたい人向けに講座などしてくれたら嬉しいなあ…(と、こっそりここで呟いてみる)

しかしまあ、今年の上半期4ヶ月間、2週間に1度〆切が来るというのはなかなか頑張っていたと思う。書くのも体力だわ。そういう気持ちもあって、これも書いている。

今日のリーフレットと読み終えた一冊

ぼけっと生きる

リーフレットは、毎回だいじなことが書いてある。
今回は特に自分にとってタイムリーな内容だった。
「ぼけっと生きる」がテーマ。
雨で心折れそうになってたけど、行って良かった。

ぼけっと生きたい。ほんとうに。
自分にとってぼけっと生きるとは、なんだろう…と思うと、ひとつだけ思い出したことがある。

お金重視で働いているわけでは今もないのだけど、とかく忙しさに流され、カリカリすることがある。
まずもって、仕事中はぼけっと出来ないけれど、そういう人生で良いのか?と最近よく自問する。この働き方はどうなの?と。対人援助であり、ゆるやかに人のきっかけになることもできるけれど、考え出すと責任や何かしらの制限のあるしごと…自問しながら続けている。

自問するから、時に俯瞰的に仕事をながめることがまだ出来ているのもある。ある意味では恩返しをどこかにしている気持ちもある。

でもここのところ、しごとを始めた時とは環境が変わり、このままだと何か流されてゆく気持ち…という腑に落ちなさにある。

リーフレットのなかの言葉に「じぶんで作り出せたら、どうだろう」というのがあって、そうそう、そうだよねと思う。

世の中はさまざまな人で構成されていて、補い合って成るものだと思う。めんどくさいなあ、もあるけど。

しごとで、最初に担当した時のその人たちに
『「そうだ、あなたがいた」と言われる人になれ』とスローガンを1年間部屋に貼ってたことがある。今考えると、わりと偉そうでもあり、でも今より私も熱量が高かったので、そう伝えたことがある。

誰かは誰かの役にたつのです…役に立つが基準だとしんどくなるかもだけど、何もしなくてもそこにいるということが役に立ってるよ、ということはある。

ただそこにあるだけもだいじ。
それから、そーいえば、あの人の特技は…とか、なんか声かけてみよー、とか。そういう人のつながりが広がると良い世界だと思える。そうあってほしい。

ぼけっと生きると、余白が生まれて、色々なことを深く考えることも良い。日々をだいじにできる。

最近ちょっと色々オーバフロー気味なので、もう一度、
何を軸にするか考えてみたい。

ぼけっと生きる、だいじ。と、読んで思ったのでした。