渋みと腐りは紙一重
知識、経験、人間関係、お金、、、
これらを積み上げた大人を「渋い」と表現することがある。
様々な経験を積んできたからこその渋みがにじみ出てる人は、確かにかっこいい。
でも、『それって渋みじゃなくて既に腐ってない?』ってパターンもある。
「人生とは、歳を重ねる毎に色々と積み上げていくものだ」と思っていた。
しかし積み上げると言えば聞こえはいいが、「多くを抱えている」と捉えてしまえば、それは重荷にしかならない。そして自分では扱いきれないほど多くを抱えてしまうと、どこからか腐ってくる。
だから僕はむしろ、人生はいかに捨てることができるかだと思う。
過去があるから今がある。
これは真理だが、過去のせいで今にならざるを得ないパターンもある。
『ある業種や職種で長年働いたから、次の転職先もその経験を生かせる場へ!』
一理あるし否定はしない。が、もうその経験を活かす選択肢しか考えていないようにも受け取れる。選択肢を広げようと取った資格が、逆にもうそこにしか行けないような、そこへ行くことしか考えていないような思考になっていないか。
中学でやっていた部活を高校でも続ける。こういう学生は多いし、僕もその一人だった。続ける選択に自身の意志があればいいが、なんとなくとか、友達も続けるからとか、そういう例も少なくない気がする。
何か一つを続けることへの過剰な美徳観念を、捨てたい。
中学生サッカーのコーチをやっていたが、教え子が高校に進学した後にサッカーを辞め、違うことに取り組んでいると聞くと、元コーチとして少し残念でもある一方で、それ以上に嬉しさを感じる。過去に捉われず、自分の意志で新たな道を選択したのだなと、本当に嬉しくなる。
過去のキャリアや周囲の意見は捨てて、全く新たな道を0から進む。その決断を思い切ってしてみる。同じことを慢性的に続けるだけで生き甲斐を感じないくらいならば、辞める。捨てる。
捨てる、といったが、知識においては「忘れる」と言う方が適している。そしてこの「忘れる」行為は、意外と難しい。どうでもいいことほど覚えていたり、テストに出る大事な答えほど忘れてしまったり。
だからつまり、勝手に覚えているということは、それは大事ということだろう。本当に大事なことは勝手に残る。積み上げるのではなく、勝手に積み上がる。だから捨てることを恐れなくていい。どんどん捨てる。
僕は高校生の頃からドイツ語を学んだし、一年間のドイツ留学も経験した。でもだからといって、この先もドイツ語を活かし続ける選択をするとは限らない。
『それじゃあ何のためにドイツ語を学んだの?』
ドイツ語を通して多くの友達ができたし、人前でドイツ語でスピーチをする経験もしたし、より一層自分が話す日本語に拘りを持つようになった。
だからもう完結している。その上で続ける選択もあるっていうだけ。
もちろんこれが中途半端に辞める言い訳になってはいけない。積極的に、前向きに捨てていく。それでも捨てきる選択を躊躇(ためら)うほど拘れるものがあるならば、それをつまり熱量と呼び、間違いなく人生を豊かにしてくれる一つになる。
同じことを長く続ける人を否定しているのではない。むしろ貫けるかっこよさがある。ただ、今まで続けてきたことが次の選択の足枷になっているのならば、どうか捨ててほしい。
何か新たなことを始める一歩目は、怖さを上回るワクワクがある。
いくつになっても、このワクワクを味わうために、捨てたい。
Shingo
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