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語学を学ぶということは

こんにちは。ドイツでは今、紅葉がピークを迎えています。マインツへ向かうバスの中でこれを書いていますが、窓の方を見ると山々が色づいていて冬っぽい寒さの中にもまだ秋を感じれます。今回のテーマは語学についてです。また少し自分の話をしますが、飽きずに読んでもらえると嬉しいです。

僕は高校からドイツ語と出会いました。英語のときもそうでしたが、新しい言語の学び始めとはたいていの場合楽しいもので、高校3年間のドイツ語学習は意欲的に取り組んだのを覚えています。しかしドイツへ来るまでの大学3年間でドイツ語を楽しいと思ったことはほとんどありませんでした。理由は、大学に友達がほとんどいなかったというのもありますし、なにより何のためにドイツ語を学んでいるのか分からなかったからです。だから自ら学ぶ意欲が皆無でした。しかしその後色々なことが重なってドイツへ来ることになりました。そして今ではドイツ語を少しでも上達させたい気持ちが強いです。理由は単純で、もっとドイツ人と喋りたいからです。

最初にこっちに来て驚きました。一応もう6年ほどドイツ語を学んでいるのに自分のドイツ語が全く通じないし、相手の言ってることを理解するのも困難だったからです。もちろん慣れはあると思うので、時間が解決してくれた部分も多少あります。でもやはり、ドイツ語を喋る人に囲まれて、いつでもそれを試せる環境にいるのは本当に大きいなと思います。その中で少しずつ語学も上達し、少し自分の意見を言えるようになると、もっと明確に伝えたい、正確に理解したいという気持ちが強くなりました。

つまり、「ドイツ語で自分の意志を伝えたい」「ドイツ人の考えを理解したい」という目的がはっきりした上に、その目的を叶えるための十分な環境に身を置けているという現状があるので、日本にいた頃より確かな充実感があります。逆のことを言うと、ただドイツに来たからドイツ語が勝手に上達するなんてことはあり得ません。これは身をもって感じました。自分の意志でそこに目的を見出せるからこそ、すごく意欲的に行動できるんだと思います。

そして「言語を学ぶ」とはその言語を用いることによって意見交換をしたり、相手を知ったり自分を知ってもらうための「手段」であって、決して「目的」ではありません。だからなによりもこの「目的」が明確になったから、僕は今これだけドイツ語を学ぶことが楽しいんだと思います。

僕と同じ大学から一緒に留学に来た人がいます。その人はドイツで複数年暮らした経験があるので、もうドイツ人さながらドイツ語を話せます。当然ですが、僕よりもドイツ人と深い話も下らない話もできます。正直今ではめちゃくちゃ嫉妬します。語学のレベルなんて自分次第なので、全くもって他人と比べるものではないと分かっていますが、その人のことを一人の人として尊敬すればするほど、羨ましい気持ちも大きくなります。ただ、こっちに来て出会うドイツ人の人の良さだったり、その人と同じタイミングで留学に来れたことは僕にとってプラスなことでしかないので、より一層勉強意欲が増しています。「目的」がはっきりしたおかげで、何にどう目を向ければいいのかもはっきりした気がします。

少し話が逸れましたが、何を言いたいかというと、結局どんなことにおいても自分次第だということです。自分次第とは、

それぞれ立場は違えど、自分の現状をどう受け取め、どう行動に移すか次第

だということです。僕に今あるものはあって、ないものはないです。目的が決まったり、周りと見比べることで自分に何があって何がないのか分かりました。じゃあどうするのか。また自分自身と向き合って行動するだけです。話が繋がっているのか自分でもよく分かりませんが、ドイツ語を学ぶ過程で、ドイツ語を好きになったり嫌いになったりしながら、そんなことを感じました。そしてこの原理は語学においてだけでなく、きっとどんなことにも通ずるものだと思います。皆さんも少し自分の立場に置き換えて考えてもらえると嬉しいです。

最初にこの記事のタイトルを考えたときは、「語学を学ぶとはその国の国民性や文化をセットで理解しないと意味がない。どんな人間がその言語を話しているのかを学ばなければ、語学だけ学んでも役に立たない」的な内容を書くつもりだったのですが、終わってみれば全然違う着地点になってしまいました。タイトルと話の内容が合っていないですが、これも受け取り方次第ということで大目に見て下さい。
今回も読んで頂きありがとうございました!

最後に余談になりますが、Foot Brainという番組の高木豊さんが子育て論を語る回が興味深くてとても面白かったので、是非YouTubeで見てみて下さい〜

Tschüs 👋

少しでもより良いものを作っていきたいので、「スキ」や「コメント」もお待ちしています。