ありのままの自分でいられる方法
自分に自信がない。
後悔ばかりの人生で、自分が嫌いになる。
他人の評価が気になって仕方がない。
ふと人生を振り返ったとき、
人生このままでいいのかな~と思ってしまう。
こんな悩みをお持ちしていませんか?
実はこれ、2022年ごろの私です。
今は違います。
私は2024年5月の現在も、
心療内科に通院し、薬を服用しています。
それでも、今の自分のまんまがいいと感じられ、元気になってきました。
実際にお会いした人から、
「笑顔がいい」といわれるようになりました。
2022年に𝕏(Twitter)を始めたことがきっかけで、自分の気持ちが変ったのです。
本noteは、
仕事ばかりしていた私が、
私生活、仕事の悩み、仕事の長時間労働による
睡眠不足でメンタルダウン。
人生どん底に転げ落ちた私が、
ありのままの自分でいられるようになった方法を
自分の体験談をもとに示します。
同じ悩みを抱えている方、
あなたのそばにいる辛い思いされている方に、
言葉を紡いでいます。
本noteが、いま辛い”あなた”に届きますように。
たくさんのすてきな感想をいただいたのでご紹介します
みなさま、心が温まる感想をいただき、ありがとうございます。
感謝しています。
1.自己紹介
改めまして、こんちには。とうふと申します。
2022年2月に𝕏(Twitter)の発信を始め、
現在のフォロワー数は1000人を超えています。
𝕏(Twitter)は「ありのまんまがいい」をテーマに
発信しています。
私は大手製造業の会社に33年勤めている、
ごく一般の会社員です。
製品開発や顧客担当を行う設計部に、
25年以上従事した後に、
現在は製品企画部に所属しています。
二人の娘がいるバツイチです。
現在はひとりで暮らしています。
社会人になった私の人生は、仕事が全てでした。
最初の担当業務は、お客様への試作品対応です。
標準日程よりも短い、お客様の無茶苦茶な要求期日に間に合わせるため、深夜残業、徹夜を行い、期日に間に合わせる日々をすごしていました。
私は一生懸命に頑張りました。
しかし最初の査定で、社会の厳しさを知ります。
私は同期の中で一番遅くまで頑張りましまが、
評価は同期の中で最下位でした。
お客様の要求期日に間に合わせることは、当たり前の会社風潮だっため、無茶苦茶な日程に間に合わしても、高評価されなかったのです。
私は頑張るだけの
何もとりえのないエンジニアでした。
それから、他人から評価してもらいたい。
他人軸の気持ちが強くなるようになります。
そんな私にも転機が訪れます。
私の頑張りを見ていてくれた人がいたのです。
製品開発グループの先輩から、
「一緒に仕事をしよう」と誘って頂けました。
何もとりえのないエンジニアの私でしたが、
頑張りを評価してもらえたことが嬉しくて、
製品開発の業務に思い切って飛び込みました。
私はそれまで以上に、ガムシャラに仕事を頑張りました。
幸いにも、
社内研究所に従事する構造技術の第一人者から、師事を受けるチャンスを得ました。
製品開発の課題解決をまとめて、対応できるようになり、とりえのないエンジニアであった私が、自分の専門技術を言えるようにまでなりました。
相変わらず、睡眠時間を削って、夜遅くまで働く仕事だけの人生でしたが、 自分にちょっとづつ自信が持てるようになってきました。
そして、自分の専門技術を生かし、海外出張へ行く機会が増えてきました。海外の刺激を受けて、海外拠点で仕事をしたいと思うようになっていきます。
そのときです。
私に海外工場への駐在するチャンスが私に巡ってきました。
当時私は結婚しており、小学校に上がる長女と、もうすぐ1歳になる次女がいました。
私は相変わらず仕事ばかりであり、元妻は子育ての忙しさに大変でした。
私は、家族が寝ている間に会社へ行き、寝ている間に帰宅する日々をすごしていました。
元妻とは、
平日ほとんどしゃべることがありませんでした。
元妻には、海外工場への駐在の話は初耳でした。
話合いをした結果、
家族は元妻の実家におせわになり、
私は単身で海外へいくことになりました。
単身で海外工場へ駐在を決めたことが、
ここまで順風満帆だった人生から、
どん底の人生へ転げ落ちることになります。
海外駐在中は、長期休みのたびに日本へ帰国し、家族との時間をすごしました。
4年後、私は単身赴任の海外駐在から日本に戻ってきました。
元妻の実家の都合上、私は会社近くにアパートを借りて一人暮らし、週末に元妻の実家で家族と一緒にすごす生活を送りました。
間もなく、家族一緒に住む家を建てる計画を持ちます。
長女も小学校に入学していることもあり、
元妻の実家付近で土地を探し始めました。
元妻の実家から私の会社までは、自動車で約2.5時間。
私の身内から
「会社の近くに家を建てればいいのに」
「子供は順応が早いから、心配しなくていい」
そのような声が、私の耳にも入りました。
それでも私は、元妻の実家付近で家を建てる気持ちは変わりませんでした。
元妻の実家付近で家を建てることを娘に話をしたときに、長女が満面の笑みで伝えてくれた言葉
「私が海外に行きたくないって言ったから、
家族がバラバラになった。
これからは一緒にいられるね」
小さい娘に、
こんな思いをさせたのかとの後悔と、
満面の笑顔が忘れられられなかったからです。
まず、最初に行ったことは土地探しです。
土地については、すぐに見つかるような話を元妻の親が話してくれたこともあり、土地探しは近くにいる元妻にまかせていました。
人生はうまくはいかない
なかなか土地が見つからなかったのです。
そのうちにと元妻の実家から
「なぜ私が土地探しに手伝わないのか」
「私が本気でないから土地が見つからないんだ」と言われるようになり、
元妻の実家の私の居場所が、なくなってしまいました。
いろんな経緯をえて、
元妻の実家に行き難くなりました。
子供たちと会えなくなってしまったのです。
あのときの長女の笑顔が、頭から離れません。
私は家族一緒にすごせることを喜んでいた子供達に、申し訳ない気持ちに悩まされ、心が病んでいきました。
そのような生活が、1年ぐらいつづきました。
その間、私と元妻はメールによる話し合いを続けていました。
元妻も私もお互いの正しさの主張をするばかりとなり、気持ちはすれ違いってばかりでした。
私は、子供達と会いたい。
一緒に時間をすごしたい。
この思いがどんどん強くなっていき、離婚すること決意し、家庭裁判所へ行いました。
私の要求は子供たちと会いたい。
元妻の要求は、親権、財産分与、養育費でした。
後ろめたいことな何もありませんでしたが、子供たちと時間を作りたい私は、相手側の要望をほとんど受け入れました。
私の要求は月1回の面会交流として承諾され、離婚しました。
しかし、、、、
実際に行われた面会交流は最初の数回のみ。
納得のいかない私は、
「なぜ、約束した面会交流が行わてないのか」と元妻に問い合わせます。
そして、
元妻からの回答に私は唖然としてしまいます。
「面会交流を約束した憶えはない」
元妻のいい分は、
「子供たちが私と会うことを、元妻は止めない。口出しもしない。子供たちと私のことだから。元妻抜きで、私と子供たちで勝手にやってほしい」でした。
私と子供たちの連絡手段は、元妻の携帯電話のメールを介してのコミュニケーション。
元妻のメールアドレスへ、子供たちに私が「子供達と会いたい」ことを伝えると、子供達からの回答は「お母さんと一緒じゃなきゃ会わない」とのことでした。
私は子供たちとの一緒の時間を作れるのならば、面会交流でもいいと思い、離婚したのですが、その願いは叶わないものになりました。
そしてなぜ自分だけが、
約束を守り養育費を払わなければならないのか?元妻にやりきれない気持ちを持つようになます。
私は、「子供たちの生活に使われいるのだから」
と思うことで、元妻に対する自分のやりきれない気持ちに蓋をし続けました。
ーもっと普通に生きろー
私がどん底にいたときに、両親から言われた言葉です。
親の立場からすると、
・息子が海外駐在から日本に帰ってきても、孫を連れてこない。
・親権を元妻に渡して、離婚してしまう。
・孫に会いたくて仕方がないのに、なかなか孫にあえない。
我慢の限界だったのでしょう。
苦しんでいる私に両親から、
「お前の考えは普通じゃない。もっと普通に考えろ。みんなに聞いてみろ。10人いたら10人とも俺たちと同じことをいうから」
と言われました。
私は、両親からの言葉によって、
・自分の考えは普通じゃないんだ。
・自分はおかしな考えしかできないんだ。
・自分の気持ちは誰にも分かってもらえない
と考えるようになり、
こんな自分が、生きていていいのだろうか?
と更に悩むようになっていきます。
ー会社環境の変化ー
離婚して間もなく、入社からずっと所属していた設計部から、製品企画部へ移動になりました。
新しく所属された企画部の業務は、今まで私が磨いてきたスキルが全く役に立たない、そして知らない書類や言葉ばかりの全く異なる内容でした。
そんな業務内容に50歳直前にかわるだけでなく、
同時に3人の部下も持ちました。
仕事も人間関係も最初からの構築。
上司は、「部下がやり方を知っているから、自分でなんとかしろ」っという雰囲気。
遅くまで頑張っていましたが、上司が求める情報が、どこ部署にかけあっても出てきません。
上司にサポートを求めても、上司からのサポートはありません。「他の人はできている。お前の仕事のやり方が悪いんだ」の一言。
ただ「私は実力がない」とだけの評価です。
そして、他のグループから定年者がでたとき、一番優秀な部下がそのグループへ移動となり、翌年には次の優秀な部下が別のグループへ移動されたました。
その年に、急な激しい動悸と手の震えが止まらないようになってしまいました。
ここから、カウンセリング 産業医、診療内科の3人の専門家からの受診が始まりました。
会社から高評価をもらうために仕事一筋で頑張ってきた私ですが、新しい部署で、頑張っても低評価を受けます。
まるで、今まで築いてきたものが全て無くなり、入社当時と同じような状況になったのです。
いままで自分が綴っている言葉で、ネガティブな思考になってきました。
気持ちも悪くもなってきてしまいました。
みなさんに、気持ち悪くさせてしまったら申し訳ありません。
離婚、そして子供達への後悔。
親からも突き放され、誰にも相談できない。
人生を捧げていた会社からのダメだし。
私は人生の路頭に迷ってしまいました。
そんな中に𝕏(Twitter)の扉を開きます。
このとき私は以下のような項目に全て当てはまっていました。
みなさんは、どうでしょうか?
いまのみなさんの状態にあてはまるものがあるか、チェックしてみてください。
いま、私は元気です。
私は路頭に迷っていたどん底の人生から、はい上がりました。
今の自分のまんまがいいと思えるようになり、小さな幸せを感じられるようになりました。
SNSで知り合い、実際にお会いした人から、「明るい、笑顔がいい」と言われるようになりました。
2.本noteの未来
このnoteを読み終わり、得た学びを行動することで、先ほどみなさんにチェックしてもらいました項目が、1つでも減らしていくことを想定しています。
・自分のまんまがいいと心から思える。
・できなくていい。
やりたいと思った自分を褒める。
・他人にいい人じゃなく、自分にいい人になる。
・自分の人生を笑顔で楽しむ。
迷ってしまった人生から抜け出すヒントを綴っています。
3.本noteをおすすめしたい方とは
このnoteがお役に立てると思われます。
このnoteがお役に立てると思われます。
人生は何が起こるかわかりません。
これを読んでいる皆さんが、迷ってしまったときのお守りとして活用できると思われます。
他人に対する理解を深めたり、視野を広げることができ、支える人のヒントになると思われます。
4.本noteをおすすめしない方とは
大変申し訳ございません。
お役に立たないと思います。
本noteは私個人の意見になります。
心療内科の通院、カウンセリングを受けている方は、専門家の意見を優先してください。
5.自分の人生に「感情」の鮮やかな色をつけてほしい
長い間自分の人生に悩み苦しんでいると、
感情が動かなくなってきます。
笑うことはできないのでしょうか?
怒ることはないのでしょうか?
楽しむことができないのでしょうか?
泣くことはできないのでしょうか?
そんなことはありません。
喜怒哀楽の感情を持っているのが人間です。
過去の辛い経験から、心が疲れているだけです。
疲れた心に寄り添いながら、
「ありのまんまの自分がいい」と感じたとき、
モノクロだった世界が、
カラフルな世界へ色づき始めます。
私の文章をここまで読んでいただき、ありがとうございました。
たいへん感謝しています。
無料の部分はここまでとなります。
この先からは本編になります。
大切なことは最初にお伝えしたいことから、
最初は結論です。
そして私の5つの経験談をお伝えしています。
お待たせました。
それでは、楽しんで読み進めて下さい。
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