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生い立ちを書く前に

これから自分の親や家族のこと、それが自分に及ぼした影響について書いていきたいと思うのですがその前に今の気持ちを。

まず、うちの親は紛れもない毒親です。こう断言できるようになるまでかなりの時間がかかりました。でも今私が親を恨んでいるのかと言われるとそうでもないです。親もまた毒親に育てられ、色んな出来事があって、自分なりに親のようにはなりたくないと思い行動してきたにも関わらず、私や弟のことを愛して幸せにしたいと思って産んだはずなのに毒親になってしまったんだと思います。そして母は恐らく自身が毒親であることを認識しています。なぜなら昔から「私のこと、毒親だと思ってるんでしょおおおおおお!キエエエエエエエッ!」って暴れてたからです(大正解)。

最近になるまで「毒親」という言葉が嫌いでした。まずそのワードを聞いた母が暴れるし(ここ重要)、言葉だけが独り歩きして一生懸命子育てをしている親をある行動の一部をもって侮辱してしまうような危険性を持つ言葉だと思ったから、また自分の親が毒親だったからといって何になるんだろう、全部親のせいにしたって結局目の前の現実は何も変わらないのにと考えていたからでした。しかし最近になって「アダルトチルドレン(毒親など機能不全家族で育ち生き辛さを抱えた人)」という言葉を知りました。そしたら、もう、アダルトチルドレンの特徴が全部私のこと書いてる?ってくらい一致していて。そしてその特徴が全部今の私の生きにくさにつながっていて。毒親は過去や現在に影響を及ぼす存在だと思っていたけれど、子供の内面、そして未来に強い影響を与えるんだということを知りました。

ずっと母や家族から離れることだけを考えて生きてきたのに、やっと母から物理的精神的に距離をとれるようになってきたのに、私の心の中に母と母に調教された私がいて私は永遠に自由になれない。心の中から死にたいって気持ちが消えない。自分が何をしたいのか、自分が何なのか分からない。何をしても満たされない、幸せじゃない。もしそんな今の苦しみから救われたらいいなぁと思ってnoteを書いています。

今は色んなことがあって心身を病んで心療内科に通っているのですがまだカウンセリングを受けるような段階には入っていなくて、自身の過去について話したこともないのでこれから過去を振り返る中で怒りや悲しみが出てきたりすることもあるのかなと思います。

本当に今は虚無。猫カフェで推し猫がお腹を見せてくれた時は心が少し暖かくなりますがお店を出て1分もすれば死にたい。ビルを見れば「あの高さじゃ死ねないな」、電車を見れば「死に損ねたら大変だし迷惑かかるしなぁ・・・」、旅先でいい感じに高い橋を見つけると「うおおおお!ここから飛び降りれば一発やんけ!でもアクセス悪っ!(たいてい山奥)」、歩いてる時もずっとなぜ人は自分で死を選んではいけないのかについて永遠考えてたりします(根暗すぎてワロ)。親に対して怒りの感情とかはなく、諦めの気持ちだけ。

そんな毎日が変わればいいなと願って書き始めます。


ぺたり


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