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生い立ちについて語る〜母の生い立ち&私誕生〜

前回母方の祖母について書いたんですが、今回は母の生い立ちと私が生まれるまでについて書きたいと思います。

祖母は明らかに子供が好きなタイプではなかったので子供を産んだのは時代がそうだったからというのと「素敵な家族に囲まれた自分」が欲しかったからだと思います。

幼い頃から母に対しては厳しい&理不尽だった祖母。母がよく話していたのは子供の頃嫌いな食べ物を嫌と言うと好き嫌いせずに食べろと怒られた、でもそれはあんまり美味しくなかったので祖父母もあまり箸をつけておらずそれを指摘したら家から出されて何時間も家に入れてもらえなかった、家に入れてもらえないことは度々あり当時の玄関の扉がガラス張りだったので夜に何時間も締め出されたときにそのガラスを割って家に入ろうとしたら手と腕をガラスで切ってしまい血まみれになった(確かに傷跡が残ってる)、虐待されてると思われたら堪らないわとメンソレータムを傷口にこんもり塗るだけで病院に連れて行ってもらえなかった(なおこの話は300回以上は聞いてるしメンソレータムを見るたびこの話をされるので私はメンソレータムが嫌いです)(でも母はメンソレータムが大好きなので以下略)などなど。

母は幼い頃から負けん気が強い子(祖母に言わせれば生意気な餓鬼←のちに私もそう呼ばれるw)だったので、自分がそれは間違ってるおかしいと思うことは譲れずそこが理不尽な祖母とミスマッチで度々そういったことが起きていたのだと思います。当時は祖母方の曽祖父母も近くに住んでいたのですが曽祖父母でも祖母の癇癪は収められず母に対して、「祖母が間違っているとしても黙って従っておきなさい」と言っていたようです。

4つほど歳が離れた叔父が生まれると祖母は叔父のことは溺愛しました(確かに私の弟にも甘々だった)。自分は厳しく酷いことばかりされて、弟は可愛がられるという理不尽にも常に晒されたそうです(これはその後私も母・祖母両方からやられることになる)。

祖母は自分を着飾るための出費はしても子供にはお金をかけませんでした。服は人からもらったおさがりばかりでピアノなどやりたくない習い事はさせられたがやりたいことはやらせてくれなかった(ここは諸説あるけどとりあえず母はそう感じていた)。これは1,000回以上聞かされてるんじゃないかと思うんですが、母はいつも高校時代にコートを買ってもらえなくて寒かった、そのときに祖母は立派なコートを仕立てていたという話をします。特に暴れる時は決まってこの話をします。祖母の主張としては友人からお下がりのコートをもらったのに母が気に食わなかったとのことで、まぁ多分それが真実なんでしょうが、そのとき欲しいコートを買ってあげていれば私は毎晩毎晩その話を聞かなくて済んだのにな…と残念に思います。母の中で祖母がいかに自分のことばかりで自分がないがしろにされて辛かったかを象徴するエピソードなんだと思います。

子供に金をかけない割になぜか中高は私立の学校に通っていた母ですが(それについては聞いたことなかった…謎ですが祖父が卒業した学校だったので世間体もあって行かせたのかな)、ここで周りにきちんとした家で育った子がたくさんいて余計にみじめな思いをしたり自分の家庭に違和感を感じたそうです。親からお金がもらえなかったので学校に内緒で中学生の頃からバイトをしてそのバイト代も祖母にとられたとよく話します。私もそうだったのですが母もいじめられやすいタイプだったらしく中高ではいじめに遭い高校を中退します。大検は取ったけれど大学には行かせてもらえなかったというのもよく聞かされます。

他にも色んなエピソードがあるんですがとりあえずまとめると親から愛されなかった、存在の肯定をしてもらえず大事にされなかった子供時代を母は過ごしたんだと思います。

高校を中退したあとは水商売やら普通のOLやら色んな仕事をしながら時に1年くらいアメリカにいたり私からすると自由に過ごしていたと聞いています。そしてこの頃に2回くらい自殺未遂をしています。今でもよく「あの時確実に死んでいれば良かった」と言ってるので。その言葉を聞くたびに昔は自分はいらない存在だったんだなって悲しくなったものですが今となっては本当しくじるなよなー!って感じです(投げやり)。

社会人になってから母は祖母を旅行に連れて行ったり色々としたそうです。でも何をしても感謝されない、感謝されたとしても満たされない虚しさがあったんだと思います(母も立派なACなので)。そんな中、アメリカにいたときが人生で一番楽しかったらしいですが(毒親から距離を置けていたからなんだろうけど)連れ戻され全てが嫌になったんだと思います。

母には今でも話に出てくる2人の男性がいます。そして母が言うのは「あの親がいるから私は幸せになれなかった」です。2人とも素敵な人だった故にあんな親がいる私は釣り合わないと思った、と。これは自分の中にある自己肯定感の低さを祖父母に転嫁しているのと単純に祖父母がヤバい奴っていう2つの理由があると思うんですが、ここで母は大切な人も自分の親のせいで手に入れられなかったと感じる経験をします。

そんな中行きつけのバーで私の父と出会います。私の父は恐ろしく不細工です。未だに家から写真が出てくると爆笑するレベルの不細工です。母はそこそこ綺麗だったのであんなのと結婚したのは出会ったのがバーで顔がよく見えなかったのとよっぽど自己肯定感が低かった以外の理由がないと思います。

父は建築関係の仕事をしていました。当時はバブルだったのもあり、金回りが良さそうに振る舞っていたそうです(実際そうだったのかは怪しい)。不細工だけどお金はある、両親がヤバいんだけどって相談したけど大丈夫って言ってくれた、そして私のことを溺愛している、私よりお酒が強い(←?)…結婚した理由はそんなとこだと思います。確かそんな交際期間もないまま結婚します。

結婚してからその後父が失踪・離婚(結末言っちゃってごめんなさい)するまでの数年間、母はセレブな生活を楽しみました。良い家に住み、買い物は百貨店で(この頃に買った大量の高級食器が実家にはあります)、専業主婦で趣味のガーデニングや生花や懐石、編み物を楽しむ。犬を飼って、そしてそんな頃に私が生まれました。


ぺたり



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