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◎言語の壁-はじまり◎言語の壁 段階説◎

「どうして歴史の上に言葉が生まれたのか」

私の大好きな椎名林檎さんが、2000年にリリースした「本能」の歌詞の一部です。

その時の私は氣にも止めませんでした。
何不自由なく、日本語を使い、家族と友達とコミュニケーションを取ることができていました。

「言語で伝え合えるということは、なんて素晴らしいんだろう!」
と、どのように話せば相手に自分のことがちゃんと伝わるのかということばかりを考えていました。

そこでふと思ったんです。
「言語が生まれる前の世界はどんな手段で誰かと解り合っていたのか。」
それぞれの国に「言語」があるからこそ、自分と同じ言語を使っていない人たちとは解り合うことが難しくなったのではないのか。
同じ言語同士の人たちとは、言語を使うことでより深く解り合うことができるので、「言語は素晴らしい!!」と勘違いしてしまってるのではないか。

言語はその土地に住む人々が、それぞれにより良く生活をする中で、生まれたものだと思ってますが、そもそもそれぞれで全ての人たちと解り合えなくするために「言語」を使わせられているのではないのかと、思って仕方ないのです。

簡単な話、私はエストニアで生活を始めたところから、「言語の壁」と向き合うことになりました(今も向き合っています)。

私なりに「言語の壁 段階説」ということを提唱しようと思います。

言語の壁 段階説
1言語の壁-はじまり
2言語の壁-欲求と停止
3言語の壁-さとり

この三段階が、私の提唱する「言語の壁 段階説」になります。
詳しくそれぞれの段階を説明していきます。

1言語の壁-はじまり

言語の壁に初めてぶつかった時です。
海外で生活することによって、日本語でのコミュニケーションが取れなくなった場合がこれにあたります。
日本語以外の言語で上手く自分の氣もちを伝えられず、相手の本当に伝えたいことを理解できない状態です。
「もっと英語(や日本語以外の言語)が話せたらいいのにな。」と感じ、他の言語を学習することが解決方法ではないのかと考え出す時です。

また、自分の想いを言語化しようとしても、上手く表現できない場合もあてはまります。
「言語とは、人とのコミュニケーションを円滑にするための重要で必要なものではなかったのか?」と疑問を持ち出した時です。

「逆に、言語があることで、全ての人たちと解り合うことを難しくしているのではないのか。」と思い出した時が、「言語の壁-はじまり」の始まりになるのです。

2言語の壁-欲求と停止

言語でのコミュニケーションが上手くできなくても、それなりに相手とわかり合うことはできます。
「仲良くなるのに、言語なんて関係ないよね!」
と、言語が一番大切ではないと言うことに氣付き始めます。
しかし、人間というものは欲深いもので、それだけでは満足いきません。相手のことをもっと知りたいと考え、相手の言語を学習します。
「もっと知りたい!!もっと知ってもらいたい!!!」
言語の学習に取りかかり、どんどん話せるようになっていきます。
それでも、それぞれの育った環境、国の文化など、知らない間に身についてしまっている感覚の違いから、どうしても解り合えないと思ってしまう時です。
特に日本語というのは独特で、相手の考えや氣もちを思い計るという習慣があります。
例えば、「あれ取って。」
と言われるだけで、「あれ」とは一体何か。さっきまで話していたことや、周りの空気や相手の目線から相手の求めているものを察知しようとします。
また、日本語ではよく主語が省略されます。
聞いている側は、「それは誰のことなのか」と考えながら聞いている習慣が勝手に身についてしまっています。
相手の言ったことに対し、いい意味で「何でそう言ったのだろう。」と言葉のままで捉えずに、裏に込められた想いや考えを想像します。

結局、言語優先の世界になってしまっています。
その日本人の「相手の氣もちを思い計って行動する資質」は素晴らしいと思うのですが、何せ、頭の中では言語を使った思考が繰り広げられています。
英語を話す相手だとすると、英語を完璧に使いこなせていなければ、頭の中で翻訳してから、日本語で想いを巡らせます。英語の情報量が少なければ、思い計るための材料不足になるということです。

「では、どのように「言語」を使って相手に表現しようか。」と思う時点で、自分の行動が言語に支配されているということになります。
日本人相手なら、自分の使える限りの日本語の表現能力を活用すれば、上手くいくこともあるのですが、日本語でない言語を使ってとなれば、かなりの言語スキルと、文化や習慣さえも理解する必要があるということです。

「もっと解り合いたい!」と思う欲求が生まれ、自分にできる限りの行動を取っては見るものの、「結局言語が違えば、解り合うことは難しい。。。」と思ってしまう状態が「言語の壁-欲求と停止」です。

3言語の壁-さとり

さあ、ではこの「言語の壁」にぶつかってしまった時の解決方法とは一体何なのか、というところです。

私の提唱する「言語の壁 段階説」の考えによれば、他の言語を学習することは解決策にはなりません

現在世界の人口は約75億9469万人となっています。

世界で話されている言語ランキングは以下の通りです。
世界の言語ランキング【決定版】より
1 英語 15億人
2 中国語 11億人
3 ヒンドゥー語 6億5000万人
4 スペイン語 4億2000万人
5 フランス語 3億7000万人
6 アラビア語 3億人
7 ロシア語 2億7500万人
8 ポルトガル語 2億3500万人

もし英語をマスターしたとしても、「世界の人口の約20%の人たちと解り合えるようになるかもしれない」ということです。

言語で解決しようとするのであれば、「全世界の人々が同じ言語を話せるようになる」か、もしくは「全世界の人々が全世界の言語を話せるようになる」かのどちらかしかありません。

世界共通語として考案された「エスペラント語」を使うとしても、今から学習しなければなりません。しかも世界中の人々が。

エスペラントを話す者は「エスペランティスト」と呼ばれ、世界中に100万人程度存在すると推定されている。

世界共通語と考案されたとしても、100万人しか話せないのであれば、それは超少数派になるんじゃないのかなと思ってしまいます。


「言語の壁 段階説」を提唱している私ですが、まだ「言語の壁-さとり」に至っていないのが現状です。
1つ、「これだ!!」というものはあるのですが、それについては次回のnoteの記事として書かせてもらいたいと思います。

これを読んで、「私は『言語の壁-欲求と停止』のまさに停止中だ!!」と共感していただけたのであれば、ご意見お願いしたいと思います。

「いや、もう悟っているよ!」
という方もおられましたら、一緒に「3言語の壁-さとり」を完成させませんか???

よろしくお願いします◎


言葉の壁、はじまり。


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