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知古とさよなら

7/25
私はいつだって最高、今夜もブギーバックだと全力で遊び仕事をしてろくに休んでいなかったからか、見事に風邪をひく。久しぶりに生活を省みた。

東京から帰宅して一息ついた途端、体がぐらぐらした。これはおかしいと病院に駆け込む。
なんの変哲もない風邪だと言われる。ただ、熱は37.8度ある。
帰宅し服薬をしても熱は順調に上がり続けた。これは天罰なのだと受け入れた。38.5度を超えたあたりでここ最近犯した罪の羅列をやめ、意識を手放した。

7/27

天誅の手も緩んできたのか、体調はかなり楽になる。
しかし心は弱りきっている。私の罪は一生見逃してくれ、もっと下劣な奴らに、そして私が嫌いな奴らに特に罰を与えてくれ、と卑近な気持ちになる。こんな心持ちで生きているのでいつかまた罪報が訪れるだろう。

7/28
家から一歩も出ずに過ごす。
知り合いの子供が誕生日なのでアイスケーキを食べるという。アイスケーキなどもう何十年も口にしていない。熱が下がったとはいえ風邪をひいている身としては、甘くひんやりしたその食べ物はたいそう魅力的に、そして羨ましく思えた。
アイスケーキにはろうそくを立てるのだろうか。

7/29


体調も気持ちもかなり回復する。
ゼリーやプリンを思う存分食べ、エアコンを効かせた部屋で毛布にくるまってNetflix「サンクチュアリ」を延々と見ていた。

自宅でやらなければいけないことも済ます。たまには体調をくずしてみるものだ。元気だったら朝から晩まで遊びまわり、やらなければいけないことを一切やらず仕舞いだったに違いない。

友人が女の子にアクセサリーをプレゼントするとのことで、私も釣られていろんなブランドのサイトを見ていた。ぴったりのアクセサリーが見つかるといいな。

欲しいと思ったものを人に頼んで買ってもらう経験が無い。
チャンスはあった気がするが、欲しいと思ったら自分で買った方が早い。物欲に弱いので、手に入れるまでそのことばかり考えてしまい、他のことに集中できなくなる。それにいつか買うなら今買った方がいい。手に入れて愛でる期間は長い方がいいに決まっている。
同じように、やりたいと思ったら何だってすぐにやってみたい。それで痛い思いをしても「まあ、やったし。」と後悔なく前に進める。やらない後悔ほど引きずるものもない。

ただ、欲しいものを人に無為にねだれたなら、私の人生は全く違うものになっていたとも思う。たまにはやってみようともするのだが、どうもうまくできない。恥ずかしくなってしまう。

今の私にぴったりなピアスを見つけたのでさっそく欲しくなる。たまには手に入れるまでのそわそわも楽しんでみたい。

7/30


東海FSへ。今回は永遠嬢様と歌の王子様・ルルくんの3人で出演する。
ルルくんの甘く切ない歌声は会場を満たし、皆んなの眦に涙が浮かんだと思う。
永遠嬢様の優しい眼差しも一身に受けて、身も心もとろけた。

こんなに楽しくステージに立てるのは見に来てくれる人たちのおかげだと改めて感謝する。

8/3


弟夫婦とシーシャ。
仲睦まじい様子で安心した。

8/4


最近気づいた事
・人の年齢を当てるのが苦手
年齢に興味がないのかもしれない。たまたま知り合った人が同世代だと嬉しい。


10何年来の友人と久しぶりに飲む。
懐かしく嬉しく、飲みすぎてしまう。

8/5


明日思いっきり遊ぶために、やらなければいけないことを終わらす。
夕方は日泰寺に行く。盆踊りをしていた。

8/6


神戸のカレー屋ドミロンさんへ。夏祭りをしにいく。
概念としての夏を自ら掴みに行く日。こんなに夏らしいことをするのは初めてなのでは。

まず、女の子と待ち合わせをしてドライブ。道の駅でアイスを食べる。



神戸に着き浴衣姿のドミロンさんを見ながらレモンチキンカレーとキーマカレー。指には光る指輪、手には光る団扇。暇さえあれば光るスーパーボウルを飛び跳ねさせて悦に浸っていた。

お腹も膨れたし商店街へ散歩。
アヒル掬いをする女の子を眺める。お椀いっぱい掬ったのに一つしか貰えず。私は水風船掬いをする。洗面器いっぱい掬ったのに二つしか貰えず。でもそんなのも楽しい。



夜はドミロンさんの店先でスイカ割り。
角材を振り落ろし、半分ほど割ることができた。
帰る人たちを見送りながら、もしかしたら今日で夏は終わるのかもしれない、と不安になる。やり残したことがまだたくさんあるのに。



毎日を楽しむのに精一杯で、嫌なことはすぐに忘れてしまう。
楽しかった時は影の部分も同時に強く感じる。心身が充実すると共に内省も止まらない。

立ち止まったら激しい後悔で自分が崩壊してしまいそうだ。
毎日必死で生活の体を成している。朝起きて昼間働き、夜眠る。食事は適度に摂り体を清潔に保つ。私にとっては難しいことばかりだ。何か一つでもおろそかにしたら全てが嫌になってしまう。些細なことで全てを投げ出してしまいそうな自分が怖い。

そんな時は大切なものを数える。
窓からさす朝の光、雨に濡れた街の灯り、女の子たちの眼差し、楽しかった日の写真、両親の手、ふかふかの布団、海で拾ったシーグラス、元夫からの手紙、体についた縄跡、桃のかおりの香水。書ききれないほどある、脈絡がないありふれたものでも、私にとっては宝物だ。宝物のことを考えると体の力がほどよく抜ける。自然と深呼吸もしている。
投げ出さずに生活を続けなければ無くなってしまう。

とりあえず今日も無事に終わることが出来そうだ。毎日楽しく生きていけることに感謝をした。たまに絶望もするが。
死ぬまで毎日この葛藤を繰り返さなければいけない。

8/7


朝起きて、ドミロンさんの顔を見に行く。
昨晩は無かった、はすの花が一輪あった。切り花として売られていて、散歩の途中で買ったという。はすの花の群れからはぐれたようでぽつんとした佇まいだった。
(私が見たときは蕾だったが、一晩で咲き綻んだと後で知る。生命力に圧倒されると共になんだか色気のある花だと思った。)



神戸での仕事を終えて、気になっていた中国茶屋さんに行く。お目当てのお粥は売り切れだったため、また改めて行こうと思う。
お茶とお菓子を頼んだが、熱い飲み物をゆっくりたっぷり飲むことは滅多にない。
帰りの新幹線に乗っている時も体がぽかぽかしていた。


きれいなものをたくさん見た気がするけれど、終わってしまうと思い出すのが難しい。女の子たちの瞳の中に、光がたくさん入っていて美しかったのは覚えている。

8/7〜14

8/15


今年の始まりの、辛い時の写真を見返していた。大きな穴を抱えながら生きていくと決めている。埋める気はない。
暗くて陰鬱な写真の並びに、女の子たちと遊んだ写真が現れた。何とか生き続けていけるのは周りにいてくれる人たちのおかげだ。
投げやりに生活していたが、気持ちを正そうと思えた。

「アンテベラム」
「ドントウォーリーダーリン」
を見る。

8/16  


旧友が我が家に来てくれる。私が作ったカレーライスを皆んなで食べる。

パスポート取得センターに行くも、戸籍謄本ではなく住民票を持っていったと間違えに気づく。
悔しくて地団駄を踏んだ。(本当に踏んだ。)


8/17


夏休み。
図書館とジムに行き、アイスを3つ食べ、夜はヨガに行く。合間に本を読んだり映画を流し見したりする。
失ったものを数える様にして生きるのをやめたい。数えたとしても戻って来るはずがないのだ。

8/18


呪縛に向けてお参りへ。
前祝いのような、飲み会もする。こんなに賑やかに騒げばお化けも寄ってこないだろう。

8/19


カヌレ女子会にお邪魔する。友人宅に呼んでもらうなんて久しぶりなのでどきどきした。
夜の街に立つ女の子の眼差しが美しかった。  

8/20


8月の一大イベント「呪縛」の日。
永遠嬢様と『瓜子姫と天邪鬼』という緊縛ショーをする。

舞台の上で永遠嬢様と目が合う時の、言葉では全く表現できないこの気持ちを人に伝えることが出来たらどんなに良いだろうか。
とても近くにいるのに、ものすごく孤独を感じる時もある。永遠嬢様がどこか遠くに行ってしまうのではないかと常に怯えながらステージの上で目を合わせている。

8/21


昨日の呪縛の打ち上げ、そして優勝をするためにカラオケに集まる。

遠くから来た女とその子供が、遠くに帰るというので見送る。
女の方はよく知らない人だが年に3回くらい会っているような気がする。子供は見るたびに大きくなっているので、もしかしたら別人に入れ替わっているのかもしれない。

8/22


矢のように毎日が過ぎていく。気がついたら8月も後半になっていた。
人生が愛おしいと思えるようになりたい。

8/23〜25

8/26


女の子のお引越しの様子を見に行く。
何度か遊びに行ったことがあるお部屋に、もう二度と行くことは無いと思うと妙な気分だった。自分の引っ越しほど感傷的にはならないが、ここであった楽しいことや美しい光景を思い出す。
新しいお家でも賑やかに過ごせますように、そして新しい門出を祝福する気持ちを表すために紅白の服を着た。

消防署の前を通りがかる。
訓練をしている人を見るたびに「消防士、ひとり舞い落ちてこないかなあ」と思う。

夜は演劇のワークショップに参加する。
自分の感情表現の下手くそさに嫌気がさしてきた。


8/27


集中力が無い日。
あれこれに手をつけ、そして何も片付かない。
何も片付かないため家から出ることが出来なかった。今日は一言も会話をせずに一日を終えようと思う。(作業をしながら鼻歌はたくさん歌った。)

気がつけば8月も終わるという。
夏にやり残したことはないかと思い出してみるが、とくに思い当たらない。
一夏の恋という表現がある。あれは本当、もっと夏が涼しい時に作られた言葉だ。
暑くて恋どころではなかった。

今を楽しんだり悲しんだりするのにいっぱいいっぱいで、先の事が考えられない。秋になったら、冬になったら、やりたいことがたくさんあるし、その時々でまたありもしない事柄で悩んだりして、勝手に苦しんでいるのだろう。

そういえばまた桐野夏生の村野ミロシリーズを読み直した。人生で何巡目だろうか。(ミロのヴィーナスだと説明する時のほうが多いが、こっちが本来の由来である。)

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