見出し画像

【ケルトン、レイ、フルワイラー:我々はMMTの世界に生きているのか?ーーいや、まだだね】

MMTの経済学者は、彼らが政策立案者に財政赤字の危険性〔という誤った考え〕について再教育したことは評価に値するが、租税やインフレについては〔議論が〕それほど進展していないことを認めている。(ブルームバーグ)

 ブルームバーグ紙は、2021年7月23日付けの記事『Are We Living in an MMT World? Not Yet(我々はMMTの世界に生きているのか?ーーいや、まだだね)』で、最近の財政やMMTに関する議論について、複数のMMTの学者の声を紹介している。

(本記事は翻訳記事ではない。著作権の関係上、記事への言及は引用や言い換えに留める。特に括弧書きや引用枠での引用以外は、note筆者の主観的な言い換えや、補足的解説〔本記事で言えばケインズのくだりや機能的財政への言及など〕であるため、あらかじめご承知おきいただきたい。英語の記事本文については上記のハイパーリンクから参照をお願いする。無料での閲覧はブルームバーグにサインインする必要がある。)

矮小化される議論:調子がいいのは危ない時だけ

 政府高官や、著名な学者、ウォール街の発言が以前よりもMMT的に聞こえるかもしれないが、MMTの学者はこうした話の多くを否定している。「それは、彼らの研究成果を単純な処方箋に還元した戯画的なバージョンに基づいているからだ。」要するに、MMTの議論を「財政赤字も政府債務も問題ない。どんどん財政拡大しろ」といった「単純な処方箋」に矮小化しているという話だ。

 MMTの人々は、現時点で経済学界に大きな変革をもたらすかについては悲観的だ。その内の1人であるスコット・フルワイラーは、「主流派経済学は、パンデミックの際に財政政策を積極的に用いることを『特殊なケース(special case)』とみなすだろうと予想している。」例えば、FRBのパウエル議長は、コロナ禍での赤字支出を支持したが、7月15日の議会証言では財政赤字は「長期的には持続可能ではない」と述べている。

 さて、本noteの筆者が「special case」などと言われたら思い出すのがケインズの『一般理論(general theory)』第1章の冒頭である。ケインズがこの本に『一般理論』と名付けたのは、「特殊なケース」にしか適用できない古典派経済学の理論と対比するためだった(『雇用、利子および貨幣の一般理論 上』間宮陽介訳、岩波文庫、2008年、p.5)。ところが今では新古典派の流れを汲む主流派経済学者たちが、自分たちの学説こそ普遍的に正しい「一般理論」と見做しており、MMTはコロナ禍のような「特殊なケース」にしか当てはまらないと考えているという。これは全くの逆なのだが。

ストップ&ゴー(…トゥ・ヘル):地獄への片道切符

 米国は数十年にわたって金融政策(金利調整)中心に対応してきた。財政政策については、議会の審議を経る分、FRB(中央銀行)よりも時間がかかってしまうと見られている。MMTは、そうしたタイムラグの問題に対し「自動安定化装置(automatic stablizer)」を提唱している。

 「議会は失業保険などのプログラムを恒久的に強化する機会を逸し、代わりに任意で期限付きの一時払いや給付金の強化に頼っていた」とフルワイラーは指摘する。「結局、共和党と民主党の対決に逆戻りしてしまい、埒があかず、多くの人が苦しんでいる」。

 つまり、タイムラグを最小限にし、人々への迅速な支援を可能にする、恒久的な自動安定化装置(スタビライザー)の議論よりも、一時的な補償や現金給付といった裁量的な財政政策に固執することで、何ヶ月も与野党の駆け引きに持ち込まれるような事態を招いてしまっているというのだ(もちろん昨今の現金給付のように緊急性に鑑み比較的迅速に対応できたケースもあるが、そうした緊急性に関する合意が保証されない限り議会の綱引きによって支援が遅れることに変わりはない)。

ジョブ・ギャランティー:大事なことはいつも後回し

MMTの究極の自動安定化装置は、政府が「最後の雇い手(ELR)」となり、希望者に仕事を提供することだ。この考え方は、数年前までは民主党の一部の有力者の間で流行っていたが、現在では社会的な議論からほとんど消えている。このことは、MMTer達にとっては大きな障害となっている。彼らは、この政策は、失業率が大恐慌以来の高水準に達したコロナ不況の際に、その価値を証明できたはずだと述べている。

 ランダル・レイは、「就業保証(JG)は、失業手当を増やしたり、航空会社に1件あたり30万ドルを支払ったり、お金を必要としない家庭に小切手を郵送〔現金給付〕したりするよりも、はるかに意味がある」と強調する。「最初は安全上の懸念から人々を働かせることができなかったとしても、少なくとも仕事を失った人々に向けて支出を行うことができる」。

貧乏人に回せ!:財布の紐と同時に自分の首も絞める

 またMMTの学者達が問題視するのは、現政権を取り巻く「ペイ・フォー(資金調達)」、日本で言えばいわゆる「財源論」である。例えばブルームバーグの記事で指摘されているのは、バイデン政権が、高所得者層や企業への増税によって、子供手当などの政策の「財源」を賄おうとしていることだ。そのような「ロビンフッド式(金持ちに貧困政策の資金を賄わせる)」のやり方は、「我々〔MMT〕と同じアプローチではない」とケルトンは言う。「ドル(支出)にドル(税収)を合わせる(帳尻を合わせる)」やり方だからだ。

 以下のことはブルームバーグの記事では詳しく触れられていないが、MMTが重視するのは機能的財政の考え方であり、租税は貨幣への需要や、分配といった「公共目的」の実現のために行われるべきであり、資金調達の手段ではない(より正確には、資金調達の手段たりえない。納税債務の償還自体は通貨の破壊であり、電子上の操作に過ぎず、税金によって支出を賄うことは物理的にありえないからだ)。

処方箋は利上げだけ?:ヤブ医者はいつだって診察を怠る

 租税政策のあり方以外に、インフレへの対処についても障害を抱えている。米国では政府支出の拡大に伴い、インフレへの懸念が高まっている。MMTでは、「金利という鈍器を持つFRBだけでなく、複数の政府機関がインフレ管理に関与する」ことを提唱している。当然議会にもその役割があり、いわゆる「帳尻合わせ」よりも、「物価上昇圧力に目を向けて支出や租税の計画を立てる」ことが求められる。ケルトンは、このような予算編成のアプローチと現在のやり方との間には、まだ「大きな隔たりがある」と見ている。

 MMTでは、インフレ対策には画一的な方法を取ることはできず、「半導体の供給不足による自動車価格の上昇など、供給のボトルネックを解消するための政府の介入や、企業の価格決定力が強すぎると思われる分野で競争を促進するための規制やその他の手段など」、対処の仕方は多岐にわたるとされる。この点バイデン政権は、従来の金利政策ありきの対応に拘らず、上記の包括的なアプローチを打ち出している点では評価できる。フルワイラーも「サプライチェーンの問題を解決する方法は、金利を上げることではない」と指摘している。「インフレの解決策は、そのインフレがどこから来るか〔原因〕にかかっている」。

さあ旅を続けよう:「MMTへの最後の1マイル」

 「財政赤字や政府債務に対する警戒感が薄れている」という点ではMMTに近づいてきていると見えるかもしれない。しかし、ケルトンによれば、「MMTの中核的な主張を受け入れている人は少ない」という。つまり、「自国通貨を発行している政府は、支出のために誰かから通貨を借りる必要はない。また、政府が国債の発行を選択する場合、政府はいつでも任意の金利を選択することができる」という財政観である。

 ケルトンは、この「知的飛躍」を「MMTへの最後の1マイル」と表現している。経済学者や政策立案者が、これを受け入れるかについては未だ悲観的だ。逆に言えば、このステップを超えられるかが政策方針における転換の要となるかもしれない(それにしても、ブルームバーグ紙の最近のこうした記事を読むと、日本の有力紙と米国の有力紙では、取材・報道の誠実さにおいてあまりにレベルが違いすぎると改めて感じる)。(了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?