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モズラー「ドルはどこからも『来ない』し、どこへも『行かない』」

納税や国債購入のためのドル〔貨幣〕が政府からしか得られない貨幣システムでは、政府がドルを使い果たしたり、支払不能に陥ったり、借り手を締め出したり、金利を上昇させたりするという考えは全く当てはまらない。

 久しぶりにモズラーが、メディアに寄稿してるので読んでみた(“OPINION MOSLER: The Alarm Surrounding The National Debt Is Misguided”、The  Daily Caller、2021年10月22日)。

 アメリカでいわゆる「国の借金」に対する懸念が再度強まっている。国の公的債務が30兆ドルにまで近づいているかららしい。今回は、モズラーがその懸念が誤っていることを短い文章で解説している。MMTの議論に触れている人なら馴染みのある説明だが、この基本的な部分についても、「MMT!」と言いたい人たちの中には「あれ?そこはそういう理解なの?」と思うことも少なくない。やはり基本が大事というやつで。

 まずは「そもそも公的債務って何?」という話から。「国家債務」(national debt)と言えば英語でも「国の借金」というイメージがあるからみんな怖がる。モズラーの説明はこう。

第一に、公的債務それ自体は残差の計算です。議会の命令で使われたお金〔政府支出〕のうち、まだ税金の支払い〔徴税〕に使われていないものです。これを「貨幣の純供給量(net money supply)」と呼んでも間違いではありません。そしてもちろん、経済が機能するためには貨幣供給が必要であり、経済が成長するためには貨幣供給の増加が必要なのです。

 まあ馴染みはあるけど、一般の人にいきなり「残差の計算」と言っても「は?」という反応が返ってきそう。要するに、公的債務の発行残高は政府支出から税収を引いた差額に過ぎないですよー、ただの数字ですよーということ。この差額の分だけ国債を発行しているという話で、そもそも国債は誰かから借りている借金でもない。「借金じゃないならそもそも国債って何なのか」という話はまた後ほど。

 まず押さえるべきは、政府の支出と同じ額のお金が経済に供給されて、税収と同じ額のお金が経済から回収される(実際には消される)ということ。結果経済に残ったお金が、「貨幣の純供給量」ですよと。

 ちなみにここで注意すべきなのは、経済にお金を供給するのは、政府支出であって、純供給量の額が公的債務の額と一致してますよねということ。ここを履き違えると、「国債をバンバン発行すれば世の中にお金が出回って経済が豊かになる!」とかいう話になってしまう。

 まあここの「経済が成長するためには貨幣供給の増加が必要」というモズラーの文を読むと、「ほらMMTだってどんどん財政拡大して経済成長すべきって言ってるじゃん!」と噛み付いてくる人もいそう…。ただここで言っているのは、経済成長って通貨単位に基づいて観測されるわけだから、論理的に貨幣供給が増えないと経済成長しないって当たり前の話でしょという話。

 そもそもMMTは、財政政策で完全雇用物価安定を達成しましょうと言っているでしょう。MMTで財政拡大!経済成長!と言いたい人のうち、どれだけの人が完全雇用とか物価安定といったことを言ってるのか…(言ってる人がいたら教えてね、ああ別に「10人Twitterのアカウントを挙げてみろ!」みたいな意味不明な要求はしませんけど)。

 経済成長を否定するしないではなく、政府の支出能力を理解したなら、「生活の保証、雇用の安定は経済成長待たなくてもできるよね?」、「逆に何で経済成長がそれらの“財源”みたいに言われてるわけ?」という話。

 皮肉なのは、「記述と規範は分けるべき!JGPは規範であって、自分とは価値観が合わないから切り捨ててよし!」みたいな考えの人に限って、ここら辺の経済成長に関する「記述」などを恣意的に「規範」と読み取ってしまう点。これまでもインフレ・デフレの議論で似たような現象は起きている。しかも規範、規範と言うなら、「MMTの規範部分は切り捨ててもいい」っていうのも、「それって、あなたの規範ですよね?」っていう。

(画像は、実在の人物とは一切関係ありません。ただのウザい40代のおっさんのイメージです。)

 さて、モズラーの記事に話を戻すと、「いや政府の支出が経済にお金を供給するのはわかるけど、その政府支出の財源に税収とか国債に頼ってるんじゃないの?」という話が次に来る。モズラーの解説の続きを見てみよう。

第二に、現代貨幣理論(MMT)が登場するまでは、「政府が支出するためには税金を集めるか、借金をする必要がある」と誰もが考えていました。残念ながら、彼らは非常に長い間、順序が逆だったのです。
MMTでは、納税や財務省証券の購入に必要なドルは、議会が指定した代理人である連邦準備銀行(FRB)と、FRBの完全な規制下にある加盟銀行からのみ供給されると認識しています。したがって、論理的には、議会の代理人〔政府〕がまず支出して経済にドル〔貨幣〕を供給し、その供給されたドルが納税や政府証券の購入に使われるのです。

 MMTでいう「スペンディング・ファースト」。「税収が財源!」という人は「あなたが税金に支払うお金は誰が経済に供給したの?」となるし、「国債が財源!」という人は「その国債を買うお金は誰が経済に供給したの?」となる。「積極財政」「反緊縮」界隈では、「税は財源ではない!財源は国債!」と言いたがる人が多い印象だけど、それ話の半分で止まってますよねと。だから押さえなきゃいけないのは、「税収や国債が政府支出の財源になる」のではなく、「政府支出が税収や国債の財源になる」ということ。

 しかしそんなこと言われても「財源なしで支出できる」という意味が分からない人も多い。だから「国債発行することが通貨発行!これで支出できる!」とやっちゃうのだろうなぁと。実際、自分も以前はそう考えていた。そこでモズラーです。

議会〔政府〕が支出すると、FRBはFRBにある適切な加盟銀行の口座に入金するよう指示されますが、これは「準備預金口座」(FRBにある口座と同様)と呼ばれます。バーナンキ前FRB議長が証言したように、「...我々はコンピュータを使って彼らの口座の数字を引き上げる...」。これは単なるスコアの記録作業の問題です。
同じように、税金が支払われて小切手が決済されると、FRBは加盟銀行の準備預金口座から引き落とし(数字を引き下げる)、その加盟銀行は納税者の銀行口座の数字を引き下げるだけです。ドルはどこからも「来ない」ですし、どこへも「行かない」のです。FRBはドルを持っているわけでも、持っていないわけでもありません。ただ、〔それぞれの口座上の〕数字を上下に変えて、自分がしたことを説明するだけです。

 政府が支出をするときには口座の数字を引き上げ、徴税をするときには口座の数字を引き下げる。数字を書き換えるだけ。FRBの人がそれを認めている。行われているのは、数字の書き換えであって、物理的にどっかからドルを引っ張ってきて、こちらへ持ってきているわけではない。「税収」や「国債」は「使われて」いない。法律上、言葉として「税収や国債を財源とする」ということにしておいたとしても、物理的にやっている作業はキーボードを弾いて数字をいじるだけですよね、ということ。この作業では「お金を刷って」すらいない。

(財政のオペレーションも、得点表をいじってるだけ。どこかから数字をモノみたいに持ってくるわけではない。)

 「支出するには、通貨を発行する必要がある」じゃなくて、「支出は口座の数字を引き上げるんだから、支出する時点で同時に無から通貨を発行している」、だから「政府支出≡通貨発行」が成り立つし、順番は「政府支出→税の徴収、国債購入」、つまり「スペンディングファースト」となる。「カネ刷れ」の人の頭の中では、未だに「通貨発行(国債発行)→政府支出→税の徴収」みたいな感じになっていると思う。国債発行=通貨発行と捉えて、政府支出にはやはり「財源」が必要と考えている。

 せっかく財政赤字の神話から脱却したいのに、「税は財源でない」で終わってる半端なツッコミでは、「半端な神話」を補強してしまうでしょ。もっと言えばMMTは国債廃止を言っているし、国債発行しなくたって財政支出は可能だし(皮肉を込めて「パソコンとキーボードが財源だ」という人もいるけど…)。

 「国債発行=通貨発行」ということならそれによってお金が増えるってことなんだけど、モズラーの最初の方の説明で言ってるのは、公的債務の発行と同じ額のお金を「政府支出によって」供給したわけであって、それによって貨幣の純供給量(税を引いた分)が増える。国債発行によって増えたわけではない。モズラーはこういう言い方をする。

財務省証券の購入は、FRBの準備預金口座からFRBの証券口座へとドルを移動させるだけです。そして償還期限が来ると、FRBはドルを準備預金口座に戻します。それが毎月行われていれば、納税者も孫も出てくる話ではないでしょう。

 要するに、国債の購入は、ケルトンの言い方を借りれば、緑のドル(ただのドル)を黄色のドル(利子が付いたドル)に交換するだけ。通貨の発行ではなく、発行された通貨の交換。国債購入を考えるなら、それこそ「財源」を考えなきゃいけない話で、準備預金口座にお金がなかったらどうやって国債を買うんですか、ということ。国債を購入しても貨幣量は不変。しつこいようだけど、貨幣の純増をもたらすのは政府支出

 おっと、こんなところにいいまとめが。

政府支出≡通貨発行
徴税≡通貨回収
国債≡利子付通貨への両替

数字を動かすだけの政府支出に「財源」の概念はない。
政府支出が租税と国債の「財源」になる。
実物資源はその「制約」。

また政府の赤字は非政府部門の黒字。

問題は庶民にとっての黒字なのか、一握りの人だけの黒字なのか。


https://twitter.com/goethe_chan/status/1452166667073585152?s=21

 だから「金刷って財政拡大!」「国債を財源に財政拡大!」「財政拡大で経済成長!」あるいは「ついでにベーシックインカム!賃労働からの解放!」と言いたい人は、MMT全然関係ないので、MMTの権威に頼らず(しかも世間ではまだまだトンデモ理論とみなす人がいるのだから、その権威に頼りたがる意味もわからないし)、自己責任で主張すればよろしい。

 明らかに違うものをMMTとして広めるなら、そりゃツッコまれるのは当たり前だし、それを「MMT原理主義だー!」と藁人形批判やるのもいい加減にして欲しいわけね。大体「MMTは国債を無限に発行しても問題ないトンデモ理論だ!」みたいな藁人形の生産拠点が、そうしたエセ支持者なのだから。言葉として流行らせたいなら「MMT」じゃなくても、「マネタリーモダンポリシー」でいいでしょう。

(画像は、実在の人物とは一切関係ありません。ただのウザい中年ブルガリハンターのイメージです。)

 国債が財源とか、金刷れとかいうのは、「MMTと違うから」以前に「事実と違うから」批判してるのね。そこに思い至らずにいい加減な「MMT原理主義」批判なんか展開しなさんなと。…ついつい愚痴ってしまったが、とにかく基本は大事!

 ではまた(`・ω・´)

(文/絵 @goethe_chan)

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