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ティッシュ配りの歌

1."揺光の傍らに" Release Party 


長いので3.ティッシュ配りの歌のこだわり からみる事をお勧めします。


まずは1/9 揺光の傍らにGOENDz pre. GO NO Yeah!!!!!!!
2nd ep "揺光の傍らに" Release Party、見てくれて本当にありがとうございました。
またこのブログに興味を持ってくれて開いてくれてありがとうございます!

こんばんは、湯河原町出身バンドマン兼シンガーソングライターであるGOENDです。

ブログは去年の頭、毎日やるぞー!って決めて3ヶ月で限界になってしまった。ブログとは毎日書くものなのか、いやそもそも良いことがあった時に書くものなのか、量はどのくらい書けばいいのか、もうごっちゃになり携帯を変えたタイミングでアカウントには入れなくなってしまった。

今後はこのnoteに書こうと思ってる。
可愛く文章を書けないし、読みづらいかもしれないし、長いかもしれない。根気強く呼んで下さい笑

ちょっと昨日ライブ映像を出した"ティッシュ配りの歌"の制作秘話っていう大それた話みたいに聞こえちゃうけど、残しておこうかなって思って!


2.ティッシュ配りの歌との出会い


2021年6月終わりくらいに神田さんから

「ゴーちゃん、映画好きでしょ、元々俺に来てた話なんだけどゴーちゃん短編映画とか出てみない?」と話が来た。

間髪入れずに「やります!!!やらせて下さい!!」っデカい声で返事したのを覚えている。

知らない人の為に最初に説明をしておくのだが、この"ティッシュ配りの歌"は早稲田の映画研究会の秋山さんという監督が作った"ティッシュ配りの歌"という短編映画の為に作り、歌詞もそのストーリーと自分の気持ちを混ぜた特殊な作品になっている。

自分はそもそも大学で政治、ジェンダー、人種差別、戦争を映画から学んでいこう!みたいなゼミに所属していたくらいなので願ったり叶ったりみたいな話だった。

秋山さんとミーティングや、初めての"台本"そしてその"読み合わせ"、"香盤表"といった映画ならではの話を聞いて、自分は完全に浮かれていた。

ここで一つ発見があったのだ。自分はテンションが上がり過ぎると曲を書けるのだ。

台本をもらった翌日には、台本を読み込み、メロディと歌詞は完成していた。短編映画の中身も音楽を交えたシンプルなヒューマンドラマだけれども、本当に素晴らしい内容だったから。
そしてGOEND史上、最も映画に沿ったエンディング曲が出来たのだった。

制作のタイム感も結構ハードだったけど、弾き語りで神田さんと一緒にレコーディングをしたんだ。7月終わりか、8月上旬だった気がする。

その後順調に8月後半から9月にかけて、撮影が行われ秋山さんの学校の方々や、映画の大学の方々の協力を得て、撮影が終わった。本当に秋山さんの撮影効率の手際の良さも感服したし、何より楽しかった。

大学の学祭、その期間中、有料でYouTubeや、上映会も行われたらしいのだが、地方フリーターなので都内には足を運べなかった。悔しい。

撮影中、1番思い出に残っているのは、路上演奏のシーンを撮影している時に、ピンク服で死ぬ程荷物持っているおば様が「一曲歌ってよ。」と言ってきたので丁寧にGOENDzの"カレーができたよ"を歌わせてもらったら、「いいじゃん、連絡先交換してよ。」と携帯の電話番号聞かれた事である。
なんかちょっと違うかもと思って「Twitterなら!」って言ったら去って行った。そういう世界に住んでいる。俺は。

今回はこの楽曲の説明なので、またお話ししたい。どういった映画内容でっていうのは2/22に湘南bitで秋山さん主催の上映会兼ライブがあるので是非お越しください笑笑

3.ティッシュ配りの歌のこだわり(メロディ編)



自分でも最速で出来た楽曲、"ティッシュ配りの歌"、こだわりなんてあるのかと上記を読んでくださっている方ならうっすら思っているかもしれない。
だが、台本を読んでいる時には既にメロディの構成が出来ていたのだ。

①絶対"ラララ"を入れたい

GOENDzのエキストラには"ラララ"を入れている事が多い。

これは僕のこだわりで
"メロディめちゃくちゃ良いから最悪歌詞はいらないぜ!" 

といった自分の強気の姿勢がここにこもっている。こもっている分、"ラララ"を歌っている時は余計に顔に出る。表情で伝えようと心掛けているのだ。是非次のライブ注目してみて欲しい。

また尊敬して止まないかりゆし58のウクイウタ  

この楽曲からも非常にインスピレーションを受けている事は間違いない。聞いてみると最後に"ラララ"を歌っている。やはり最高。
ちなみに大黒摩季のら・ら・らを歌いながらうがいをしている。GOと"ラララ"の関係性は非常に深い。

②Cメロが全て


後で歌詞にも出すがGOENDz、GOEND、鶏華瓶の楽曲は全曲とは言わないものの、現状Cメロに意味わからないくらい力を入れてしまう。
サビの補足説明の立ち位置にCメロというものが来ていると自分は考えている。やっぱりそれがあるから、楽曲が成り立っているのではと思う。

どんだけ上手に歌を歌っても、歌詞にこだわりバンバン入れても、音程を外さなくても、熱量爆上げしても、伝わっている人には伝わるし、伝わらない人には伝わらないのだ。伝わったとしても全部伝わるなんて稀な事。

といったマインドなのだが、自分は全部伝えたいのだ。100%やって初めて50%伝わるのではなかろうか。

"例えどんな形であって、微笑み合う関係だって
手探りの今だけは嘘じゃないだろう。"
"例えどんな形であって、釣り銭渡す関係だって
手探りの今だけは認めていよう。"
GOENDz/「ティッシュ配りの歌」より

この歌詞の部分は神田さんと言い合いをした記憶がある。普通に考えたらもっと気持ちの良いコード進行でメロディを進める所を自分は嫌がった。

このコードはサビとほぼ同じなのだが、1箇所違う所がある。
Cメロ冒頭のFmなのだ。サビはここがG#なのだがFmはこのG#の裏のコードなのである。
つまり何が言いたいかと言うと、

ここは第二のサビ、裏のサビです。
って事なのだ。

全部は伝わらないけど、全部伝えたい。少ない言葉数、少ない手持ちの表現方法としてこれを選ぶ他なかったのだ。
そしてここが何より伝えたい事なんだよって事を暗に意味している。やっぱりCメロはサビの補助なのだ。


4.ティッシュ配りの歌のこだわり(歌詞編)


付いて来られている方はいるのだろうか、、、自分はやっぱり文章をまとめるのは下手くそだ。

だから楽曲一曲に注力出来るってのもある。だから逆に話してても結構テキトーに話している様に思われている。

1/9出演してくれたPep Rainのモモコなんかは俺の相槌とかに「ちゃんと思ってます?聞いてます?」と良く聞いてくる。(そんなイメージ)

すげえちゃんと思っているのになあと思うがなかなか伝わらない。そんな男。人生25年目。

こだわりを話します。

①1番と2番で主人公が違う

これは結構驚きなのではないだろうか。
そう、短編映画"ティッシュ配りの歌"では
主役のティッシュ配りのバイトをしている小野と売れないシンガーソングライター武田(自分)とのヒューマンドラマなので、
まずは歌詞の主人公を分けたのだった。

"ああ子供の頃の僕なら何て言うかなんて
街ゆく人にさ、見られもしない。
ただ配るは紙屑。"
GOENDz/ティッシュ配りの歌

これが1番のAメロ。もうめちゃくちゃティッシュ配りの方

"ああ子供の頃の僕なら笑って居られるかなんて
変わっていくビルの広告と
銭の入らないギターケース"
GOENDz/ティッシュ配りの歌
(以後ティッシュ配りの歌と略)

2番のAメロである、ビルの広告が何度も変わっているのに歌い続けているが売れて居ないと言う表現をうまく出来ている(自画自賛)

それくらい二人が似ているんだと言うことも、少し表現したかった。熱い想いのあるそういう気持ちを持ちながら生活しているのではないかと考えたからである。

②未来=ティッシュ

"もう終わりだ、使わず捨てた未来
ポケットの奥、潰れても
間違えた心は拭えるはず"
ティッシュ配りの歌

よく駅前とかでティッシュをもらっても、捨ててしまったり、ポケットの奥に入ってたりする経験はないだろうか?俺が結構だらしない所があるのもある。笑
そんな自分とティッシュと演じた売れないシンガーソングライターの武田ととても似ているなと思ったのだ。

まだやれる、まだ使えるくらいあるアーティスト人生を諦めたりしている、どんなにけちょんけちょんになって、くしゃくしゃになって諦めそうになっても、その心は拭えるんだぜって言うの表現出来たのではないだろうか。

③だらしないまま

"「もう潮時だ。」ドラマのセリフ話す、今
だらしないまま、売れてないまま
受け止める以外、始まらない"
ティッシュ配りの歌

2Bの歌詞だが、これは自分のマインドがそのまま入っている。
ざっくり話せばそりゃ自分も売れていないアーティストの一人だ。売れたい。
ただ背伸びをしたり、売れている様なアーティストをいくら真似したって売れないのだ。

数年前の自分は売れていない自分を否定していた。

音楽の目的=売れる 

これだけになっていた。勿論、売れる事は目的だ。ただこれだけじゃないのだ。音楽をする。音楽を続ける。音楽で感動させる。ハッピーにさせる。なる。これを人に届けて、繋がる事こそが、ちょっと遠回りの気もするがこれが答えなのだと痛感する事がうんとあった。

それはまた話す事にする。

そんな今の自分を肯定していない人の歌を誰が聞きたいのだろうか。少なくとも俺は聞きたくない。それが自分が納得する作品だったり、生き方みたいなやつなんじゃないのか。わからんけど。

④Cメロ

売れてないシンガーソングライター武田は昼間っから弾き語りをしていたりする。普通の職業かどうかも、裏設定は監督からあえて聞かなかった。勝手に武田はアルバイトで生計を立てていると考えた。

また、当時自分がコンビニの店員だったので、ティッシュ配りといい、素朴なアルバイト生活を表現出来るなと思って、この歌詞を書いたのだった。

"例えどんな形であって、微笑み合う関係だって
手探りの今だけは嘘じゃないだろう。"
"例えどんな形であって、釣り銭渡す関係だって
手探りの今だけは認めていよう。"
ティッシュ配りの歌

物語的に武田は、ティッシュ配りの小野と離れ離れになるのだが、仮に武田が何年も先に売れないまま、もしくは辞めてコンビニ店員や、何らかの店員と働いていたとして、

向こうは覚えてなくても、微笑み合うお客様と店員の関係性になっても、その日々があるから今があるし、嘘じゃないし、
コンビニ店員とかになって、仲間として触れ合っていたのに、釣り銭渡すだけの触れ合いになっても、あの経験は嘘じゃないし認めていよう。と

そういう過去にすがるわけじゃないけど、大事に大切にしたいって言葉を使わず、大切を表現したかった。

5.最後に。


めちゃくちゃ長くなってしまった。

ただ自分が一曲作るのにこだわると同じ様に、秋山さんも全力でこの作品を作り、どんな場所かもわからないライブハウスに突撃し、2/22のイベントを作り上げた秋山さんも同様に凄い。

この人がいなかったら1/9のレコ発もそもそも出来ていない。本当に出会いと繋がりでGOENDzが出来ている。年末もベースのミアがダウンして、switch boardの庭山と、鶏華瓶の河口さんが助けてくれなかったら、バンドとして出来なかった。
この場を借りて、再度感謝を申し上げたい。
ありがとうございました。

そして2/22のイベントにGOENDzが出来る前からの仲間であり、後輩である、しゅーくりーむが同じ様に短編映画のエンディングに選ばれたのは心の底から嬉しい。

なので2/22は湘南bitに。4/1も。ワンマン観に来て欲しい。
乱筆失礼致しました。それでも観てくれたら嬉しいです✌️

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