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goenが生まれる前のこと


私は元々、ファッション専門学校を卒業後、大手アパレル企業でデザイナーとして勤めていました。

主に量販店向けの、一着2990円とか3990円とかの商品を手掛けていました。
自分好みの、私が着たいと思う服ではありませんでしたが、私のデザインした服が世に出て、売れることは単純に嬉しかったですし、限られた時間や金額の中で、如何に良いものを作ろうかと創意工夫をすることも、マーチャンダイザーやメーカーの方々と、切磋琢磨して商品を作っていくのも、大変ながら楽しさも感じていました。

しかし、ある時ふと思いました。
私が手掛けたこの服、買って3か月もしたら捨てられてしまうのではないかと。

私は、多少値が張っても、良いものを、永く、大切に使いたい、と思っているのですが、会社で作る商品は安価で、大量生産・大量消費を繰り返すものでした。
私の服に対する思いと、手掛けている商品に大きなギャップを感じていました。

ちょうどその頃、アパレルの製品廃棄問題がネット等で取り上げられるようになり、途上国に送られた古着が、ゴミの山を築く映像なども公開されていました。

ひょっとしたら私はゴミを生産しているんじゃないか、このゴミの山の中には、私が手掛けた服もあるのではないか、と不安を抱きました。

そして一番衝撃を受けたのは、バングラデシュの縫製工場が倒壊した事件でした。
その工場は、ファストファッションの商品を主に扱っており、コスト削減のために、労働者の人権や、建物の耐久性が無視された結果の出来事でした。
お金があるはずの先進国の人々が、安価に服を手に入れるために、途上国の貧しい人々が劣悪な労働環境にさらされ、命までも犠牲になりました。

それを見た時、服ってなんなんだろう、アパレル業界って、ビジネスって、私の今やっている仕事って、なんなんだろう。
誰かの人生や、命を犠牲にして成り立つものなのだろうか。
などと、とりとめのない疑問と虚しさに苛まれて、アパレル業界のシステムに憤りを感じました。

その他にも、色々な理由や思いが合わさって、会社を退職する決意をしました。

アパレル業界に嫌気は差しましたが、服は変わらずに好きだったので、いつかは自分のブランドを立ち上げたい、消費されるファッションではなく、永く大事に着てもらえる服を、生産者や労働者にも、地球環境にもやさしい服を作りたいと思うようになりました。

退職してから約5年後、goenをはじめることができました。

構想を形にするまで、ずいぶんと時間がかかってしまいました。
ブランドを立ち上げるというより、作家活動といった感じではありますが、自分が納得のいくモノづくりができていると思います。

今の目標は、ひとまず「継続」です。

先行きは全く分かりませんが、誠実に、ひとつひとつの製品を、想いを込めて手作りしています。

この積み重ねの先に何があるのか、それを知る日が来ることを期待して待っています。


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