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失恋した件

最近、彼女と別れることになりました。

ざっくり言うと、付き合ってはみたものの、相手の気持ちがあまりこちらに向かなかったというのが理由のようです。

こうなったからこそ言える部分もありますが、たしかにこれまで薄々そのような感覚はありました。連絡を取り合っている感触などから違和感を感じたというか、付き合っている手応えが感じられないなと思う場面は所々ありました。ただ、相手も忙しそうだったので、「疲れているのかな。そんなものかな」くらいに思っていました。


そもそも、「相手を好きになる」上では2つの要素がある気がします。この2つが総合的に一定水準を超えると、相手を好きになれるのかなと。

①ー 相手の魅力を知って好きになる
文言の通りです。例えば、相手がバンドでボーカルをしていて、歌っている姿がかっこよくて好きになるといったケースです。

②ー 自分のことを受け入れてもらって好きになる
自分の性格や価値観などを受け入れてもらえて好きになる形です。例えば、自分のシャイな性格をかわいらしいと受け入れてもらえたことで相手を好きになるといったケースです。

今回の私のケースでは、おそらくこれ以上相手に「①ー」を期待することは難しかったと思います。イメージとして、おそらく相手は私の95%を知っていました。かなりの回数会っていましたし、相手も察しが良くて鋭い人でした。加えて、私は性格的に不器用でバカ正直です。一応あと5%あるのですが、良くも悪くも私(の魅力?)はほぼ出尽くしていたと思います。

今回私が省みるべきは、相手に「②ー」の形で好きになってもらう道の方だったのかもしれません。

私の方は、「①ー」「②ー」両方の意味で相手のことが好きでした。

しかし、今回の別れをきっかけに振り返ってみて、私は相手のことを思っているようで、実は相手のことを知ろうとしたり、受け入れようとしたりはしてこなかったことに気づきました。

無意識のうちに、常に主語は「僕が」になっていました。

”「僕が」好きだから付き合ってほしい”

“相手が私の状況のことを心配していると「僕が」思うから、こういう言葉をかけてあげよう”
今思えば相手はそんな心配を一度も口にしていなかったですし、別れ話の際に聞いた話では実際気にしていませんでした。

別れ話の後に、一杯飲みに行くことを提案しましたが、断られました。これも“「僕が」聞きたいことがある・話したいことがある”から誘った形で、相手の気持ちは無視していました。

自分は腹を割っていながら、相手が腹を割っている感じがしなかったのはおそらくそこなんですよね。単にこちらが聞こうとしていなかった・受け入れようとしていなかった。実は私は、相手がどんな人のことが好きで、どんなことが嬉しくて、どんなことが辛いのか、今でさえ詳しく説明することができません。

時間はかかったけれども、付き合ってはくれた。推測でしかありませんが、相手も実はもう少し自分のことを知ってほしかったのかもしれません。

私は「付き合っている」という状態に悪い意味で安心してしまっていたところもあったと思います。たまたま相手が不満も表に出す人ではなかったため、私が気づかぬ間に限界を迎えてしまっていた、といったところでしょうか。


ある意味、「自分のことや自分の気持ちを自分から話してくる」タイプの人とであれば、関係は成り立っていたのかもしれません。恋愛と友人関係は別かもしれませんが、たしかに私の周りにいてくれている友人のことを思い浮かべますと、そういったタイプの人が多い気がします。

自分で言うのもなんですが、私はよっぽどの状況でない限り人の話をちゃんと聞きます。人からその点を長所と言っていただいたこともあるので、話してもらってから先のことには自信がある方です。

そう考えると、今回の問題はその1つ前の段階なんでしょうか。相手に話してもらうまでの段階・相手に興味をもつ姿勢・話を引き出す行動。今回はここが足りなかったのかもしれません。

私も、「その服どこで買ったの?」のように世間話で相手のことを聞くことはあります。しかし、今回引き出せなかったのは明らかにもっと深いところの話です。「あなたの価値観は何ですか」などと直接聞いて、すぐに答えが返ってくるようなものでもありません。なので、そこの解決策は現時点ではまだ自分の中で答えがなく、引き続き考えていかなければならないなと思います。

長々と書きましたが、考えがまとまってきたからこそ、今回うまくいかなかったことが悔しいです。ただ、今の私にできることは「この経験を次に活かすこと」だけですので、難しいですが前だけを向いてやっていきたいと思います。一歩ずつですね。