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過去の挫折経験での学び

最近「過去に挫折した経験があってよかった」と感じることがあります。

今の自分の状況というのは、ある意味挫折に近いといえば近いです。自分がまさかこんなに長期間休まなければならない当事者になるとは思っていませんでした。

ただ、過去にも別の挫折を経験しているからこそ、いまある程度冷静でいられるのかなと思います。

私の挫折経験。人によっては「そんなこと?」と思うかもしれませんが、そんなものですよね。

私が今までで経験した挫折の中で、一番大きかったと感じているのは「大学受験」です。

なぜ大学受験なのか

簡単にいうと、置かれていた環境と、かけていた熱量が大きかったためです。

私が通っていた高校はある程度の進学校でした。

また、私は1年間いわゆる浪人をしているのですが、この1年は明確に大学受験のために投じると決めた1年でしたので、ある意味「正解」がはっきりしていました。そして、そこに向けて全エネルギーを投じていました。

就職活動も自分にとって大きなライフイベントではありましたが、大学生活を「就職活動のため」とまでは位置付けてはいませんでした。また、就職活動をしていた期間も半年ほどと、大学受験の準備ほど長くなかったと思います。

挫折の内容

あえてはっきり書きますと、私は京都大学に入学したいと思っていました。

高校3年生で受験し、不合格でした。帰ってきた採点結果を見ると、自覚はありましたが、正直合格ラインからはかなり距離がありました。

私立大学には合格していましたが、そこには入学せず、また志望校は変えずに、予備校に通いながら1年間浪人することにしました。

予備校生活の1年間は本当にあっという間でした。たしか、朝から夜の21時頃まで毎日予備校で授業を受けたり、自習室で勉強したりしていました。加えて家に帰ってからも勉強していた時期もありました。

息抜きも大事、というようなことを言いますが通学中に音楽を聴いていたことくらいしか思い当たらず、本当に起きている時間は勉強に全集中しているような状況でした。

当時の自分は今よりもずっと負けず嫌いで、「周りの生徒にテストの成績で負けたくない」という気持ちが原動力になっていました。

努力の成果が徐々に出るようになり、秋頃に受けた2つの京大模試では両方とも「B判定」が出て、「これはいける」と目標が現実に近づいている実感を得ていました。

ところが、現実は甘くありませんでした。

まず、当時でいう「センター試験」の結果が思わしくありませんでした。努力の量でいえば間違いなく浪人時代の方がまさっていたのですが、なぜか高校3年生のときより悪い結果となりました。

それを踏まえ、京都大学とは別の国立大学を受験することにし、不合格となりました。(ここで受験校を変えてしまったことを、振り返って後悔してしまうこともあります)

最終的に、併願していた私立大学に行くこととなりました。

当時の予備校のクラス(50人くらい?)は選抜制だったこともあってか、ほとんどの生徒が京都大学、またはその他国立大学への進学を決めていました。私が把握していた範囲では、私立大学に進学となったのは私ともう2人くらいでした。

想定していた進学先とはまったく異なる結果になりましたので、自分がきつかったのは当然です。加えて、なんとなく周りの人も気を遣ってか私から距離をとっているような感じがしました。周囲から「かわいそう」と思われている気がして、そのことも私を苦しめました。

実際、進学先はマイノリティでしたし、進学先の偏差値という客観的指標でいうと周囲より明らかに下でした。

3月の合格発表から4月の大学入学までは、本当に絶望のどん底にいたように思います。

いわゆる仮面浪人をして、大学に籍を置きながら再度大学受験してしまおうかと考えたり、大学院で国立に進学することを考えたりしていました。(本来、「大学院への進学」は手段でしかありませんが、この時は「目的」になってしまっていましたね)

正直かなり狭い世界にいましたが、当時の自分にはそのような自覚はありませんでした。

挫折から学んだこと

ところが、大学に入学してみて、価値基準が大きく変わりました。

入学当初は、「自分は本来こんなところにいるべき人間ではない」とかなり斜に構えていましたが、実際に大学生活を送る中で、尊敬できる先輩や友人に出会えたからです。

バックパックで世界を旅している人、多くの人を巻き込んでイベントを企画している人、学生団体やサークルを立ち上げた人、起業しようとしている人など。

大学ではそんなに珍しい話ではないと思いますが、当時の私は本当に狭い世界にいましたので、話を聞いているだけでワクワクしましたし、自分も今から何でもできるような気がしてきました。

勉強で周囲の人に負けることはないだろうと勝手に思っていましたが、自分より勉強ができた人もいました。また、大学にはスポーツ推薦で入学している人・留学生もいましたし「受験勉強以外の何かに秀でている」様々な人がいました。

ようやく「受験勉強ができる・できない」だけが人の魅力の尺度ではないと気付くことができました。

気づけばいつの間にか「私立大学に行くこと=人生の終わり」という価値基準は消え去っていました。

今振り返ると、この時「何かに絶望することがあっても、また新しい基準が自分の中でできて、その新しい基準で生きていくことができる」というたしかな経験ができたことは大きかったです。

「悔しさを何かにぶつける」的な発想もありだと思います。ただ、上記のような考え方もあってよいかなと思っています。

今の自分も先行きがあまり見えず、正直不安は抱えています。

しかし上記の経験から、この先また自分の中で価値基準が変わって、「なんとでもなる」のではないかとも思っています。

また新しい基準で再スタートできると信じています。