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モラハラ後遺症 再発?

『自分の意見や意思を強く思っていても相手に伝える事が怖い自分がいる』
『相手の機嫌を伺っている』

こんにちは。さといライオンです。
今日はモラハラ後遺症について書きたいと思います。
どうぞ最後まで読んでいって下さい♪


『選択の繰り返しが今を生きる事』につながるのであれば、その選択は本当にあなたの心から望んだ選択なのか、それともどこか妥協したものなのか、はたまた、損か得か…それだけだけで選択しているのか…。

元モラハラ夫から学ぶ自分自身の人生について、また考えさせられる出来事がありました。







つい先日なんですが、モラハラ後遺症がまた再発したという事がありました。
モラハラ被害歴が長ければ長いほど、本人自身も気づかない感情がある事は確かなのだと思う出来事でした。

仕事上の相手であったにも関わらず
モラハラを受けていた時の感情が蘇ったのです。

仕事上で起きた出来事だったのですが、
相手が求めてる仕事で今後「継続するかしないか」を求められた時、話し合いの結果
私から継続をしないと決めました。

お断りをするまでにかなり悩みました。それは私が以前から実現したかった仕事内容だったからです。
でも、この時の私はお相手との打ち合わせや一連のメールのやり取りの中で、幾つか引っかかる事があったのです。

「断ったら相手が怒るんじゃないか…」
そう思わせるような物言いで、脅しとも取れるメールの内容で伝えてこられた事もありました。
お客様は、貴方次第でやめてもいいよ!とこちらに脅しをかけながら私を揺さぶり、お客様の言われる予算内でワガママを通して欲しい!という理不尽な要望は、私がイエスマンになればこのお仕事は進むとは思います。

と、その前になぜやりたい仕事を断らないといけない状態になったのかと言うと、やはり
一連のやりとりで、とても不快に思ったからです。それはイコール作品に大きく影響する結果になるからです。
お相手の言われる話は二転三転し、後出しジャンケンで言い訳をされるタイプで、こちらが伝える仕事上での指摘に対しても謝罪はされるもののどこか上から目線での物言いや、そうなったのは貴方のせいである…などズラズラと言われるのでした。

そんなやりとりが何往復か続き、この先ご一緒にお仕事をする事を想像してみたら、多分いいお仕事はできないだろうなと判断しました。
そんなこんなで、お断りをするまでにいたりました。

そのメールでのやりとりの中で、私が味わった感情が、元モラハラ夫から受けた「モラハラ」の時の感情とそっくりだったのです。

当時、元モラハラ夫には逆らう事ができず、意見を言うことすら「逆らった」と捉えられ、全てにおいて私がイエスマンでいる事で、事を荒立てないようにしていました。
元モラハラ夫の地雷はいつ爆発するか分かりませんでしたし、爆発したら大変だからです。
私の言う意見は通じません。言えば反論と捉えてしまう相手だったからです。
お仕事上でのお相手はその元モラハラ夫ではありませんし、ここは仕事上の話し合いです。
なのに、この方とのやりとりで不快に思うのは何故なのかと考えて悩みました。
ここは私が公私混同してるのか…も含めて色々考えました。

やりとりの発端ですが、私から出した提案からでした。「お互いがスムーズに進める為と負担にならない為に」という建設的な提案です。私がその提案をしたところ、お相手からすると「あなたが機嫌が悪くなったから、その提案をしたのだ。その提案に意義がある」との事でした。
完全にお相手の間違った憶測であって、「機嫌悪くない」とこちらが伝えても「機嫌が悪い」と言い張られてしまうのです。「あなたの言ってる事はおかしい…」などと言い、初めの提案から逸れた話にどんどんと膨らんでいきました。
それでは、建設的な話し合いどころかほぼ感情論ではないでしょうか?
そもそも私が機嫌を悪くした、なんて出会ってもない相手になぜ言われないといけないのか不思議でありませんでした。私が怒っている証拠はどこにもありません。

そんな間違った感情論をベースにしたメールでのやりとりは、この先仕事でも出てくるのではないか…と思ったら良い仕事はできないのではないかと思い始めました。

振り返ると私の経験したモラハラの特徴の中に当てはまるような人でした。

・話し合いができない
・絶対に自分が正しい
・「違う」と言っても信じない
・相手の細かい粗をついて謝らせる
・話が二転三転する
・そもそも論点がずれている
・屁理屈を言ってくる


などです。

元モラハラ夫との生活では、常に自分の意見や気持ちを押し殺して生活をしていました。
その時の元モラハラ夫に対してビクビクした感情に似た気持ちが再発したのです。
このメールのやりとりをしている間は、胸がドキドキとしていました。(身体に悪いです)

でも、仕事の内容はとても魅力的でしたし、この方との一連のやりとりを除けば無我夢中で喜んで引き受けてやっていたと思います。
こちらはプロとしてやっていますので、ある程度お任せしていただけるとスムーズに事が運びますが、その予算内で仕事を請け負うには少々わがままがすぎるのでは?と思ったのも理由の一つです。

お客様は、貴方次第でやめてもいいよ!とこちらに脅しをかけながら揺さぶり、お客様の言われる予算内でワガママを通して欲しい!という理不尽な要望は、私がイエスマンになればこのお仕事は進むとは思います。

ただ、私はこれから先このお仕事を進めていくかやめるか…の選択を迫られた時を決める基準に、相手の機嫌で決めようとしていた事が後々分かりました。

そんなに恐れる相手でもないのに。
これがモラハラ後遺症なのか。
何年も元モラハラ夫の機嫌を見ながら、物事の選択をしてきたからなのか、本当の自分の意思や意見を伝える事ができなくなっていました。
離婚してから約3年経つのに、しつこくこびりついた感情はまだまだあるのだなと
最近になって気づくのでした。

・相手は元モラハラ夫ではない(された事はモラハラっぽいが)
・相手はこれから先出会う事もない。
・違った意見をうまくすり合わせができない相手との仕事はしない方がお互いの為である。
・私の仕事は私が決める。
・相手の機嫌に振り回されない。
・自分の本当の心の声に従う。


そんな事を学んだ出来事でした。

という事で、離婚をしてから約3年経った今も、無意識に恐れている何かが
未だに私の心の奥の奥にあり、それが時折顔を出すこともある事が後遺症だと思っています。
今回の件は、事が割と大きな事だった為、わかりやすく私の感情が揺さぶられた出来事でしたが、それまでにも小さな事で「相手を怒らせないようにする為に自分の意見を言わない」という事をしてきたのかもしれません。
一つ一つは小さな選択なのかもしれませんが、小さくとも繰り返したその選択のずーっと先には、ものすごい差の結果が出る事になります。

『選択の繰り返しが今を生きる事』につながるのであれば、その選択は本当にあなたの心から望んだ選択なのか、それともどこか妥協したものなのか、はたまた、損か得か…それだけだけで選択しているのか、考えてみるのも良いのかもしれませんね。

元モラハラ夫から学ぶ自分自身の人生について、また考えさせられる出来事でした。



最後まで読んでいただきありがとうございました。



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