燻ってる余裕があるなら、徹底的に燻って、いい味出していけばよくね。

燻製の話


僕は燻製というものを、まともな形で食べたことはない。おつまみセットに入っているウズラの卵的な奴が、妙に美味しくて食っていたら、それが「燻製」というものらしいと、食後に気付いた。

そして、この「燻製」というもの自体、どういうものなのか、ここ最近まで知らずに生きてきた。

社会人になったら、きっとその場の雑談でサッと差し込めるような「りべらるーあつもどき」が重宝されるような気がしているので、できるだけ分からないことは調べるように、三日前から心がけ始めた。

今日はそんな薄弱な習慣の中で調べた、「燻製」から話を展開してみよう。

ウィキペディアをサーッと見たところによると「燻製」は「燻煙」と呼ばれる過程を踏んで、保存性を高めると同時に、独特の風味を施す調理技法のことを指すという。

そして「燻煙」とは、香ばしい木々を燃やし、その煙を食材に当てることらしい。煙をあてるんですね。誰が思いついたんだろう。
Wikiには以下のように続いている。

この煙の分子中にホルムアルデヒドフェノールが発生しており、生き物の表面にあるタンパク質と反応・変性して微生物が死滅するため、食べ物が腐りにくくなる。またアルデヒド類がタンパク質と結合することで強い皮膜を作り、雑菌の侵入を妨げる。さらに乾燥が進むことによって水分量が減り、微生物の繁殖による腐食を防ぐ効果もある。

燻製-Wikipedia【https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%BB%E8%A3%BD】

「燻製」という製造技法をとることによって、食品は独特の風味を獲得すると同時に、腐り辛くなる。

すなわち、「食品」としてのパフォーマンスを、長期的な視野で、堅実に発揮していくことができる。とも言える。言えないかもしれない。知らん。

炭火の熱を直で浴びつつ、ぷりぷりな頃合いを見計らって食われる焼肉は、冷めてしまえば、途端に貧相になる。

冷めた塩タンの姿や食感は、焼き肉屋に向かう道中での想像とは、かけ離れたものになっているだろう。

魚類で言えば刺身。刺身の最大の敵は、消費期限。腐るのが早いことは、刺身が帯びた唯一大きな弱点だ。

しかし、それを知ってすぐに飛びつけば、刺身は食品界隈最強の美味をもって、我々を迎え入れる。

一瞬で熱を帯び、肉としての最大火力を叩き出す焼肉。
リミットは短いが、その間は最強クラスの美味を叩き出す刺身。
じわじわと時間をかけ、独特且つ安定した風味を出し続ける燻製。

燻りの話

燻製の「燻」の字は、「燻る」の「燻」です。これ、会社帰りの電車の中で「あぁ~」って勝手に思ってました。

漢字が一緒だからという理由で思いつくことなんて、真面目な文章になるわけはないけれど、偶然考えてしまったことが、少しだけ僕に勇気をくれる。

どういうことか。

やけに、「焼肉になれ!」って声が多くないか、最近。

思い立った時に火の中に飛び込み、それで焼肉になって、ビッグパフォーマンス一発かませばいいみたいな話である。

まぁ、それができんくてグジュグジュ「燻っていた」のがマジョリティなのだろうけれど。

とにかく、行動!というのは、とにかく燃えろということである。
「破壊的イノベーション」という言葉は、ここ最近で使われすぎて、チープに聞こえてきた。

街中が焼き肉屋の広告であふれているのだ。それはそれは、うんざりする事態なのである。

焼肉みてぇな人とばっかり話していると単調だし苛々するし胃もたれがする。「なんでそんな細かいこと・どうしようもないこと考えているの?」「さっさと行動したら?」こういったことをずっと言ってくる人は、鬱陶しくないか。

「社会の波にもまれる」は水で表現されているけど、「社会の業火に燃やされる」とすれば火の表現だ。

その火をキャンプファイヤーとして眺めたり、その火の煙で「燻製」になる期間などは、少しだけ「燃える」ことより軽視される。

で、僕が言いたいのは、大学時代に「社会」というキャンプファイヤーを見ながら友人と語ったどうしようもないこととか、結構いい味につながるということだ。

社会の波にもまれる前に、砂浜で作った砂のアートが大事だということだ。そのアートが、社会の波の中をどう泳ぐかということに、きっとつながってくると思うからだ。

燻っていて何が悪い。燻る余裕があるならば、徹底的に燻って、独自の風味を自らに染み込ませてなんぼだ。

社会とか世界とか、火の元は何かわからないけれど、この世の中のあらゆる現象や事物は、その火元から放たれた「燻煙」であるとも捉えられる。

好きに歩き回り、煙を浴びて、存分に燻っていこう。
この世の中、煙が七色。
あなたが染み込ませる風味のバリエーションは、燻製肉に負けない多様なものだ。
あなたの美味しさを染み込ませるべきだ。

その方が、誰かと話した時に、「美味しく味わってもらえる」。
「美味しい」人には「美味しそうな」人が寄ってくる。

燻りに燻って、また会ったときに共食いしよう。

ね、分かりやすくは、書けないよね。ごめんなさい。


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