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(25日目) ”聞く”と”聞かない”の境界線

文章を書くというのは実に難しい。適当に書いてもダメ、かといってまじめすぎてもダメ。結局だらだらと深夜まで消しては書き、書いては消し。最後はえいやとベッドに入る。こんな毎日が過ぎて、前回の更新からずいぶん経ってしまった。

「文章を書く」ということ、特にコラムや日記のような類は小さな小さな日常、その変化の機微を感受性豊かにすくい上げ、広げ、またきれいに折りたたんでいくような行為だと思う。

苦手だが、少しずつでいいからこの行為を行うことを続けていきたい。

週末は松本に旅行に行くのだが、いつもどおり、なーにも調べていない。

旅行前に何かを計画するのがすこぶる苦手なのだ。

こんなとき、まめなパートナーが欲しいな、といつも思う。

***

大学生になり、他人と多く関わるようになってきた頃によく言われていたことがある。

「まずは、話を聞け」
「お前は言ってもムダだね。どうせ聞かないし」

これらの言葉は今も僕を用心深くするし、同時に嫌な気分にもさせる。

話を聞かない=ダメだ!と断定されるのが癪だ。なぜこんなに否定するんだろう、と思っていたが、なんてことはない。彼らは僕が話を聞かないという態度をとるのが気に食わないしイラつくのだ、と勝手に解釈した。(今となっては若さだなぁと思う)

今はむしろ、これまで得たものというものは「人から聞いたこと」が大半であることに気づくことができたおかげで、聞く、という行為に楽しみを抱けるようになってきた。

モードを切り替えて、じっと耳を傾ける。相手の会話に身を任せ、時折相槌を打ち、ただ流れるように会話を続けることを心がける。

時々、ムラッと話したい衝動にかられるけど、そこは我慢。

しかし、これはこれでよいのだが、聞くだけ、というのも心もとないし、何しろインプットだけでは相互でよい関係にならない。こちらからアウトプットしなくては。

どれだけ意見をし、どれだけ聞けばバランスがいいのだろうという悩みはいつも付きまとう。

聞くときにはしっかり聞いて、いざというときには自分の意見をずばっ!といえる。そんな人になりたいなぁ。

いや、無理だろう。僕の間の悪さは天性だ。

これも、また、個性。



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