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フランツ・カフカ著『変身』読書感想文

朝起きると虫になっている。古典中の古典と呼ばれながら、その内容はけったいな話だ。しかも当の本人はこれだけ奇怪な変身をしておきながら、妙に冷静である。私はこれまで虫に感情移入をしたことがないので、壁にへばりつくことに快感を覚えたり、腐った食事を貪る描写は、彼が人間の意識を残しているが故に気味が悪かった。部屋にやってくる家族を物陰からこっそり伺う毒虫を想像すると、読書中、部屋の片隅が気になって仕方がなかった。

家長として労働に勤しみ、家族を支えてきた彼が朝起きると毒虫に変身し、家族から厭われ、やがて物陰で干からびて死んでいく、と聞くと理不尽極まりない話である。しかしそれは、彼が知らず知らずのうちに、家族にとって毒虫ならぬ、毒息子になっていたということだ。

家計を支え、妹の進学を願う彼は、物語上は善人にしか見えない。しかし家族や周りの人達は彼をどう見ていたのだろうか。糸鋸細工が趣味で、友人や恋人の存在が希薄な彼は、内向的な印象を感じた。毒虫に変身する以前から彼は、健全な人間関係を築いていなかったのではないだろうか。家族や職場の人間から毒虫扱いされている事に気付いていない、独りよがりの鈍い嫌な奴だったのかもしれない。虫が不気味なのは、その風貌と、そして何より意思疎通ができないからである。彼が冷静に見えるのは、変身する以前から"毒虫"扱いされていたという事に全く気付いていないからである。


実の息子が死んだというのに、物語終盤、新たな門出を迎える三人の描写は異様なまでに希望に溢れ、この上なく光り輝いていた。


(引用はじめ)

ザムザ嬢が真っ先に立ち上がって若々しい手足をぐっと伸ばした。その様子は、ザムザ夫妻の目には、彼らの新しい夢とよき意図の確証のように映った。

(引用終わり)新潮文庫p.97

体液で壁を濡らし、埃をかぶり、林檎を背中に埋めた巨大な毒虫に悩む家族の話を延々と聞かされたと思えば、打って変わってこの終わり方である。やっと死んでくれた!と言わんばかりの清々しさ。不覚にも笑ってしまった。愛情らしきものを見せた母親や妹でさえこの変わり様である。残された家族達もまた、歪んでいるのだろう。

毒虫が何を比喩しているのかがこの作品の最大のテーマだ。その解釈はシリアスにならざるを得ないが、一方でユーモアに溢れた物語だと思った。


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