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魯迅著『阿Q正伝』読書感想文

阿Qの様に自分で自分のやっている事を理解していない人間を、インターネットやSNSを通してよく見かける。犯罪行為や汚い言葉を、得意げにネット上に晒す彼ら彼女らに、恥や善悪の規範は無い。自ら愚かな行為を全世界に晒し、そして全世界に避難されてから初めて、自分の行為を理解するのだろう。恐らく一番初めに書いてあるwwwの意味さえ知らない。草じゃねえ。

あらゆる自身の行為や仕打ちを、アクロバティックに自己正当化する阿Qの思考は、あくまで架空の人物として読めばユーモラスで笑えるのだが、彼の存在が妙に生々しくて不気味だ。

自分には到底理解できない行為をする人間というのがこの世にはいるが、決して覗くことはできない、その人間の頭の中を除いた様な嫌な気分になった。彼の愚かな行為にこちらが哀れみを向ければ向けるほど、彼が得意げになる様な気がした。物語の初めから終わりまで、彼の存在全てがただただ不愉快で悲しかった。

阿Qが実践する精神的勝利法という、ある種の警句は自己啓発を彷彿させた。自分を振るい立たせる為に繰り返されるそれらの言葉に自己は無く、あるのは都合と欺瞞だけだ。そして言葉が通用しなくなれば、自分で自分を殴り、意気揚々と満足して床につく阿Qが、今も実際にいるのかもしれないと思うとゾッとした。

自身の行為に無自覚な阿Qに待ち受けていたのが処刑であった様に、ネット上では今も尚、処刑が行われているのだろう。自ら処刑台に登ったにも関わらず、彼らは今、自分が何処にいるのかも、そしてこれから何が行われるのかも知らないのかもしれない。そしてそれが全世界に晒されている事も、既に自分が死んでいることにさえ、気付いていないのかもしれない。

中国では教養小説として高校の教科書に載っているそうだ。なるほど、人の振り見て我が振り直せとはこのことで、どんな美談や感動話よりもよっぽど為になりそうだ。ネットで所構わず草を生やしている連中に是非オススメしたい。

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