原民喜著『夏の花』読書感想文
原爆投下のその日まで、ポケットの線香の臭いが消えなかったという描写に、冒頭から不穏な予感と、著者の詩的な感性を感じた。
圧倒的な目の前の現実に対して、超現実派の絵画を思い出したり、詩で表現を試みる本作は、前回の課題図書『黒い雨』とは全く異なる方法をもって、原爆体験を表現している印象を持った。
(引用始め)
ギラギラと炎天の下に横たわっている銀色の虚無のひろがりの中に、路があり、川があり、橋があった。そして、赤むけの膨れ上がった屍体がところどころに配置されていた。これは精密巧緻な方法で実現された新地獄に間違いなく、ここではすべて人間的なものは抹殺され、たとえば屍体の表情にしたところで、何か模型的な機械的なものに置き換えられているのであった。苦悶の一瞬足掻いて硬直したらしい肢体は一種の妖しいリズムを含んでいる。電線の乱れ落ちた線や、おびただしい破片で、虚無の中に痙攣的の図案が感じられる。
(引用終わり)p158
原爆というものを、小説という、ある種の芸術に昇華させる試みを行った結果、それがあまりに非現実的な状況であった為、実際に起こった出来事にもかかかわらず、それこそ絵画の中の出来事の様に描かれたこの文章は、他の文章と比べ、やけに人間味が無い。
"屍体を配置されていた"と表したり、硬直した肢体を"妖しいリズム"と表する文章に、どこか俯瞰した視点と、この世のものとして受け止めきれない著者の思いを痛切に感じた。人間がまるでモノの様に描かれている。あまりに悲惨な状況であった為、著者は敢えてこの様な絵画的な表現をする事で、自らこの体験を受け止めようとしたのだろうか。私が教えられてきた原爆とは異なる印象をこの作品からは感じた。
昨日、2020年8月6日をもって広島に原爆が投下されて75年が経った。続編の『廃墟から』でも語られていたように、今後75年間、住むこともできず、草木は生えないと言われた広島も、今では県内総生産で全国で12番目(令和元年公表 平成28年度時点 内閣府公表)というめまぐるしい発展を遂げた。去年、広島へ旅行へ行った。側から見れば、他の地方都市と変わらない賑やかな街だ。だが、私が住む街とは異なる空気の様なものを感じた。ただの思い込みなのかもしれないが、広島にはどうして原爆という過去が頭をよぎってしまう。原爆は決して過去のものでも、終わったことでもないのだと強く思った。
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