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ディケンズ著『クリスマス・キャロル』読書感想文

歳を重ねるにつれクリスマスを楽しむこともなくなった。クリスマスなど金にならないから無用だと豪語するスクルージに自分を重ねた、とまでは言わないが、それは単に私も彼と同様にクリスマスを楽しむ事のできる想像力を持ち合わせていないからだろう。

第一の幽霊はスクルージを過去へと連れて行く。そして故郷の風景、若き日の自分自身
を目の当たりにする彼の姿に、私自身を重ねた。ケチで冷酷なスクルージになる以前の彼がそこにはいた。時の残酷さを感じた。

第二の幽霊はスクルージを現在へと連れて行く。クリスマスを祝うクラチット家の人々。貧しい中にもクリスマスを心から楽しむ彼らの姿に、真の豊かさを感じた。そんな家族達から搾取してきたスクルージは、やがて罪悪感に苛まれる。

第三の幽霊はスクルージを未来へと連れて行く。死んでも尚、人々から嘲笑され蔑まれる彼は、ついに改心を決心する。

幽霊が見せた幻影は、本当はどれも人間の想像力をもってすれば誰にだって見ることができるものだ。相棒の幽霊に出会うまで、過去の生き様も、現在の人間関係も、未来の成れの果ても、彼は想像することができなかった。とすると、人は大切な人の死を経て初めて本当に大切なことを知るのかもしれない。いつの時代の、どんな物語も、死人はいつも我々生きている人間に何かを教えてくれる。

初めてディケンズの小説を読んだ。
著者の豊かな想像力は、映像文化もろくにない時代のものとは思えなかった。次々に現れる個性豊かな幽霊達の描写は、現代の我々がファンタジー映画などで見る"いわゆる幽霊"にも通ずる原型を思わせた。

人々がそれぞれにクリスマスを祝う姿を見て、私自身うきうきする様な気持ちになった。クリスマスを楽しむ事のできるくらいの想像力は持ち合わせたい。今年のクリスマスはチキンでも買って祝うか、柄にもなくそんなことを思った。

一足先に皆様メリークリスマス

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