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無くなった筆箱 「ニヤリ」の意味も、人それぞれ

2018年度に学研発行・実践障害児教育にて10回に渡り連載させていただいたコラムを、編集長に許可をいただきこちらへ掲載いたします。

ADHDうっかり元教師 雨野千晴のいつもココロは雨のち晴れ
<第9回 2018年1月号掲載> 
【無くなった筆箱 「ニヤリ」の意味も、人それぞれ】


ハルは民間の学童保育に通っている。就学にあたって小学校の学童保育にも問い合わせたが、やんわりと断られた。就学後、障害のある子の放課後について、色々と思案されている家庭も多いのではないかと思う。


我が家は週1日、放課後等デイサービスを利用し、それ以外の日はこの民間の学童保育にお世話になっている。マンションの一室を使用した、アットホームでこじんまりとしたところだ。面接時、指導員の方にハルの障害についてお伝えすると、「なんとかなるでしょう!何か難しいことが出てきたら、その都度相談しましょう。」と言ってくださった。

  

さまざまな地域から通ってきている子どもたちも、ハルのことをちょっと面白い一年生として見てくれているようだった。

▲当時のハルの写真 謎のアニマルサングラスと、手にはお気に入りのくまさんタイマー 



筆箱は、誰が隠したの?

先日学童へお迎えに行くと、先生からハルの筆箱が無くなってしまったとお話があった。宿題をしようと一緒に筆箱を出したのだが、先生がその場を離れた少しの間になくなってしまったとのこと。先生は、ハルが宿題をするのに気が進まなくて隠してしまったのではないかとおっしゃった。


そう思われたのには、理由がある。周囲の子ども達に聞いても、みんな知らないと言う。そこでハル自身に「宿題が嫌で隠しちゃった、ということはないよね?」と聞いたそうなのだが、そのときハルは、ニヤリと笑ったそうなのだ。


このような案件は教員にとっては日常茶飯事ではないだろうか。先生からの報告を受けながら、私は一番初めに赴任した学校で出会った子どもたちのことを思い出していた。


プロ教師が教えてくれた、信頼関係の築き方

教員1年目に出会ったA先生は、「教師とはプロとしての意識がなければならない」といつもおっしゃっていた。自分が少しでも関わりを持った児童のことは全て記録をとっていて、何か素敵な行動を見つけたときには、必ずその子の担任に「〇〇さんがこんな素敵なことをしていましたよ」と伝えていた。


教師って本当に多忙な仕事。そんな中で、自分の学級以外の子どもについても、指導すべき点だけでなく、素敵なところ、称賛すべきところを共有することを大切にしているA先生は、本当に素敵だと思った。


教員スタートの年、元気いっぱいの2年生クラスを受け持った私は、日々揉め事の仲裁に明け暮れていた。そのことについて、A先生に相談したことがあった。A先生は「何かやってはいけないことをしたときにも、人格を否定しないこと。どんなことがあってもあなたは大切な存在であると伝えた上で、指導すべきところはしっかりと伝えること。そして、正直に話せたことを必ずほめることを大切にしています」と教えてくださった。

これはその後、私の一つの指針となった。

「いたずらしちゃったんだ」と言えたのは

さて、ハルの筆箱は翌日無事に見つかった。ハルの隣に座っていた子が、先生に自分がいたずらして隠してしまったのだと話してくれたそうだ。私はその話を聞いて、ちょっと泣きそうになった。


ハルは言語の表出はあるけれど、わかっているような、わかっていないようなところがある。つまり、彼の言っていることはこちらがごまかそうと思ったらどうにでもできてしまうのだ。「ハルくんが自分で隠していたよ」と言ってしまうことだってできたと思う。


しかし、その子はそうはしなかった。「何か知っていたら教えてね。」と優しく問いかけた先生に、少し時間を置いた後、自分から「いたずらしちゃったんだ」と名乗り出てくれたのだ。それは、先生との信頼関係が築けていなければ、言い出せなかったことだと思う。きっとドキドキしながらも正直に話してくれたであろうその子と、日頃から愛情を持って子ども達に接してくださっている先生に、感謝の気持ちでいっぱいになった。

▲お迎え時に学童から見える夕焼け


この話を友人にしたところ、「自分の子どもが疑われたって腹が立たないの?」と言われたのだが、実は全然そんなふうには思わなかった。教員として、散々そういうケースを扱ってきたからかもしれないが、「うちの子に限ってそんなことはしない」なんていうことはないと私は思っている。宿題が嫌で筆箱を隠してしまう、ということだってあり得ることだと思うのだ。ただ、自戒も込めて、主観で物事をジャッジしてしまうことは危険だとは思っている。


わからないからこそ、伝えることが大切

今回のことで私が気になったのは、「ニヤリと笑った」という部分だ。発達障害のある方の表情は、読み取りが難しい場合がある。「笑った」のは、「そうだよ」という意味かもしれないし、自分が笑えばみんなが笑うというパターンを習得していて、みんなの表情が硬かったからかもしれない。または、緊張のあまり「ニヤリ」という表情になったのかもしれない。そういう難しさがあるということを、周囲に伝えておくことが大事なのだと思った。そしてそれは、障害の有無に関わらないのかもしれない。

                          

相手を見て自分が推測したことが真実とは限らない。その人がどう思っているのかは、本人しかわからないこと。自分から見えているのは相手のほんの一面でしかないことを、心にとめておこうと思う。



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・この記事はハルが1年生の年に書いたものです。今もこちらの学童に親子ともども大変お世話になっています^^

▲今年の学童の音楽発表会 ベル演奏がんばってました♪


・その人の真実はその人にしかわからない これは今自分で読んでも、そうだよなぁって思います。その人と全く同じフィルターで物事を捉えることはできないことが前提で、お互いにわかりあう努力をすることが大切なんだよなぁって思っています。

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