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勝手な設定持っていませんか? お祭りで気づいた、私の中の障害者像

2018年度に学研発行・実践障害児教育にて10回に渡り連載させていただいたコラムを、編集長に許可をいただきこちらへ掲載いたします。

ADHDうっかり元教師 雨野千晴のいつもココロは雨のち晴れ
<第5回 2018年9月号掲載>
勝手な設定持っていませんか? お祭りで気づいた、私の中の障害者像

祭りと聞けば、血が騒ぐ

私はお祭りが好きだ。それがADHDと関連があるのかは全く不明だが、私は近所の夏祭りや盆踊りをはしごしては喜んでいるような子どもだった。花火の音が聞こえてくると、いても経ってもいられずに、外へ飛び出していくのは大人になった今も変わっていない。

冷静に考えればめちゃくちゃ割高な出店の食べ物たちも、がらくたのようなものばかり毎回当ててしまうくじ引きも、お祭りの全てが私の胸をときめかせるのだ。

私は札幌で生まれ育った。札幌には冬にも祭りがある。雪祭りだ。会場には大きな雪像が並び、巨大な雪の滑り台まで登場する。子どもの頃は、スノースーツを着込んで、毎年楽しみに出かけていた。


高校を卒業し、「教師になれ、なぜなら食いっぱぐれがない」という母親の指針の元、教育大生となって遊びほうけていた私は、あるとき「奉仕活動なるものをしておいた方が就職に有利らしい」という噂を聞きつけた。そこで打算的な思いから、自分も何かやってみようと思い立った。早速、福祉施設の利用者を雪まつりでガイドをするという、なんだか楽しそうなボランティアを見つけ、登録した。

事前に研修を受け、にわか知識を身に着けた私は、ドキドキしながら雪まつり会場へ向かった。札幌の田舎に住んでいたせいか、それまで私は障害のある方と関わる機会がほとんどなかったのだ。通っていた小学校、中学校には特別支援級もなかった。だから、一体どんな1日になるのか想像もつかなかった。


このボランティアは、研修を受けた市民2、3人が1チームとなって、1人の利用者をガイドするという方式だった。私のチームが担当させていただいたAさんは、50代くらいの女性で、発語はなく、車椅子を利用していた。しかし、こちらの言葉の意図は汲み取っていただけるようだったので、話しかけながら、交代で車いすを押したり、排せつ介助をさせていただいたりして、一緒に会場を回った。



私の中にあった、勝手な障害者像

昼食の時間になると、一緒に回っていた施設の方より「毎年お昼はこちらで持たせていただいているので」とお話があり、レストランでごちそうしていただくことになった。Aさんはビールをジョッキで注文され、まひのある手を介助者に支えられ、おいしそうにごくりとビールを一口飲んだ。Aさんの表情に、笑みが溢れた。「Aさんは毎年これが楽しみなんだよねぇ」と施設の方が教えてくれた。


私はその光景を前に、言葉を失っていた。なぜなら当時、私の中には「障害のある方がビールを飲む」という設定が全くなかったからである。Aさんの笑顔を見ながら、ガーンと頭を殴られたような気持になっていた。自分の中にあった「障害のある方というのは、人生に楽しみもなく、暗闇の中で、一生懸命それを克服するために生きているかわいそうで頑張っている人」という勝手な設定に、その時気が付いたのであった。そして、それが全く事実と異なるという点についても、衝撃を受けたのだ。


がくぜんとしている私の横で、同じチームのおじさんが「俺もビールごちそうになっちゃお!これが楽しみでやってるんだからさ」と言った。私はAさんの大切なお金でお昼をごちそうになったうえに、ビールまで飲む気かよ!と思ったが、何も言えなかった。

ボランティアとは言え、利用者の命を預かっている介助中に、飲酒はどう考えても相応しくないと思うのだが、今振り返ると、実はちょっと違うことも感じている。なんの遠慮もなく「俺もビール飲んでいいかい?」と図々しくお願いしたおじさんが、Aさんと楽しそうに乾杯している光景を思い出すと、そこにはおじさんとAさんとの交流が確かにあったようにも感じるのだ。



障害って、不便だけど、不幸じゃない。

長男の自閉症がわかって、療育に通うようになってから、障害のある方とご一緒する機会が増えた。みなさん生活する中で、それぞれに困難さも生きづらさもあるわけだが、だから不幸でかわいそうなのかというと、全くそのような印象を私はもっていない。それはメディアなどから受け取った情報により、私が勝手に作り上げていた障害者像だったのだろう。障害は幸福の有無を決めるものではないと私は感じている。


さて、私はこの夏、お祭りをやろうと思っている。「あつぎごちゃまぜフェス」と題した、「みんなちがって、みんないい」を楽しみながら体感できる2日間のイベントだ。1日目には音楽ステージやアート体験のワークショップスペース、福祉事業所の作品販売を含むマルシェのお祭りを。2日目にはインクルーシブ教育を体験できる模擬授業を行う。

障害理解をテーマとした講演会や勉強会は多数あるが、私がやりたいのは、そういうものではなく、障害についてよくわからない、かつての私のような人が気軽に参加できるものなのだ。


いろいろな人がいて、みんなそれぞれの価値観を持って生きている。違うからこそおもしろいのだ、ということを感じられるような場を作りたいと思っている。それを大好きなお祭りとしてやれたら最高ではないか。会場にビールはないのだが、Aさんも「いいね!」と笑ってくれるような気がしている。


※2018年の8月にはじめてあつぎごちゃまぜフェスを開催しました。実はこの回のコラム、最後のフェスについてのエピソードを入れると既定の文字数を超えてしまいました。それなのに、編集部では最後の部分のフォントを小さくしてまで全文を入れるレイアウトで、内容を削らず掲載してくださいました。どんなお祭りになるのかわからない段階だったのに応援してくださったこと、改めて感謝いたします。

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