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障害理解は義務じゃない?ワクワクから広がる世界へ!

2018年度に学研発行・実践障害児教育にて10回に渡り連載させていただいたコラムを、編集長に許可をいただきこちらへ掲載いたします。

ADHDうっかり元教師 雨野千晴のいつもココロは雨のち晴れ
<最終回 2019年2月号掲載> 
【障害理解は義務じゃない?ワクワクから広がる世界へ!】



退職を決めた最後の1年間、私は六つのクラスで教科を受けもつことになった。始めは例年の6倍の人数の子ども達と、どのように関わることができるのか不安もあったのだが、振り返ると今も一人ひとりの顔や、教科を通してのエピソードが思い起こされる。

そんな中で、学年末にほんの数時間だけ、特別支援学級に入らせていただく機会を得た。私は小躍りして喜んだ。この年私は支援級配属を希望していたのだ。自分の経験を活かす機会があるかもしれないと思ったからだった。

しかし、初めて特別支援学級の授業に入った日、担当している先生方の仕事の多さや大変さに、あらためて驚愕させられた。特別支援学級では、在籍する子ども一人ひとりに週案を作成し、さらに通常の学級(交流級)の予定変更にも随時合わせなければならない。また、授業ではさまざまな特性のある子どもたちが、多種多様な課題を同じ空間で学んでいた。安全確保のために一時たりとも目が離せないような状況もあり、特別支援学級の仕事について、本当の意味での理解は全然できていなかったことを痛感した。


卒園式でファンになった、C君との思い出

▲当時のブログ記事より

その日入った特別支援学級には、就学前、ハルと同じ療育園に通っていたC君がいた。私はその年に入学してきたC君と廊下ですれ違う機会を、いつも密かな楽しみにしていた。



療育園卒園の日、卒園証書の授与式が行われた。式典って、いつもと違う特別な雰囲気がある。1年間一緒だった先生と、使い慣れた教室、椅子での式だったが、それでもやはり普段とは違うということを、子ども達は敏感に感じ取っていた。

子ども達は名前を呼ばれると、先生の前へ進み出て、証書を受け取る。その光景に、私は思わず目を潤ませていた。そして、C君の順番が来た。C君は壇上に上がり、おもむろに証書を受け取ったかと思うと、それを「ポイッ!」と投げ捨てたのだった。

C君にとって、いつもと違う雰囲気は負担が大きかっただろうし、賞状を投げ捨てたことは、そうせざるを得ない中での、彼なりの表現だったかもしれない。それでも私は、そんなC君を素敵だなぁと思った。だって、いつもと違う窮屈な服で、ずっと椅子に座っていて、それでもらったのがただの紙1枚って、そりゃあいらないよ。「C君が正しい!」などと勝手に思ったのだった。その時から私はC君のファンになった。


小学校での再会と、「ぱ」の模倣

C君には発語はほとんどなく、入学後は学校を探検することが日課になっているようだった。私が彼を見かける度に「Cくん、雨野です。」といって手の平を向けると、彼はお気に入りの紐を片手にちらりと横目で私を確認し、やぁ、とでも言うように軽くタッチを返してくれるのだった。


特別支援学級に入った日、運よく教室にいるC君に出会えた。教室後方に敷いてあるマットレスで寝転ぶC君の隣に、そっと近づく。私の存在に気づいたC君は「ぱ!」と言葉を発した。その言葉に私も「ぱ!」と返してみた。するとC君は「ぱぱ!」と続ける。すかさず私も「ぱぱ!」と模倣した。そんなふうにほんの数秒やりとりを続けると、C君は何かを感じてくれたようだった。パッと私に抱きついた。私は「何かが通じた」と思った。C君は、よくわかっている。そしてきっと、もっとアウトプットも広げることができる。


さて、ほんの数時間の中で、私が彼にできることは何かと考えた。そして、担任や支援員の先生方、C君のお母さんと相談し、コミュニケーションカードのたたき台と、朝と帰りの会の流れがわかる表を作らせてもらうことを決めた。

家族とは言葉で伝えようとしなくても必要なことが通じてしまうため、家庭ではそういったものを使ってこなかったとのことだった。「指示を理解する」だけでなく、今後彼が「自分の意思を他者に伝えられる」ツールがあったらいいのではないかと思ったのだ。

以前、親の会の研修で伺った、「支援の目的は指示を聞かせることでなく、本人が主体的に生きることなのだ」という先生の言葉が思い出された。



知りたい!つながりたい!その先に広がる世界

その後、カードがどれだけ有効だったのか、自分がやったことはよかったのか、今も正直わからない。確かなのは、あのとき自分がC君の想いを、もっと知りたいと感じたことだ。

世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな価値観がある。それに触れることが私は楽しいし、もっと知りたいと思う。障害の有無に関わらず、全ての人には意思がある。そしてそれを知るすべは、きっと無数にある。「理解しなければならない」という義務感でなく、「知りたい!」「つながりたい!」そんなワクワクした思いから始めることができたら、世界はもっと優しくて、豊かになるんじゃないかと思う。

C君が私を抱きしめてくれたときの、ぎゅっと腕をつかむ小さな手のひらの感触が、今も私の中に残っている。



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■最終回のエピソードについて

私はたまたま自分の子どもに自閉があって、一時期療育マニアみたいになっていたこともあり、学校で行われている支援や教育について「もっとこうしたらいいんじゃないかなぁ」と思うことがたくさんありました。

だけど、担任でもないのに余計なお世話だよな…ということも思ったりで、育休明けは悶々としている部分がありました。そんな中で、このほんの数日だけだったけど、「中の人」として支援級に関われた経験は、私にとってかけがえのないものでした。

また、支援員(介助員)の先生方についても、日ごろいろいろな悩みを抱えておられることを、この期間に直に伺うことができました。一緒に休憩時間にお茶をしながら、いろいろなお話ができました。支援員の方の関わりって、現状の支援教育の現場では欠かせないものですよね。

そして退職前の春休み、次年度特別支援学級を担当されることが決まった先生方にお時間をいただくことができました。翌年支援級を担当することが決まった先生に、放課後、声をかけていただいたことがきっかけでした。その先生はとっても優秀な方だったのですが、支援級の経験がないとのことで、雑談ベースでいろいろ質問してくださったのです。

その後、超お忙しい春休みのお時間をいただき、翌年度支援級を担当される先生へ、制作させていただいた絵カードの使用方法や、息子と療育に通う中で療育園の先生に教えていただいたこと、資料・書籍などについて、自分が感じていることをお伝えすることができました。

本当に、余計なお世話だったかも…と今でも思うけれど、そんな私に「ぜひ聞かせて!」とお時間をくださった先生方に、本当に感謝しています。

当時のFB投稿↓

【小さなことから。】 今日は初めて支援級の授業に入った。 支援級って 一人ひとりのお子さんそれぞれに週案 (その日の時間割・学習内容が書かれたもの) があり さらにその時間割は、交流級の予定変更にも 随時合わせなければならない。 ...

Posted by 雨野千晴 on Monday, March 13, 2017

【特別支援級のお子さん用、 コミュニケーションカード作成中】 途中までできた♥ 視覚支援は受容言語がゴールじゃない。 こっちの言ってることわかるからって、 それでツール使うのやめちゃだめなんだよ。 ゴールは、そのお子さんが自分の要求...

Posted by 雨野千晴 on Monday, March 27, 2017

【コミュニケーションカード&朝の会視覚化計画】 9割完成♪ あとマグネットつけるだけ~\(^o^)/♥ 活用させていただいたのは、 絵カードを無料公開してくださっているサイト 「ドロップス」 です( ≧∀≦)ノ ご興味ある方はのぞいてみてね~ http://droplet.ddo.jp/dropcard/

Posted by 雨野千晴 on Wednesday, March 29, 2017

■Cくんのこと
最終回はなんのエピソードにしよう…とすごく悩んだ中で、Cくんのことを書こうと決めました。いつもお気に入りの紐を片手に、学校の中を歩く毎日を送っていたCくん。Cくんとことをもっと知るためには、どうしたらいいんだろう?Cくんにとっての学校生活って、どうあるのがベストなんだろう?あのとき考えたことは、今私が福祉の仕事に関わっていることへつながっている気がしています。

↓このコラムのもとになったブログ記事


■今の仕事について

今、私はNPO法人ハイテンションという福祉事業所で働いています。そこには、当時のCくんのような、言葉のやりとりが難しい方もいます。

どうやって接したらいいのかな?何か自分が失礼なことを言ったり、したりしてしまったらどうしよう…

そんなふうに思っていたのは仕事を始めてから数日の間でした。なんでかって、ここのスタッフさんたちは、必要なことはもちろん教えてくれるのですが、たいていは「本人に聞いてみてください」って言うからです。もじもじしている場合じゃない。(笑)

何を言っているか聞き取れない言葉で話す人、内側の言葉を声で表出することが難しい人、いろいろな人がいます。だけど、一緒にいる時間を重ねていくうちに、それがフツーになってくる。だんだんとやりとりができるようになったり、その方とのコミュニケーションのコツがわかってきたりします。

自分以外の誰かのことを本当の意味で「わかる」なんてことは、障害があるかどうかに関係なく、不可能だって思っています。それでも、それをわかった上で「この人の見ている景色を一緒にみたい」と思うことで、見えてくるものがあるよね、とも思っています。

そしてそれは、自分ひとりのフィルターを通してみるよりも、ずっと色鮮やかで、ユニークな世界なんだって、今もやっぱりワクワクしているのです。

これで、実践障害児教育掲載分のコラムは終了です。ここからの続編とでもいうべき「雨のち晴れ」は、またぼちぼち書いていけたらと思っています。ここまでお読みいただきありがとうございました!!

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