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ブレない男と信号の話

我が家の長男ハルは自閉症スペクトラムで、予定外のこと、新しいことを好まず、いつもと同じであること、繰り返すことを好む傾向がある。

彼が3、4歳の頃だったろうか。おままごとで出してくれるスープは、いつも「かぼちゃスープ」と決まっていた。出てくるメニューもおままごとのやりとりも、一連の流れは全て決まっていて、同じセリフのやりとりがそこでなされなければならない。一方でADHDな私は繰り返しが苦手である。新しいことに興味を惹かれる傾向にあり、つまり彼とのおままごとは私にとってある種の苦行だった。

サイゼリヤに行けば注文するのは必ずハヤシターメリックライス。バーミヤンに行けばお子さま中華セット。一瞬も迷わない、ぶれない男。それがハルなのである。

自閉っ子ハルの3種の神器

そんな彼が言葉も話さない頃からこよなく愛しているものがある。信号・時計・エレベーター。これが彼の3種の神器である。

誕生日にもクリスマスにも「時計をお願いします。」というので、彼のおもちゃ箱は目覚まし時計だらけ。スーパーでも水族館でも、彼を見失ったらエレベーターを探せばよい。扉の前にじっと佇み、階を示す数字が点灯している様子を生き生きと見つめる彼の姿を必ず見つけることができる。そして彼の自由帳にはいつも信号の絵が描かれている。図工の作品にもたびたび信号がお気に入りのモチーフとして登場する。

好きになるものにも一直線。ちょっとやそっとじゃ浮気はしない、それが彼なのだ。

▲ハルが描いた信号の絵

ハルは、就学時前には子育て支援センターに行っても、周りの子どもたちはもちろん、ミニカーなどには目もくれず、時計のおもちゃの針をぐるぐる回し続けていた。そんな彼を見ていて私は、この人ほんとおもしろいなーと思いつつ、こんなマニアックすぎる嗜好性で、この人友達とかできるんだろうか…っていうか誰かと関わって遊ぶということが成立する日は来るのだろうか?もしかして来ないのかもなぁ、とぼんやり思ったりもしていた。


3種の神器がお友達

年中からは理解ある先生と補助の先生のおられる幼稚園に入園した。時計が好きすぎて廊下の掛け時計を見るために教室から脱走したり、職員室のエアコンやコピー機のスイッチを押しまくったり、話題にことかかない状態だったが、いつも「ハルくん」と親切に声をかけてくれるクラスメイトと先生のおかげで、無事に卒園までの日々をみんなと過ごすことができた。しかしその2年間で彼の口からお友達の名前を聞くことは1度もなかったのだった。

小学校入学後も相変わらず3種の神器を重んじる彼は、今度は給食用のエレベーターのとりこになり、教室から脱走してはエレベーターを見学していた。給食のエレベーターが好きすぎて、将来の夢は「調理員のHさんになる」と宣言するようになり(Hさんがエレベーターを使うところを見たのだろう)、以降、毎年七夕の短冊には「Hさんになります」と書くようになった。給食室のHさんの名前は出てきたが、お友達の名前は相変わらず聞かれないまま、2年生に進級した。

▲Hさんになります宣言の短冊

信号活動部のウワサを聞く

2年生の秋ごろのこと。登校のつきそいの際に

「信号活動部で、子どもがお世話になってます」

と、何人かの知らないママから声をかけられた。私は信号活動部ってなんだろう?と思いながらもとりあえず「ハァ、ありがとうございます」などとあいまいな返事をしていた。

そんなある日、学年も違うお子さんのママから

「みんなの安全のためにああやって活動してくれて、本当に素晴らしいと思うわ!うちの子、よくハルくんの話してくれるのよ^^」

と声をかけられ、驚いた。

確かに、ハルは信号が好きすぎて、普段通る場所にある信号の「○○前」とか「○○交差点」とかいう名称と場所は全て暗記していたり、信号が青になるときは「アオゥ!!」と大絶叫したりする。しかしそこには何か崇高な理念があるかと言ったらもちろん微塵もない。ただの信号フェチなのだが…一体全体どういうこと?と疑問を持ちながらもママ友づきあいが得意でない私は、答えが得られぬまま謎の深まる日々を過ごした。私が事の顛末を知ったのはそれから数日後、参観日のことだった。


信号活動部の実態を知る

ハルの在籍している支援級には、2つ学年が上の太郎くんという男の子がいる。とても利発なお子さんなのだが、何回言っても連絡帳を全てカタカナで記入しているハルを横から覗いて『僕と似てるなぁ』とつぶやいてくれていたことがある。ハルが1年生のときのことだったが、私はそれがなんだかうれしく、心強く感じたのだった。

そんな太郎くんが、あるときから始めた活動が「信号活動部」だった。ハルの小学校の一階には2つの校舎をつなぐ渡り廊下のような、壁面もなく吹きさらしのコンクリート地面なのだが、上履きのまま移動できる通路がある。その通路は、休み時間の終わりになると横断する人、通行する人で人の流れがクロスする。そこで太郎君は、その場所で人がぶつかる危険を回避できないか、と休み時間に交通整理を始めたのだ。

「気を付けてください」
「一度止まってください」

そんなふうにやっているうちに、赤色のファイルと青色のファイルを使うようになった。手旗信号のように右手に青、左手に赤のファイルを持って縦の流れと横の流れの様子を見ながら赤を出したり、青を出したりする。

それを、ハルが目ざとく見つけて、入学の際に買って持たせた青色の下敷きを片手に太郎くんの横に行って真似をするようになった。


信号きっかけで広がった関わり

そうこうしているうちに他の支援級のお子さん達も「なんか楽しそう!」と加わり出した。

そうこうしているうちに、支援級以外のお子さんも「私も入れてください!」と誰が名付けたのか「信号活動部」と呼ばれるようになったその活動に入部を申し出(しかも太郎くんの計らいでハルが副部長になっているらしかった)、

さらにそうこうしているうちに、高学年の真面目なお子さんたちが太郎くんの思いにに賛同し

「僕たちにも手伝わせてください!」

と入部。交通整理人員が多くなりすぎ一時は逆に危ない状況になってしまったので、太郎部長の発案でシフト制を取り入れることになったそう。

参観日の休み時間に生き生きと「太郎君と信号活動部やってきます!」と言って教室から飛び出し、青い下敷きをバタバタやっているハルを見ながら、この話を介助員の先生が教えてくれたのだった。

先生のお話を聞きながら、私は1年生の参観日に見た光景を思い出していた。休み時間に支援級のロッカーのドアを一人で開けたり閉めたり開けたり閉めたりを永遠にやっていたハル。太郎くんと、大好きな信号のおかげで、そんな彼の世界が大きく広がっていることに胸がいっぱいになった。

信号活動部の、その後。

あれから1年たって、今年はコロナで行事や参観日などが軒並み中止となり、様子が見られていないのでわからないけれど、子どもたちの信号活動部ブームは下火になっているのではと思う。しかしそんな中でも部長の太郎君とハルは相変わらず信号活動を続けているらしい。私なら3日でやめている。この人達ほんとにすごいなーと思う。

そして先日、近所のデパートにあるガチャコーナーで、ハルは運命的な出会いをした。もうハルのためにあるとしか思えない、リアルな信号のミニチュアが入ったガチャガチャがそこにあったのである。ハルは日ごろ、あまりものを欲しがらないのだが、欲しいものは常に即決なので、「これをやります。」と高らかに宣言し、嬉々としてミニ信号を手に入れていた。(ちなみに次男は常に何か欲しいと言っている。私に似たのだろう。)

手の中にある信号のスイッチを入れながら、彼はいつもの迷いない調子でこう言った。

「太郎さんがうちに来たらこれを見せたいです」

彼が自分からはじめて話してくれた、お友達の名前。友達って、無理して作るものじゃなく、好きなもの・関心のあるものを介した関わりの中で自然に「なる」ものなのかも。

こんな日がくるなんて思わなかったなぁと静かに感動しつつ、ママ友的活動が0に等しい私は太郎君をうちにお招きするというハードルの高さに二の足を踏んでいるのである。


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