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一人旅日記2019夏 5日目

青森観光2日目。前日は市内観光をほとんどせずホテルでのんびりすることに終始したけど、この日は夕方から弘前にねぷたを見に行くことにしていた。なので午前中に前日行ってみたいなと思っていた場所をささっと回ることにした。

まず最初に向かったのは八甲田丸。青函トンネルができる前、青森と函館を結ぶ大動脈になっていた青函連絡船は今、当時の様子を伝える資料館としての役割を担っている。電車で一人旅をするようになって6年。国内の様々なローカル線に乗っていると、ひっそりとした駅に昔の繁栄を感じさせるような遺構が残っていたり、かつて鉄道関連の施設だった建物をリメイクした場所に出会うことが多い。そのたびにもっと体系立てて当時のことを知りたいと思っていた。昨日案内所でもらったマップを眺めるまで八甲田丸の今を知らなかったけど、そうした関心もあって足を運ぶことにした。

船内には青森の鉄道の開通から現在までや、ハード面の仕組み、どういった人がいたのかが網羅的に展示されていた。今となっては新幹線や飛行機であっという間に目的地にたどり着けるけど、そんなことができなかった時代。移動は今よりもずっと一大イベントで、人はそれをどう捉えていたのか。ずいぶん便利な交通手段に囲まれた時代、土地に暮らす自分では想像がつかなかったようなことを窺い知ることができたのが本当に嬉しかったし、もっと詳しく知りたいと思うような時間だった。

この日は青森のねぶた祭りの前日。宿を抑えるのが遅くて青森市内のねぶたは見られない日程になってしまい、せめて雰囲気だけでも味わっておきたいと駅前のねぶたの資料館にも入ることにした。

資料館はねぶたの歴史を紹介するパートと実際のねぶたを展示するパートの2本立て。大きな建物のわりにねぶたの説明は割と少なくて、どちらかといえば祭りが青森の名物として興行化された以降のねぶたを説明する展示が多かった気がする。まあ自分を含め今の人からしたらねぶた=青森の代表的なイベント的な認識だろうし、そういう風潮が出てきてからの説明を手厚くするのは自然なことなのかな。ただ実際のねぶたの展示はめちゃくちゃ迫力があった。そりゃあれだけ大きい建物なのに展示スペースが小さくなるわなってレベル。これが実際に街中を走ったらどんなにすごいんだろう。

資料館は1時間くらいで退散。ホテルで少し休憩して、この日のメインイベント、ねぷたを見に弘前へと向かった。ねぷたは19時過ぎからだったけど、17時くらいには弘前に着いて街中を少しぶらぶら。道は広いし、想像以上に都会でビックリした。特にねぷたが通るあたりは商店街みたいになっていて、ゲストハウスなんかもあったし、自分みたいな貧乏旅をする人にとっては青森よりも弘前のほうが滞在しやすいのかも。

街をふらふらしている間に日がだいぶ傾いてきて、ねぷたが始まる時間が近づいてきた。適当な出店で焼きそばとビールを買って、いい感じで見られそうな場所に落ち着いた。自分がいたのはねぷたのゴール地点みたいなところ。始まってすぐはねぷたが始まったことを知らせるアナウンスを聞くだけだったけど、15分くらいしたら続々とねぷたがやってきた。

弘前のねぷたは昼に青森でみたねぶたのような派手さはない。そのかわりにうちわのような形をしたねぷたが、音頭に合わせて器用にくるくると回る華やかさが印象的だった。ここに来るまでのイメージとは違ってもっと素朴で、シンプルなお祭りといった感じ。興行化しようと思えばやり方はいくらでもあるだろうし、青森のように大きなもので華やかさを出していた過去もあるらしいけど、今そうした世界とは一線を画すやり方を貫いているのはとても素敵だと思う。

帰りの電車の都合もあって、ねぷたの会場は40分くらいで後にした。青森に帰ってきたころには9時過ぎになっていた。このまま宿に帰っても本を読むくらいしかないので(妙にホテルで読書にハマった旅でもあった)、青森駅の風景を写真にとることにした。

昼間訪れた八甲田丸と同じく、この青森駅も昔の繁栄の面影を色濃く残している。今では短い編成の車両がぽつぽつと発着するだけだけれど、新幹線ができる前、そしてトンネルなんてなかった時代には北海道への玄関口だった駅。今ではオーバースペックな長いホーム、青函連絡船のアクセスに用いていたであろう入口が封鎖された跨線橋。他にも当時をしのぶポイントがいくつも見つけられた。

この駅がかつてのような賑わいを見せることはおそらくないだろう。それは旅でちょこっと立ち寄った自分でもわかるくらいだから、地元の人であればなおさら理解していることだと思う。現に駅周辺は再開発が始まっていて、これからの時代に適応できるような姿に歩みを進めている状態にある。その過渡期特有のはかなさみたいなものが妙に心に刺さった。思えばこの旅は鉄道関連のそういう物事に多く出会う旅だった。その最たるものがこの駅だったように思う。

次にここを訪れるのがいつになるかはわからないけれど、昔の面影が残るこの駅が、この先どういう変化をしていくのかが知りたい。到着する電車の合間で人の少ない駅のホームで、強くそう感じた。


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