「ずる」と規制

1.はじめに


世の中には「ずる」が蔓延っている。「ずる」とは非常に魅力的な魔物で、あなたの本来の実力では手に入れられない地位、財産、人望を集めることができる。
しかし、人生ゲームに参加するプレイヤーの全員が「ずる」に手を染めれば確実にゲームは破綻する。だから、種の本能として「ずる」をする個体や集団を罰することで、我々は集合体としての統制を保ち、正しく価値を生み出して、日々種族を繁栄させてきた。

現代は、かつてでは考えられないほどに「ずる」が多様化し、規制することは難しくなったと思う。何故ならば、農作物を育てるとか、武器を持って戦うとか、「ずる」が効率化のきっかけとなり、集団を勝利に導くような単純ゲームが衰退したからだ。代わりに、個人が利益を得るための「ずる」に適した、無形のものを生み出す複雑怪奇なゲームが発展した。

「ずる」は少し大袈裟に言えば「不正」である。
「不正のトライアングル」という有名な理論は、「不正」が何故起きるかを単純かつ明快に説明している。「不正」とは、「動機」「機会」「正当化」の3つの要素によって起こるそうだ。

「ずる」がない世界というのは「競争」がない平和で進歩のない世界だ。逆に「ずる」がある世界は「競争」があって、負けることがデメリットであり、生存に直結する世界である。つまり今、我々が生きているような世界だ。

綺麗ごとを抜きにして言えば、競争がある以上、「ずる」は必要不可欠だろう。(というのはまさに「正当化」なのだが。)

私は常日頃、「ずる」について考えてきた。「ずる」をすると「罪悪感」がつきまとうが、一方で「ずる」には耐え難い「快感」が生じる。これは、種族として「ずる」を嫌悪する一方で、種(個人)としては「ずる」をすることを喜ばしいと感じるため、「罪悪感」と「快感」が生まれるのではないだろうか。

人が「ずる」を見破ることができるのは、この「罪悪感」というものが理由なのではないかと思う。
「罪悪感」があるからこそ、「ずる」をする時には不自然な表情や動作になる。また、話の順番がどこかぎこちないものになる。
もし、「罪悪感」というものが無ければ、「ずる」が「ずる」とみなされる可能性はいくらか減るだろう。

さて、ここまであなたがこの文章を読んでいるということは、幾ばくか「ずる」に対して魅力を感じているということだと思う。そんなあなたにお礼として、私なりの「ずる」に対する実践的な考察をプレゼントしたいと思う。また、「ずる」に対しての規制がどのように展開されてきたかも述べるので、参考にしていただきたい。

2..WEBテスト解答集という「ずる」

(1)最初の発明家


就職活動(以下就活)では、国語・算数の学力テストが学生達に課される。

このテストは、かつては会場に集められるペーパーテストであった。
しかし就活の効率化の一環として、PC上で、1人で受けることができるWEBテストがいつしか主流になった。

まずは、WEBテスト自体を開発した人々に敬意を表したいが、このnoteの趣旨とはズレるので割愛する。
WEBテストが発明された後に、とんでもない兵器が生み出された。それがWEBテスト解答集である。

WEBテスト解答集は通常、エクセルに問題文と解答がセットになっているものである。この概念は今では当たり前のものとして受け入れられているが、WEBテストが生み出されて、最初にエクセルに全ての問題と解答を網羅してしまえばいいと思いついた人は、きっと常識には捉われない、世間からは評価されない類の天才であったと思われる。

まずWEBテストというものは、多くのパターンと問題数から出題されるため、一回や二回テストを受けただけですべての問題を網羅することは不可能である。また、オンライン化や早期化が進んだ今とは違って、WEBテストが発明された当初は、就活は長い時間をかけて取り組むものではなく、いわば一過性の儀式に過ぎないというところにも注意しなければいけない。

就活に取り組む学生は、なんとなくWEBテストを受けて、面接を受けて、内定を取って、たまに後輩にアドバイスして、それで就活に対しての関わりは終了である。たまに人事側になって、再度就活に関わることはあれど、それは内定を取るためのテクニックではなく、使える学生をいかに自分の会社に入社させるかという視点で取り組むだろう。普通は解答集を生み出すための動機があっても、行動にまでは至らない。

もしかしたら、解答集を発明した人は、留年して、二年にわたって就活に取り組んだのかもしれない。
しかし、情報の収集が極めて難しい当時で、そんな発想が思いつくのは、きっと普段から不正に手を染めていた人間か、もしくは天才か、その両方ではないかと思わざるを得ないのだ。

(2)シンプルかつ効果的な仕組み


大抵の「ずる」は、シンプルな仕組みの組み合わせや、ルールメイク側の事情により効力を発揮する。

例えば、解答集としてエクセルを使おうという発想は極めてシンプルで洗練されていると言わざるを得ない。

これがwordだったらどうだろう。同じように検索機能はあるが、多くの問題が、多くのパターンで出題される中で、視認性や検索性が劣っていると言わざるを得ない。

また、網羅するだけではダメで、そもそも解答は正しいものが入力されていなけば意味がない。思うに、最初の発明家は何人かで協力して、人によってシートを分けて解答を入力して、一番正しいと思われるものを最終的に一つのシートに統合したのではないだろうか。

これらは「ずる」だけではなく、普通にマニュアルを作る時にも有効なテクニックである。

また、ルールメイク側、WEBテスト運営側の都合に助けられた部分も大きい。

WEBテストの問題は難しさよりも、効果的に学力を測定するということに重きを置かれている。

いわゆる中学入試や、MENSAの試験であれば、より難しい問題を課して、より少ない時間でプレッシャーをかけて、天才的な頭脳の持ち主を集めるという方法が効果的になるかもしれない。

しかし、就職においては、天才的な頭脳は必ずしも必要ではなく、業務を行うにあたって支障がないレベルの頭脳があればよい。難しい問題が解ける人がいてもいいが、結局は各々の会社のレベルに見合ったレベルであれば問題なく、むしろ集団として動き、取引先と意思疎通を図ることができるコミュニケーション能力の方が遥かに重要だ。

WEBテストの問題パターンは常に働く上で問題レベルの人材を取るために最適である必要がある。もし新しい問題を導入したり、全く違うパターンを出題するためには、それが効果的であることを証明しなければならない。

そうなると、まず問題を一気に変える訳にはいかない。今ある問題パターンに、たまに新しい問題を入れて、少しずつその問題の正答率や解答率を確かめる必要があるのだ。

翻って、学生側は、わざわざその問題の有用性等を検証する必要は一才ない。
単純に、それなりの学力を持った人間達と答えを出して、エクセルに入力すれば終わりである。

ルールメイカーと、プレイヤー側に圧倒的な労力の差があることこそ、「ずる」が生まれる土壌になるのだ。

また、善良な人間も数多く存在し、そもそもWEBテストのことを知らない、知ってても頼らない人が大半を占めるだろう。
一部の「ずる」をするプレイヤーに対して、何か対策をするということは、それをしなければクライアントが損をするという明確な理由が無ければ動けないし、それを提案すると、自分達にも開発する上での責任が生じる。だから黙っていることが賢い選択肢であった。

それは黙認ではなく、ビジネスを行う上でやむを得ない選択肢だったであろう。

しかし、そうも言っていられない事態が起こってしまう。

(3)「ずる」に対しての反撃


均衡が崩れたのは、間違いなく就活のオンライン化が進んだ2020年代初頭である。
感染症対策により、面接やインターンシップがオンライン化し、テストセンターがやむなく閉鎖された。多くの企業が採用フローを完全にオンライン化する中で、WEBテスト解答集はひときわ人々を惹きつける魔力を放っていた。

「旅行業界は採用を完全にストップした。」
「この代は就職氷河期になるかもしれない。」
「完全オンラインなら面接中にカンペ持ち込もうが、解答集使おうが何でもありでしょ。」
「みんなやっているのに、自分だけやらないのは馬鹿らしい。人生がかかっているんだ。」

「不正のトライアングル」を思い出して欲しい。まさに「動機」「機会」「正当性」が揃ってしまったのだ。こうして就活のモラルハザードが徐々に進行し、WEBテストの平均点数は何故か急激に上昇してしまう。

素直に捉えれば学生達が家で勉強して点数が上がったということだが、そんな訳もなく、その学歴ではあり得ない点数を叩き出している人が増えたり、Twitterや Yahoo!オークション、メルカリ、オープンチャットでは公然と解答集が取り引きされている。また、WEBテスト代行業者もオンライン化でモラルが壊れつつある学生によく利用されていた。

かくして、業務に支障のないレベルの学生が欲しいというクライアントの意向に対して、もはや答えられなくなったWEBテスト運営側は、徐々にカメラやテストセンターによるダブルチェックを導入することになったのだ。

勘違いしてはいけないのは、「ずる」は決して黙認されてはいないというだ。
黙っていること=黙認と捉える人もいるが、それは違う。

それに対策するためのコストと、対策した結果得られる効果が釣り合わない時に、「ずる」は見なかったことにされる。
逆に言えば「ずる」を多くの人が使うようになると、もはやルールメイク側はそれに対して対策しない理由がなくなる。つまり「ずる」にも鮮度があり、また鳴けば打たれるという昔のことわざどおりの展開である。

3.他の事例から思いを馳せる

(1)紹介


今この記事を書いている時点でホットなのは性的同意や、信託SOの税負担増である。

これらの規制には問題点があると思われるが、同時に規制される側にも落ち度があるため、何とも言えない事案である。

いずれもWEBテストレベルでおさまる話ではなく、国家権力が動くほど重いものであり、動くまでに数多くの政治ゲームが繰り広げられてきた。そして、対立する両者のいずれにも大義はあったが、力関係や不意打ちにより勝敗が決してしまったと言わざるを得ない。

国が絡んでくるとゲームの中身はさらに複雑になる。表面的に見ると一つの事例にしか見えないものには、複合的な問題点があり、問題点の一つ一つが違う監督官庁が絡んでいたり、政治団体の意向を仰ぐ必要がある。

馬鹿馬鹿しい話かもしれないが、CCの順番から、積極的なロビイングまでは地続きであったりする。

理論だけでなく、組織のボスの感情に配慮し、ひいては自国内だけではなく、他国や国際機関にも配慮した上でゲームを進めていかなければいけないのだ。

(2)「ずる」の微妙なライン


ここ最近で一番面白かったのは、間違いなくAI契約審査サービスに対してグレーゾーン解消制度で「相談」が持ちかけられた事例である。

当初は違法であるかないか、判断が揺れ動いたが、最終的には適法である事例を指し示すという無難な着地を見せた。

これはサービス提供者側が団結して国に働きかけたことが功を奏した事例であり、見事と言わざるを得ないだろう。

グレーゾーン解消制度を活用することは一切問題ない。ただ、やり方がAI契約審査サービスが法律上問題ないか、わざと確認するように見えたことが一部から指摘されている。

世間常識的に見れば、「グレーかどうか確認することの何が悪いのか」という話であり、その意見もまた同意する。

グレーかどうか確認する行為が事業者側に何故負担をかけるかといえば、国が公に回答を出さなければいけないという、全くインセンティブのない戦いに引きずられることに等しいからだ。

もちろん事業者側も自分達の中では、そのサービスが正しい理由を普段から整理している。しかし、それをいちいち国に確認すると、ありとあらゆる角度からツッコミが入り、本来認められているものも、「ずる」と公に扱われてしまうおそれがある。

裁判で争った結果、有罪になったり無罪になったりするように、法律は白黒が簡単に付けられる世界ではなく、むしろグレーの中に解を求めることが非常に多い。そして、一度、最終的に「黒」と認められたものが、時間を経て「白」になることは限りなく難しい。

だから、グレーをあえて進むものはなるべく戦いを避けたいものだ。しかし、戦いになっても問題がないように常日頃準備をする必要がある。

(3)「ずる」を「ずる」と認識しないということ


「はじめに」でも書いたが、「ずる」に対して罪悪感を感じなければ、より「ずる」は発覚するおそれが少なくなると思われる。一方で、「ずる」と認識しないで「ずる」をする人が増えれば、規制されかねない。

自分だけが、さも正しいかのように振る舞い、そして誰にも真似されないようにできれば解決であるが、一体どうすればそのようなことができるのだろうか。

結局は、全てに通じることであるが、学び、考えることでしか解決できないと思う。
常にどうすればショートカットができるか考え、またその正当性について考え、人が考えないものに対して全力を注ぐ必要がある。

さらに観念論ではあるが、自分がハックしようとしている仕組みを愛することもまた重要である。どのようにその仕組みが作られたか知ることは、開発者が残してしまった穴を見つけることにも繋がる。

そうして情熱を持って取り組めば他の人は真似できず、自分としても正当性を持って取り組むことができ、「ずる」は「ずる」でなくなるであろう。

おわりに


「ずる」について熱心に語ることは世間的には顰蹙を買う行為であり、とてもできたものではない。
しかし、オンライン空間はそういった眉を顰める言説も一定程度受け入れたり、スルーされたりする、オアシスといってもいい存在だ。
昨今、生成系AIサービスによって「ずる」の判断基準はますます難しくなり、また「ずる」によって社会が受ける被害も甚大なものとなりつつある。
この文章を読む人が正しい方向で「ずる」について考えて、情熱のために活かすことを切に臨む。



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